やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の
地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
カムイワッカの滝
kamuy-wakka
神・水
(典拠あり、類型あり)
硫黄山の北西を流れる「カムイワッカ川」の河口部にある滝の名前です。道道 93 号「知床公園線」は「カムイワッカ橋」で「カムイワッカ川」を渡っていますが、「カムイワッカ橋」の近くには「カムイワッカ湯の滝」があるとのこと。「カムイワッカの滝」と「カムイワッカ湯の滝」はどちらも「カムイワッカ川」に存在する滝ですが、両者は別物なんですね……(ややこしい)。
「東西蝦夷山川地理取調図」には「カモイワツカ」という地名(川名?)が描かれています。北隣には「タツコフソウ」という地名(おそらく滝の名前)が描かれていて、更にその隣には「タツコフノツ」という地名が描かれています。「タツコフノツ」は滝の北に位置する「小山のような形の岬」のことだと考えられそうですね。
戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。
並びて
カモイワツカ
峨々たる大岩壁に瀑布一すじ懸る。是も硫黄也。よつて神の水と云儀也。
kamuy-wakka は「
神・水」と見て間違い無さそうですね。カムイワッカ川は硫黄山の北西を流れていますが、「是も硫黄也」とあることから、このあたりは硫黄分を多く含む川がいくつも存在していたことが窺えます。
硫黄分を多く含む川が何故「神の水」なのかについては、「斜里郡内アイヌ語地名解」に次のように記されていました。
カムイ・ワッカ(kamuy-wakka) 「魔の水」。ここに滝があり,その水は毒気を含み飲用にならないのでこの名がある。
さすが知里さん、しっかりと意訳していましたね。「神の水」とは「人が近づくべきでは無い水」と捉えるべきものだったようです。もちろん温泉としての利用価値はあるのですが、飲用してはならない水なので、「畏敬して遠ざけるべき」という意味で「神の水」とした、ということなのでしょう。
ちなみに、カムイワッカの滝の東を流れる「ウンメーン川」の北東に「神恵水」という名前の三等三角点があるのですが、「三角点の記」によると「
神恵水」と読むとのこと。「
温根沼」のように「沼」を「とう」と読むケースは見たことがありますが、「水」を「わっか」と読むケースは初めてかも……?
「神の水」に「神恵水」という字を当てたセンスは中々のものですが、「恵」という字は本来の含意の逆を行くものとも言えるわけで、どうせだったら「畏」の字のほうが良かったんじゃないかな……と思ったりもします。
ウンメーン岩
onne-iso?
大きい・岩
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「カムイワッカの滝」の北東 1.7 km あたりに位置する洋上の岩礁の名前です。「ウンメーン岩」と「カムイワッカの滝」の中間あたりには「ウンメーン川」も流れていますが、この川名は地理院地図には記載されていません。
「東西蝦夷山川地理取調図」には(川の名前も含めて)それらしい名前が見当たりません。「午手控」や戊午日誌「西部志礼登古誌」にもそれらしい記録は見当たらず、明治時代の地形図にも見当たりません。
手元の資料で唯一言及があったのが「北海道地名誌」で、次のように記されていました。
ウンメーン岩 硫黄山の麓,海に突き出た岩。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「
北海道地名誌」北海教育評論社 p.458 より引用)
まぁ、そんなところでしょうね……。
手詰まり感が漂う中、
陸軍図を見ていたところ……、あっ。これは「ウンメーン岩」ではなく「ウンメー
ソ岩」と描かれているように見えますね。「ン」ではなく「ソ」となると、
-iso で「
水中の波かぶり岩」である可能性が出てきます。
となると「ウンメー」が何を意味するかが焦点となるのですが……そうですね。無理やりそれらしい解をひねり出すとすれば
rep-un-mo-iso で「
沖・にある・小さな・岩」で
rep- が省略されたとかでしょうか。「ウンモイソ」が「ウンメーソ」となり、「ウンメーン」に誤記されたのでは……というシナリオです。
あるいは「馬」を意味する
unma あるいは
umma という語(おそらく移入語)が道内のあちこちで記録されているので、
unma-iso で「
馬・岩」という可能性もある……かもしれません。岩の形を動物に見立てるのは現在でも良く見られるやり方で、もしかしたら明治以降にそういった呼び方が広まった(故に「戊午日誌」等には記録が無い)という可能性もあるかもしれません。
……などと想像を巡らせていたのですが、改めて「斜里郡内アイヌ語地名解」を眺めてみると、「カムイ・ワッカ」と「ウプシノッタ川」の間にこんな記載がありました。
イワウ・ヌプリ(iwaw-nupuri) イワウ(硫黄),ヌプリ(山)。硫黄山の原名。
夕ㇷ゚コㇷ゚・ノッ(tapkop-not) タプコプ(小山),ノッ(岬)。硫黄山の岬。
ヨコㇱペッ ヨコ・ウㇱ・ペッ(yoko-us-pet)。ヨコ(狙う),ウㇱ(いつも……する),ペッ(川)。「いつもそこで鮭を狙い突きする川」の義。
オンネ・イソ(onne-iso) 「大きい・岩」。
ウプシノッ (up-us-not) ウㇷ゚(トドマツ),ウㇱ(群生している),ノッ(岬)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)
あっ……! 「オンネ・イソ」が「ウンメーン岩」である可能性が出てきましたね。「オンネイソ」が「ウンメーソ」に化けたと考えるのも、決して不可能では無いような気が……。
onne-iso は「
大きい・岩」と考えられますが、前後関係を考えても「ウンメーン岩」よりも適切な岩が見当たらないような気がするので、「ウンメーン岩」のことを指していると考えても良さそうな気がしてきました。
改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると「ユンヘツシヨ」と描かれた場所があり、位置的にはこれが「ウンメーン岩」のことかも知れません。yu-un-pet-so で「湯・ある・川・岩」と読めそうですが、これが yu-un-nay-iso となり、「ユンナーソ」が「ウンメーン」に化けた(誤読された)可能性も無いとは言えない……かも。
ウソシオクベ川
upas-{ran-ke}-pet??
雪・{下ろす}・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
「ウンメーン岩」と「ウブシノッタ川」の間を流れる川の名前です。明治時代の地形図には「ウツシランゲペ」という川(あるいは地名)が描かれているのですが……いい感じにズレまくっていますね(汗)。
「東西蝦夷山川地理取調図」には「ルウサンヘツ」という川が描かれていて、戊午日誌「西部志礼登古誌」では「ルウサンケベツ」と記録されています。ただ前後関係を考えると、この「ルウサンケベツ」は現在の「ウンメーン川」のことかもしれません。
「ウツシ」と「ウソシ」のどっちが元の形に近いのか考えてみたのですが、どちらも違和感が残ります。近くを流れる「ウブシノッタ川」は
hup-us だと考えられるので、「ウツシ」あるいは「ウソシ」も「ウブシ」の誤記ではないかと考えてみたくなります。
ただ
hup-us-ranke-pet で「
トドマツ・群生する・下方にある・川」というのも……ちょっと違和感が残ります。「知床林道」を起点に考えると確かに「下方にある川」なんですが、アイヌは海側からこの川を眺めていた筈なので。
ranke ではなく
{ran-ke} で「
下ろす」と考えることもできそうですが、
hup-us-{ran-ke}-pet で「トドマツ・群生する・{下ろす}・川」というのも意味不明です。となると
hup-us- という仮定がやはり間違っているのでしょうか。
ここで思い出されたのが「斜里郡内アイヌ語地名解」のこの部分です。
キキロペッ(kikir-o-pet) 「虫・群居する・川」。
カムイ・ウパㇱ(kamuy-upas) 「神・雪」の義。ここに氷穴があつて, そこには年中雪があり,そこから夏でも雪を取つたという。
イヤッテ・モイ(iyatte-moy) イヤッテ(物を舟から陸揚げする),モイ(湾)。
カムイ・ワッカ(kamuy-wakka) 「魔の水」。ここに滝があり,その水は毒気を含み飲用にならないのでこの名がある。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)※ 原文ママ
これは「キキロペッ」(→「
イロイロ川」)と「カムイ・ワッカ」(→「カムイワッカ川」)の間に「カムイ・ウパㇱ」という地名があったと読めます。氷穴の存在を示唆するものですが、「ウソシオクベ川」のあたりにも氷穴があり、そこから雪を下ろしていたのではないか……と考えてみました。つまり
upas-{ran-ke}-pet で「
雪・{下ろす}・川」だったのではないか……と思ったのですが……。
よく考えてみれば
rup で「氷」を意味するので、「ルウサンケベツ」も
rup-sanke-pet で「氷を出す川」と読めそうな気がします。となるとやはり「ルウサンケベツ」=「ウソシオクベ川」なんでしょうか。
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