2022年8月6日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (958) 「ルシャ・テッパンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ルシャ

ru-e-san-i
道・そこで・浜に出る・ところ
(典拠あり、類型あり)
ウトロと知床岬の中間あたりの場所で、ルシャ川が流れています。ルシャ川(斜里町)とルサ川(羅臼町)が流れる谷は「硫黄山」と「知床岳」の間の鞍部に相当するもので、最高地点である「ルサ乗り越え」でも標高 278 m ほどしかありません(国道 334 号の「知床峠」の標高は 738 m)。

厳密には「ルシャ」という地名は存在しないのかもしれませんが、知床観光船の折り返し地点として地名に類する使われ方をされている……との認識です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ルシヤ」という名前の川が描かれています。羅臼町の「ルサ川」に相当する位置にも同名の「ルシヤ」という名前の川が描かれている点に注意が必要でしょうか。

明治時代の地形図では、どちらの「ルシヤ」も「ルサ川」と描かれていました。現在は斜里側が「ルシャ」で羅臼側が「ルサ」となっていますが、これは意図的に表記を分けた……とかだったら面白いですね。

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

此処少し浜有、凡一丁計にして
     ル シ ヤ
此処小川一すじ。其両方少し浜有。沢目はレツハンヘツの沢と合て有る故に大きし。是より山越子モロ領ルシヤえ氷雪の上三里といへり。又従シレトコ是迄凡三里と云。
ルシヤの名義前に云ごとし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.54 より引用)
「子モロ領ルシヤえ氷雪の上三里」とありますが、ルシャ川河口からルサ川河口まで直線距離で 9 km 弱なので、「三里」(約 11.8 km)という数字はかなり正確なものに思えます。

「ルシヤ」の意味については「前に云ごとし」とありますが、戊午日誌「東部志礼登古誌」には羅臼の「ルサ川」について次のように記されていました。

廻りて
     ル シ ヤ
此処少しの浜有。其中に川一すじ有。是よりシヤリ領のルシヤえ土人共氷雪の上一日にて越るよし、よつて号るとかや。ルシヤは道路越の儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.26 より引用)
永田地名解には、斜里の「ルシャ」について次のように記されていました。

Rūsa (ni)   ルーサ   阪 「ルーサニ」ノ短縮語ナリ古ヘ此處ニアイヌ村アリテ東地ノ「ルーサ」ニ路ヲ付ケ互ニ往復セシ處ナリト云フ「ルシヤ」岳ハ此名ヲ取リテ名ケタルナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.492 より引用)
ん……? 確かに「知円別岳」の北東に「ルシャ山」が存在しますが、これは明治時代からそう呼ばれていたのでしょうか。

「ルシャ」の語源については、松浦武四郎は「道路越」とし、永田方正は「阪」としていますが、「ルーサニ」は ru-e-san-i で「道・そこで・浜に出る・ところ」と読み解けるので、要はどちらも同じことを言っていたと考えて良さそうですね。

テッパンベツ川

rep-wa-an-pet
沖・に・ある・川
(典拠あり、類型あり)
ルシャ川の北隣を流れる川の名前です。ルシャ川とテッパンベツ川の間は 400 m ほどしか離れていませんが、どちらの川も知床半島の脊梁山脈を水源とする、比較的大きな川です。

何故か「東西蝦夷山川地理取調図」には見当たりませんが、明治時代の地形図には「テツパンペツ」という名前の川が描かれていました。また戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

またしばしを過て
     レツハンベツ
中川也。此川ルシヤと合して一沢に成る也。川巾は凡一二間計、小石急流に成て落る。其訳はシレトコより第三番目の岬と成、其岬の内に有るが故に号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.54 より引用)
rep-番-pet で「三つ・番・川」ではないか……と読めますが、なんとも豪快な解釈ですね。ただ pan は「下の方の」とも解釈できるので、rep-pan-pet で「三つ・下の方の・川」と解釈することも可能……かもしれません(色々と疑わしいですが)。あるいは re-pan-pet で「三・下の方の・川」とも読める……かも?

沖にある……川?

永田地名解にはそれらしき川の記載が見当たりませんでしたが、「斜里郡内アイヌ語地名解」に記載がありました。

 テッパンベッ川 「レッパンペッ」(rep-wa-an-pet) 。「沖・にある・川」「内地の反対の方にある川」の義。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.266 より引用)
んー。「テッパンベツ」がどうやら「レッパンベツ」らしいと言うのは戊午日誌の記載からも裏付けられるのですが、「沖にある川」というのは意味が良くわかりませんね。沖にあるのは「島」か「岩」だと思うのですが……。

ただ、「斜里郡内アイヌ語地名解」をよーく読むと、直前の「ルシャ川」の項にこんなことが記されていました。

山を距てて東海岸にも「ルシャ川」があり,東西両海岸のアイヌがそれぞれ山越えして反対側の海岸へ出て来る道筋に当つていたからそう名づけられたのである。この川をアイヌは「ヤワンペッ」(ya-wa-an-pet)とも云つた。「陸の方に・ある・川」「内地の方にある川」の義。次項参照。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.266 より引用)※ 原文ママ
!!!!! なるほど、そういう意味でしたか……。「ルシャ川」の別名が ya-wa-an-pet で、その隣にある川(=テッパンベツ川)が rep-wa-an-pet で「沖・に・ある・川」だと言うことですね。

ya-wa-an-pet は「陸・に・ある・川」で、repya の対義語なので「沖・に・ある・川」ということになります。「陸」と「沖」はそのまま捉えるのではなく、「陸」は「斜里側」で「沖」は「知床岬側」と捉える必要があったというのがポイントだったようです。

「アイヌ語入門」では「止別川」が「テッパンベツ川」と対になる存在として言及されていました。これは……流石に離れすぎているようにも思えるのですが、どうなんでしょう。

仲良く並んだ「兄弟川」

前述の通り、テッパンベツ川は河口付近でルシャ川とほぼ並んで流れています。どちらも似た規模の川のため「兄弟川」と認識されたのでしょうが、どちらも海に直接注いでいるので「ペンケ」「パンケ」(川上側・川下側)と呼び分けるわけにもいかなかった……と言ったところでしょうか。

penke-panke- に似た表現で pe-na-wa-an-(山・のほう・に・ある)と pa-na-wa-an-(海・のほう・に・ある)というものがありますが、rep-wa-an-pa-na-wa-an- とほぼ同義と言って良さそうでしょうか。アイヌの地名は想像以上にスケールの大きいものも少なくないので、ちゃんと意図を理解できるようにしたいものです。

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