2022年8月13日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (960) 「タキノ川・チャラセナイ川・カシュニの滝」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

タキノ川

so-ranke-pet?
滝・落とす・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
チャカババイ川の北で直接海に注いでいる川の名前です。道路は存在しませんが、河口付近には港湾施設と数件の番屋らしきものが見えます(「滝の下の番屋」と呼ばれているとのこと)。

早速ですが、「チャカババイ川」の回で作成した表を一部抜粋して再掲します。

「午手控」戊午日誌「西部志礼登古誌」東西蝦夷山川地理取調図明治時代の地形図斜里郡内アイヌ語地名解地理院地図
ルシャ(小川)ルシヤ(小川)ルシヤルサ川ルシャ川ルシャ川
レッパンヘツ(川)レツハンベツ(中川)??テッパンベツ川テッパンベツ川
?チヤカヲハニ(小川)チヤロカハエサカパパイ川チャカババイ川チャカババイ川
トシトルハウシトントルハウシ?ト゚ㇱト゚ルパウㇱ?
??ヘケ???
チャカヲハニ(小川)チヤカハヽイ*1チカホハニ???
トシトロハウシ?????
テケル(高崖)ヘケル*1(小川)テケル???
チヤラツセナイ(大滝)チヤラセナイ(大滝)ソランケペツチャラセイ?タキノ川
ホンユルシ(崖)ホンユルシ(岬)ホンエヲロシ*2?ウェン・エホルシ?

*1 「ヘケル」の別名が「チヤカハヽイ」とも読める。
*2 「ホンユルシ」の本名が「ホンエヲロウシ」との記載あり。但し「東西蝦夷山川地理取調図」では「チカホハニ」と「テケル」の間に「ホンエヲロシ」と描かれている。

各種の資料を読み合わせた限りでは、「東西蝦夷山川地理取調図」の「チヤラセナイ」が明治時代に「ソランケペツ」と呼ばれるようになり、それが和訳されて「タキノ川」になったと考えられます。so-ranke-pet で「滝・落とす・川」と読めますが、なぜ ran(落ちる)を他動詞化する -ke がついているのか、今ひとつ良くわからないですね……。

そして、そもそも「ソランケペツ」という川名がどこから湧いてきたのか……という点も気になる所ですが、「東西蝦夷──」をよく見ると「カハラヲワタラ」(=カパルワタラ)の東に「ソウランヘツ」という川が描かれていました。精査が必要ですが、現在「知床川」と呼ばれている川に相当する可能性がありそうです。

この「ソウランヘツ」について、戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

また過て
     シヨウランベツ
此処も高山の根転太石ごろたいし浜有。本名はプトソウウシベツと云、其口に滝が有ると云儀なる也。またソウランヘツと云は滝か落ると云儀なり。ソウは滝、ランは落ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.51 より引用)
やはり so-ran-pet で「滝・落ちる・川」と見て良さそうな感じですね。「タキノ川」の旧称と思しき「ソランケペツ」が ran ではなく ranke なのは、「滝が落ちる川」ではなく「滝を落とす川」なのだ、と言うことでしょうか。

肝心の「川名がシャッフルされた理由」については皆目不明ですが、松浦武四郎のうっかりミスなのか、それとも明治時代以降にうっかりミスがあったのか、どちらなんでしょう……?

チャラセナイ川

charasse-nay
すべり落ちている・川
(典拠あり、類型あり)
現在「チャラセナイ川」と呼ばれる川は、河口部に「カシュニの滝」を持つ川のことで、明治時代の地形図には「チャラッセナイ」と描かれています。懲りずに前回の表の抜粋から……。

「午手控」戊午日誌「西部志礼登古誌」東西蝦夷山川地理取調図明治時代の地形図斜里郡内アイヌ語地名解地理院地図
チヤラツセナイ(大滝)チヤラセナイ(大滝)ソランケペツチャラセイ?タキノ川
ホンユルシ(崖)ホンユルシ(岬)ホンエヲロシ*1?ウェン・エホルシ?
ウハシムイ(崖)ウハシムイ(岬)ウハシヲマイ?ウパショモイ?
エヘスカケウシ(崖穴)エベスカケウシ(湾)イエヘシニケウエウシ?チャロ・ワタラ・ウㇱ・モイ?
大岩サキホロシユマエンルン*2(大岩)????
?ホロワタラ*2(大岩)ホロワタニ??蛸岩?
チヤラセホロノホリ(高山)チヤラセホロノホリ??知床岳?
大瀧ホロソウ(滝)?チャラッセナイ?チャラッセイ?チャラセナイ川?
チヤラセホロ(洞窟)????
ハシュイワタラ(大岩)カシユニエンルン(大岬)???カシュニの岩
ハシュニ(岬)ハシユニ(岬)ハアシユニカㇱュウニカシュニ?
?カハラヲワタラ(大岩)カハラヲワタラカパルワタラ?カパルワタラ

*1 「ホンユルシ」の本名が「ホンエヲロウシ」との記載あり。但し「東西蝦夷山川地理取調図」では「チカホハニ」と「テケル」の間に「ホンエヲロシ」と描かれている。
*2 秋葉實氏は両者の順序が逆ではないかとしている。

……あ。「チャカババイ川」の回で作成した表には、明治時代の地形図に描かれていた「チャラッセナイ」の情報が抜け落ちていましたね……(すいません)。明治時代の「チャラッセナイ」は現在の「チャラセナイ川」と同じ位置だと見られるのですが、この川は戊午日誌「西部志礼登古誌」の「ホロソウ(滝)」に相当すると考えられます。

どうやら「チャラッセナイ」の名前は現在の「タキノ川」の位置から移転したと考えられるのですが、「ソランケペツ」も現在の「知床川」の位置から移転したと思われるため、3 つの川に跨がって川名がシャッフルされたということになるでしょうか。

改めて「カシュニの滝」の写真を見ているのですが、何と言うか……いかにも「滝を落とす川」と言った雰囲気ですよね……。ただ松浦武四郎は「ホロソウ」(poro-so)と「チヤラセホロ」(charasse-poru)という地名を記録しているため、やはりこの川は charasse-nay で「すべり落ちている・川」と見るのが正解でしょうか。

なお、「地名アイヌ語小辞典」の p.15 に「シャリ郡シレトコ半島」の Charassei の写真がありますが、この Charassei は「チャラセナイ川」の滝である「カシュニの滝」のことです(「斜里郡内アイヌ語地名解」でも「チャラッセイ」とありますね)。

カシュニの滝

kas-un-i-enrum?
仮小屋・ある・ところ・岬
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ということで「カシュニの滝」ですが、「地名アイヌ語小辞典」には「カシュニの滝」の写真の横に、次のように記されていました。

chárasse ちゃラㇱセ 【H 北】《完》上に同じ。~-i [すべり落ちている・者] 白糸滝(キタミ国シャリ郡内シレトコ半島)。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.15 より引用)
思いっきり「上に同じ」となっちゃってますが、前項には「chár-ar-se ちゃラㇽセ《完》」で「すべっている;すべり降りている」とあります。

これを素直に読み解くと、現在我々が「カシュニの滝」と呼んでいる滝を「白糸滝」と呼ぶ流儀があったように見えます。改めて明治時代の地図を見てみると、現在の「カシュニの滝」の位置に「チャラッセナイ」と描かれていて、「カパルワタラ」の陸側に「カシュウニ」と描かれています。「カパルワタラ」のあたりに「カシュウニ」という地名があった、ということになりますね。

戊午日誌「西部志礼登古誌」によると、「カハラヲワタラ」の至近に「ハシユニ(カアシユニ)」という岬があり、そこから 0.8 km ほど南西に「カシユニエンルン」があり、その先に「チヤラセホロ」(洞穴)があるように読めます(前項の表も参照ください)。

「チヤラセホロ」と「ホロソウ」のどちらが現在の「カシュニの滝」に相当するのか……という点に若干の謎も残りますが、ここでのポイントは
  • 「ハシユニ(カアシユニ)」と「カシユニエンルン」という地点があり、両者は 0.8 km ほど離れていた
  • 「カシュニの滝」は「カシユニエンルン」からそれほど遠くない
の二点でしょうか。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 カシュニ(kas-un-i) カㇱ(丸小屋,狩小屋),ウン(ある),イ(所)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.266 より引用)
「小屋」を意味する語としては kaskucha があり、kas が一時的なものであるのに対し、kucha は恒常的に維持される小屋のことだとされます。ただ上記の解では「一時的な」というニュアンスが削がれているようにも見えますね。

そして「ハシユニ」と「カシユニエンルン」という似て非なる地点が併存していた(と記録されている)件ですが、「カパルワタラ」のあたりに kas(仮小屋)があり、その近くの岬を kas-un-i-enrum で「仮小屋・ある・ところ・岬」と呼んだと考えれば筋が通るでしょうか。より正確には {kas-un-i}-enrum で「{カシュニ}・岬」とすべきかもしれません。

つまるところ、「カシュニの滝」や「カシュニの岩」のあたりには「仮小屋」は無かったんじゃないか……と思われるのですが……(「仮小屋」は「カパルワタラ」の近くにあったんじゃないか、ということです)。

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