2022年9月3日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (966) 「沙輪・オニセップ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

沙輪(さりん)

{sar}-ru-e-ran-i
{斜里川}・路・そこから・降りる・ところ
(典拠あり、類型あり)
JR 石北本線の「緑駅」(かつての「上札鶴駅」)の 3 km ほど東(ちょい南)の山上、NTT 緑無線中継所の近くにある二等三角点の名前です。

いかにも曰く有りげなネーミングですが、「大日本地名辞書」に次のような記載がありました。

斜里川の上游に根室国標津郡及び釧路国川上郡に通ずる山道あり、専、止別駅より往来す。野川より湧生ワツカオイウヌンコイに至る凡三里、之より東南に山越して、標津郡のケネウオイカの渓谷に入る。サリンウエラニ、ウヌンゴイ等の開墾は、涌生の北に属す。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.212 より引用)※ 原文ママ
「湧生」と「涌生」で字が異なりますが、そこはスルーの方向で。どうやら斜里川の近くに「サリンウエラニ」という開拓地?があるように読めます。

この情報をもとに改めて「竹四郎廻浦日記」を見てみると、次のような記載が見つかりました。

小き小川をこへて坂を上りまた直に下りて、
     シヤリルヱラ(ン)
平地谷地多し。両山蹙りて其間小川を此(方)向方に渉りて行事也。昔は本道此辺に無りしと。やはりシヤリ本川筋の上を通りしと聞。昼休所仮屋有。地名は川端え下しりと云事也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.398 より引用)

「シヤクルエラン」問題

また「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤルエラン」という地名?が描かれていました。これは大きな問題のある記録で、「シヤリルエラニ」であれば「斜里川」関連の地名と考えられるのですが、「シヤクルエラン」であれば「札弦川」関連の地名である可能性が出てきます。また「沙輪」三角点は *斜里川の東* にあるのですが、「シヤクルエラン」は *札弦川の西* に描かれています。

位置が大きく異なることから「シヤリルエラニ」と「シヤクルエラン」がそれぞれ別のものと考えることもできますが、「東西蝦夷──」では「シヤクルエラン」の近くに「ヘツウトルクシ」という川が描かれていました。この川(ヘツウトルクシ)は「竹四郎廻浦日記」の記録や明治時代の地形図から *札弦川の東* を流れていたことがほぼ確実と見られるため、問題の「シヤクルエラン」は「シヤリルエラニ」の誤記で、札弦川の東側の地名だと考えるのが自然に思われます。

「サリンウエラニ」は「シヤリルエランニ」?

「大日本地名辞書」にあった「サリンウエラニ」が、この「シヤリルヱランニ」のことだと考えられるのですが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 シャリルエラニ(札鶴川左岸) 斜里川へ行く路の降り口。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)
「シヤリルエラニ」は {sar}-ru-e-ran-i で「{斜里川}・路・そこから・降りる・ところ」と見て良さそうでしょうか。これが訛ったり略されたりで「沙輪」になり、何故か対岸の山上にある三角点の名前として生き残った……ということのようです。

オニセップ沢川(オニセップ川)

onne-sep?
大きな・広い
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
JR 石北本線・緑駅の 2 km ほど南で札弦川に合流する西支流です。すぐ下流側には「ポンオニセップ沢川」も流れています。この川も表記にゆれがあり、地理院地図では「オニセップ沢川」ですが国土数値情報では「オニセップ川」です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には札弦川の西支流として「ヲニセツフ」という川が描かれていました。また明治時代の地形図には「オニセㇷ゚」とあり、現在の「オニセップ」とほぼ変わらないように見えます。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 オニセプ(札鶴川右岸の枝川) 「オンネ・チェプ」(onne-chep 老いた・鮭,産卵後の鮭)。ここは昔から鮭の種川であったと云う。前項のポン・オニセプ川に対して,これをオンネ・オニセプ(Onne Onisep オニセブの親川) とも称する。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)
うーん……。「オニセプ」が onne-chep だとすると「ポンオニセプ」は pon-onne-chep ということになります。onne は「年老いた」という意味ですが、「年老いた」は「年長である」ということから転じて「親である」とされ、onne- を冠した地名と対となる形で mo-pon- を冠した地名が存在するケースが多いのですね。

つまり pon-onne-chep は「子である・親である・魚」となりかねない危険性があるのですね。もちろん onne-chep を固有名詞と見て pon-{onne-chep} と考えることは可能で、永田地名解にもこのような例は見られるようですが……。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 オニセップ沢 札鶴川上流の左小川の沢。アイヌ語「オンネ・セップ」で,歳老いた広いところであるというが,「オ・ニ・セップ」で川口に木ある広いところともとれる。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.461 より引用)
「年老いた広いところ」というのはちょっと意味不明な感じがしますが、onne の「年老いた」→「親である」という解釈をもう一歩具体的に「大きな」とすることで、onne-sep を「大きな・広い」と解釈できそうな気がします。

sep と呼ばれる川は道内のあちこちにあると思われますが、最も有名?なのが日高地方の「節婦川」でしょうか。この川を遡ると途中で三つに大きく枝分かれしていて、中流部から上流部にかけての流域が「広く」なっているという特徴があります。

川の規模の違いはさておき、この「中流部から上流部にかけての流域が広くなる」という特徴は「オニセップ沢川」にも当てはまるように思われるのですね(地図)。「ポンオニセップ沢川」も上流部で流域がちょいと広くなっているように見えるので、似た特性を持つ兄弟川と捉えられていたのではないかと思うのですが……。

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