2022年9月4日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (967) 「ニッパコシキクウシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニッパコシキクウシナイ川

nispa-{ko-sikiru}-us-i?
旦那・{ひっくりかえった}・そうである・ところ
(? = 典拠あり、類型未確認)
札鶴川の東支流です。斜里川の南支流(西支流)である「アタックチャ川」と、札鶴川の東支流である「タラタラッペ川」の間あたりを流れていますが、残念ながら地理院地図には川名が記されていません。

このあたりの「東西蝦夷山川地理取調図」は札鶴川(サツル)の認識に誤りがあり、札鶴川の道道 1115 号「摩周湖斜里線」沿いの区間が「サツル」とは別に描かれています(本来は同じ川なのに、異なる川として描かれています)。

「ニッパコシキクウシナイ川」と思しき「ニシハコシキルランニ」は「サツルフト」で斜里川に合流する川(=サツル)の東側に描かれていました。位置はともかく、松浦武四郎が当地を訪れた際に既に存在していた地名(川名)だということは間違い無さそうです。

「夷人の酋長が死んだ」説

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

少し行て
     ニシバコレキルシ
川有。橋を架る。此辺にて大古夷人の酋長死せしと云訳なりとかや。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.398 より引用)
また、永田地名解には、更に具体的な形で解が記されていました。

Nishipa koshikiru ushi  ニシパ コシキル ウシ  アイヌ仰向キニ倒レテ雪ノ爲メニ死シタル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.496 より引用)
nispa は意外と日本語での表現が難しいのですが、「裕福な男性」あるいは「裕福で身分の高い男性」と解釈するのが一般的でしょうか。ただ中川裕先生は「『特別な資産家』という意味はない」としているので、地元の「名士」あたりと言ったところかもしれません。

kosikiru というのも馴染みの無い語ですが「ふり向く」という意味とのこと。nispa-kosikiru-us-i だと「名士・ふり向く・いつもする・ところ」ということになりそうでしょうか。これだと「酋長が死んだ」とは言えそうにないところに難がありますが……。

「旦那がそこで倒れた」説

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ニㇱパコシキルシ(札鶴川左岸) 「ニㇱパ・コ・シキル・ウシ」(nispa-ko-sikiru-usi 旦那が・そこで・倒れた・所)。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)
どうにも謎なのが、kosikiru あるいは sikiru を「倒れる」あるいは「ひっくり返る」とする解釈が辞書類に見当たらないところで、たとえば「アイヌ語文法の基礎」にはこんな風に解説されています。

sikiru は si- 「自分を」,kiru 「回す」と分析される。si- は間接再帰の形式(32 課参照)であるから,「あたかも自ら努力してではないかのごとく,くるりと身を翻す」という意味になるであろう。なお,sikiru は人間について用いて,en-ekota sikiru「俺の方へ(くるっと)向け。」のように使われるが,他方,魚のすばしっこい動作を象徴的に表す動作と考えられているようである。
(佐藤知己「アイヌ語文法の基礎」大学書林 p.310 より引用)

「幕府の役人がひっくり返った」説

ただ、「アイヌ語入門」では次のように記されていました。ちょっと長いですが、正確を期すために引用しますと……

 キタミ国シャリ郡にニシパコシキルシという地名があり,蝦夷語地名解には次のように出ている。
  Nishipa koshikiru ushi ; ニシパ コシキル ウシ ; アイヌ仰向キニ倒レテ雪ノタメニ死シタル処(地名解 496)。
 これは,いわゆる斜里山道──もとアイヌが根室領と斜里方面の間を往来するのに利用していた踏み分け路を,享和元年(西暦 1801)蝦夷地御用掛であった松平忠明が通るというので,釧路のシラヌカ(白糠)に屯田として入っていた原半右衛門らがきりひろげたもの──の山中の地名であるが,正しい語形と意味は次のとおりである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.18 より引用)
なんと、めちゃくちゃ具体的な情報が……! もちろん続きがあるのですが……

  Nispakosikirusi. にㇱパコシキルシ。< nispa(だんな〔が〕)+ ko(そこで)+ sikiru(ひっくりかえった)+ usi(所)。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.18 より引用)
知里さんは nispa を「旦那」としています。sikiru を「ひっくりかえった」とするのは永田方正の解を追認しているようですね。

 永田方正氏の解釈では,nispa を「アイヌ」と訳しているが,ただのアイヌをニㇱパなどと呼ぶはずがない。これはおそらく,幕府の役人などが,土地のアイヌどもを人夫にかりだして,威風堂々とここを通りかかったまではよかったのだが,そこのぬかるみに足をとられて引っくりかえった,などというような故事でもあって名づけられたものであろう。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.18-19 より引用)
「ただのアイヌをニㇱパなどと呼ぶはずがない」という点には議論の余地がありますが、知里さんは次のように考えていたようです。

アイヌが引っくりかえったところで,起きあがればそれですむことで,たいして問題になることでもない。しかし,日本の役人が引っくりかえったとなると,当時としては大変な事件で,後世に地名を残すだけの値打があったと見なければなるまい。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.19 より引用)
確かにそうなんですよね。地名にわざわざ大仰な nispa を冠している時点で特別なエピソードの存在を期待したくなりますし、「幕府の役人がひっくり返った」という「笑い種」が公には「昔のアイヌの酋長が──」という形で伝わっていたという話も、なんとなく「ありそうな感じ」がします。

もちろん「『昔のアイヌの酋長』ですら足を踏み外す危険な場所」だ……ということを後世に伝えるためのネーミングである可能性もあるわけですが、それだったら普通に wen-nay で「悪い・川」とか wen-sir で「悪い・崖」のような地名でも良いわけで、あえて nispa というワードチョイスが見られるところに「幕府の役人」の影を見出したくなるんですよね。

ko-sikiru は「ひっくりかえった」とありますが、これは釣り上げられた魚が身をよじって難を逃れようとする様を示しているのかもしれません。つまり、川に落ちた「ニㇱパ」のリアクションを形容していたんじゃないか……と。

余談「幕府の役人がリアクション芸人顔負けだった説」

ということで、「ニシパコシキルシ」は nispa-{ko-sikiru}-us-i で「旦那・{ひっくりかえった}・そうである・ところ」と考えたいです(もはや願望では)。それにしても、この「ニシパコシキルシ」が現在も「ニッパコシキクウシナイ川」というおかしな名前で現存していたとは……!

更に余談ですが、「アイヌ語入門」には次のような一節が続いていました。

 ところで,わたくしがシラヌカを調査に行ったとき,念のために土地の古老──興行用のでなく真正のアイヌの古老──に,この地名の意味を尋ねてみると,彼はなんの苦もなく,
 「あそこはヤチ(湿地)だから,どっかのニㇱパ(だんな)がコシキリ(腰っきり)ぬかったんだベヨ!」
といってのけたのには,わたくしをはじめ,同行の K, S, W, N など,さすがの‘ニㇱパ’連も,‘ひっくりかえる’ほど驚かされたものである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.19 より引用)
「アイヌの古老」の返答がどこまで冗談でどこからがネタなのかは不明ですが、「川に落ちた『ニㇱパ』の反応がリアクション芸人なみの傑作なものだった」ことに由来するネーミングなのだとしたら、必ずしも間違っていないような気も……。

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