(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
タラタラッペ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
札鶴川の東支流で、ニッパコシキクウシナイ川の 1.8 km ほど南で札鶴川に合流している……と言っても「???」となりそうですが、「『神の子池』の 2 km ほど北で札鶴川に合流している」と言えばなんとなく場所を把握できる方もいらっしゃるかもしれません。地理院地図にも川名の記載がありますが、意外なことに「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川名が見当たりません。ただ、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。
少し行て明治時代の地形図には「タラタラペ」という名前の川が描かれていました。すぐ北には「ウヌンゴイ」という地名(だと思われる)が描かれているのですが、これは斜里町の「ウヌコイ川」と同じく ununkoy で「(行き止まりの)断崖」である可能性が高そうに思われます。
ニシバコレキルシ
川有。橋を架る。此辺にて大古夷人の酋長死せしと云訳なりとかや。又坂道少し行
ウフンコイ
此辺いよいよ谷地多く、地名は谷地に近よりしと言事也。
タラタラ
小川有。渉りて谷地え懸る。ダラダラは川下に石有ると云ことなりける。
タクタクベオベツ川?
「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。タッタッペオペッ(札鶴川左岸支流) 「タッタッペ・オ・ペッ」(taktakpe-o-pet 玉石・ごろごろしている・川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)
白糠町の奥の方、国道 274 号沿いを「タクタクベオベツ川」という名前の川が流れていますが、それと同じではないか……という説ですね。taktakpe という語は手元の辞書類には見当たらないのですが、tak あるいは taktak であればいくつも確認できます。一例として、「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されていました。
tak-tak, -i/-u たㇰタㇰ 球;玉石;ごろた石。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.128 より引用)
また taktakse でも「球」を意味するとのこと。taktakpe を taktak-pe と考えて「球・もの」と解釈することも可能かもしれませんが、「球」自体が「球形のもの」なので「球形のもの・もの」というのも収まりが悪い感があります。また「タㇰタㇰ」が「タラタラ」に化けたというのも疑問が残ります。tararke で「(石などがごろごろころがって)でこぼこしている」という自動詞がありますが、tararke と同じ意味の taratarak という自動詞があるので、「タラタラッペ川」は taratarak-pe で「(小石などで)でこぼこしている・もの(川)」と見て良いのではないかと思うのですが……。
ハトイサッツル川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
札鶴川の西支流で、上流部に「神の子池」がある川です。道道 1115 号「摩周湖斜里線」から「神の子池」に向かうダート路は「ハトイ札弦川林道」という名前で、「札鶴川」と「ハトイ札弦川」でびみょうに字が違うのも面白いですね。明治時代の地形図には「トイサックー」と描かれていました。また「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。
少し行き
トイシヤル
トイシヤツルなるよし。今迄の川より少し大し。歩行渉り。此川にも秋味多と。地名は川源に沼有ると云事也。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.398-399 より引用)
「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていたのですが……トイサッル(札鶴川右岸の枝川)「トイ・サッル」(toy-Satru 土の流れるサッツル川)。ポン・オニセㇷ゚(Pon Onisep オニセブの子川)とも云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)
よく見ると、「ポン・オニセㇷ゚とも云う」とあるのですが、「ポンオニセップ沢川」は随分と離れた場所(JR 釧網本線の西側)を流れています。また「トイサッル」は「オニセプ」の直前に立項されているので、やはり「ポンオニセップ川」が「トイサッル」であると認識されているように見えます。「トイシヤツル」と「トウサツル」
改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、ここでは「ヲニセツフ」の上流側に「トイサツル」と描かれています。該当しそうな川も存在していて、この川の名前は不明ですが、川の西側を「クルミの沢林道」が通っています。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」における「札鶴川」の描かれ方には大きな疑義がある(「札鶴川」に相当する川が二つ描かれている)ため、この川については一旦無視しても良さそうに思えます。
「辰手控」には「トウサツル」という記録もあるのですが、これもよく見るとかなり混乱が……。前後関係を把握するために長い目に引用しますと……
○サツルエヒラ 小休
サツは夏、ルは道、夏にても冬にても此道を通ると云こと也
○サツル
ヲニセツフ 小川右
トウサツル 小川 此川ワツカウイの下也。
タラツタラッヘ東へ入小川 此川はこゆる也
下にニシハコシキルシ
○ヘツウトルクシナイブト
シヤリ川とサツル川との間を通ると云こと。ブトは口也。小川有
○シヤリルエランニ
川端へ道より下ると云こと也。五六丁行、昼休所也。むかしは此処になし。是よりシヤリ川端を通りし由、よって此名有
坂道下り
○ニシハコシキルシ 川有橋 坂下り
○ウヌンコイ
坂を下り此辺より谷地多く難所
タラタラ 小川有
不知トイシヤツル 中川
此川秋味入込也、道わろし
○ワッカウイ 川、はし三ケ所有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 三」北海道出版企画センター p.339 より引用)
……こんな感じでして、「トウサツル」と「トイシヤツル」が存在していたりします。ただよく見ると、あの「ニシハコシキルシ」が複数回登場していて、明らかに記録が重複しているように見受けられます。更によく見ると、知里さんが「トイサッル」とした川の近くに「トウサツル」があり、現在の「ハトイサックル川」に相当する川として「トイシヤツル」とあります。もう何がなんだか……という感じですね。
とりあえず、「ハトイサックル川」については矛盾する記録がいくつもあり、何がなんだかワケがわからん、ということがわかりました(ぉぃ)。しかも「ハトイサックル川」の「ハ」については影も形も見当たらないという話もあります。
「トイサックル」をどう考えるか
「ハ」については一旦諦めるとして、「トイサックル」をどう解釈するかを考えてみましょうか。「トイ」は toy で「土」と見るべきなのでしょうが、ただ「神の子池」の存在からは、to で「池」と考えたくなります。となると「トイサックル」の「イ」をどう解釈するか……という問題が浮上するのですが、うーん、e で「頭(水源)」と解釈するしか無さそうでしょうか。仮に e を「食べる」と考えれば「池が食べる札鶴川」という謎な地名ができあがりますが……。我が子を食らうサッツル川でしょうか(違うと思う)。
結局のところ、やはり to-e-{sak-ru} で「池・頭(水源)・{札鶴川}」と考えるべきなんでしょうか。……あ、「竹四郎廻浦日記」にそう書いてあったような(汗)。
あと「ハトイサックル川」の「ハ」についてですが、皆目不明ということで(すいません)。
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