2022年8月20日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (962) 「レタラワタラ・イタシュベワタラ・アウンモイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

レタラワタラ

retar-watara
白い・岩
(典拠あり、類型あり)
オキッチウシ川河口の北の沖合にある岩です。地理院地図には「レタラワタラ」と明記されていますが、陸軍図には名称の記載が無く、明治時代の地形図にも見当たりません。また「東西蝦夷山川地理取調図」には「チヤラセワタラ」と描かれていました。

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

並びて赤兀山(禿山)つゞき、過て
     ウ チ セ
此処大岩岬也。前に一ツの小島有。名義何故かしらず。また二丁計も過て
     チセワタラ
此処海中に大岩一ツ有。其岩に洞有。是に土人等漁業に出たる時宿するとかや。よって此名有り。チセとは家也。ワタラ前に云如く大岩の峨々たるものを云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.49-50 より引用)
「前に一ツの小島」と「海中に大岩」をどう読んだものかという話ですが、ここは「一つの小島」が「レタラワタラ」と解釈すべきでしょうか。また「チセワタラ」と「東西蝦夷──」の「チヤラセワタラ」は同一のものを指しているのかもしれません。

永田地名解には次のように記されていました。

Retara pesh   レタラ ペㇱュ   白キ絶壁
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.492 より引用)
ようやく「レタラ」の登場ですが、「ワタラ」ではなく「ペㇱュ」となっています。retar-pes で「白い・岩崖」と読めそうですね。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 レタラ・ワタラ (retar-watara) 「白い・岩」。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.267 より引用)
どうやら戦後の頃には「レタラ・ワタラ」という地名として認識されていたようですね。この「レタラワタラ」は航空写真で見ても見事に白っぽく見えていて、名実ともに retar-watara で「白い・岩」と言えそうです。

イタシュベワタラ

etaspe-watara
トド・岩
(典拠あり、類型あり)
「レタラワタラ」の北東 1.3 km ほどの沖合にある岩です。「レタラワタラ」よりも若干小さそうですが、地理院地図には標高が掲載されています(42 m)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「イタシヘワタラ」と描かれていて、明治時代の地形図にも「イタシュベワタラ」と描かれています。陸軍図には名前は記載されていませんが、岩礁ではなく島相当として描かれています。

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

過て
     イタシベワタラ
此処材木石の小口塩苞を積重ねし如く重ねて一ツの大岬をなす。イタシベは海獱とどのこと也。ワタラは大岩の下の少しの磯有る処を云り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.49 より引用)
また永田地名解にも次のように記されていました。

Itashbe watara   イタㇱュベ ワタラ   海馬岩
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.492 より引用)
これはどう考えても etaspe-watara で「トド・岩」と見るしか無さそうですね。

なお「トド」という名前もアイヌ語に由来するという説があるようですが、知里さんの「動物編」によると叙事詩の中でトドが tonto と呼ばれたとのこと。これは「タラントマリ」(樺太西海岸)での記録で、実際には tondo と発音されることが多かったそうです。tonto あるいは tondo は雅語(古い言い回し)だった可能性がありそうですね。

アウンモイ川(アウンルイ川)

ahun-ruy?
入り込む・甚だしい
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「イタシュベワタラ」の 0.9 km ほど北東を「アウンモイ川」が流れています。河口のあたりは南北を岬に挟まれていることもあり、小石が広がる海岸となっています。地理院地図には、岬に挟まれた海域に「アウンモイ」との表示が見られます。

「アウンモイ」? それとも「アウンルイ」?

国土数値情報では「アウンルイ川」となっていて、地理院地図の「アウンモイ川」との異同が見られます。明治時代の地形図には「アプンル」という名前の川(地名かも)が描かれていて、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲン子アフンルイ」と「ホンアフンルイ」と描かれていることが確認できます。

どうやら本来は「アフンルイ」だった可能性が高くなってきたようで、ちょっと困惑を隠せないのですが、戊午日誌「西部志礼登古誌」の内容を確認したところ、更に頭を抱える事態に……。ちょっと長い目の引用をご容赦ください。

過て
     イマイベウシ
此処東ヒヤルヲマイと対し、西ヲキツチウシと対してまた少しの湾をなす也。此岬三ツに成りて峨々と聳えて突出す。其中なるは材木石のみ畳々重りて一岬をなす。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.48 より引用)
この「イマイベウシ」は、ポロモイ海岸の西にある岬のことだと考えられます(ちょうど象形文字の「山」のような形をした岬ですね)。そして問題の「アフンルイ」ですが……

扨是より五六丁崖の下を行
     アフンテエンルン
是アフンテの第一番出たる処なる故に号く。峨々たる岬に大岩洞有。此穴を舟か通る也。また是より内え入る哉
     ホンアフンルイ
     ヲン子アフンルイ
小さき澗なれども奥深く入るか故に号るよし。土人ども通行の節此奥に穴有るに必宿するよし也。此湾小さけれども至極に宜し。また並びて三四丁にて小洞二ツ有。是に皆石燕多し。また水鳥も見なれざるもの多し。此辺より山皆椴に成る也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.48 より引用)
「エンルン」は enrum だとして、「アフンテ」が何を意味するのか……というところですが、これは {ahun-te} で「{入りこませる}」でしょうか。

入江の名前だった「アフンルイ」

そして本題の筈の「アフンルイ」については、永田地名解に次のように記されていました。

Ahun rui   アフン ルイ   深ク入ル處 細キ岩間アリテ海濱ヨリ凡ソ二十間許リ入レ込ム處ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.493 より引用)
どうやら ahun-ruy で「入り込む・甚だしい」と解釈できそうな感じでしょうか。そして察しの良い方は既にお気づきかもしれませんが、これはどう考えても今の「アウンモイ」のことでは無くて、アウンモイの北にある岬とその間の入江のこと……ですよね。

答え合わせの意味も兼ねて、もう少し「戊午日誌」を見ておきましょう。

少し行
     ホンムイ
少しの湾也。廻り皆岩壁、中程に一ツの小滝有。シレトコより此辺まで皆岩黒く、是より西のかた皆赤くなるなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.48-49 より引用)
あー、やはり……。実は「アウンモイ」の北東に「ポロモイ」があり、両者はどちらも似たような地形なのですね(そして「ポロモイ」のほうが 3 倍近く大きい)。

たまたま現在「アウンモイ」と呼ばれる湾の北に「アフンルイ」があり、その名前がうっかり湾の名前に転用されてしまい、そして「ルイ」は「モイ」の間違いだとして「アフンモイ」という謎な地名が「創作」されてしまった、と考えられそうです。

それにしても、誰が「アウンモイ」という地名を創作したのか気になるところです。「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のようにあったのですが……

 アウンモイ 「アウン・モイ」(aun-moy)。アウン(入りこんでいる。ずつと奥へ入りこんでいる),モイ(湾)。「オンネ・アウンモイ」(onne Aunmoy)とも云う。オンネ(老いたる,親の)。「アウンモイの親湾」の義。
 ポン・アウンモイ (pon Aunmoy) ポン(若い,子の)。「アウンモイの子湾」の義。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.267 より引用)※ 原文ママ
陸軍図では「アウンルイ川」となっていたので、これだと知里さんが「アウンモイ」という地名を創作した可能性も出てきてしまいますね。知里さんは永田地名解をチェックしていた筈ですが、「アウンルイ川」の位置が移転していたということに気づかなかったとしたら、「この『ルイ』は『モイ』の間違いだ」と判断した可能性も出てくるわけで……。

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