2022年7月31日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (957) 「ウブシノッタ川・ポンプタ川・ポンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ウブシノッタ川

up-us-not?
トドマツ・多くある・岬
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「硫黄山」から北に向かって流れる川で、知床林道の「硫黄山橋」があります。この川は山をとても深く切り裂いた地形を流れていますが、この地形はどのようにして形成されたのでしょう……?(火砕流とかでしょうか)

このあたりでは規模の大きい川ですが、過小評価されていたのか、明治時代の地形図には川名が見当たりません(「ウツシランゲペ」が実際よりも大きく描かれているため、認識に誤りがあったことが窺えます)。

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

しばし過て
     フブウシノツ
此処少しの出岬に椴の木多きより号る也。フブは椴の事、ウシは多し、ノツは岬也。此処より廻りて
     シルトカン
少しの小石浜、上高山に成りたり。またしばし過て小浜有
     フブウシナイ
同じく椴木立陰森たる故に号る也。川有。是え硫黄流れ来るが故に其川水白くなりて、石等皆硫黄に染たり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.56 より引用)
この記録を見る限り、「フブウシノツ」という岬と「フブウシナイ」という川が別々に存在するように見えます。両者の間は「またしばし過ぎて」とあり明確ではありませんが、「午手控」には「廻りて二丁計」と明記されています。「二丁計」ということは 200 m ちょいということになるので、まぁ誤差の範囲でしょうか。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ウプㇱノッ(up-us-not) ウㇷ゚(トドマツ),ウㇱ(群生している),ノッ(岬)。
 ウプシノッタ川 ウプㇱノッ岬の所に流れ出ている川。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)
ウブシノッタ川が海に注ぐあたりには大きな三角州が形成されていて、この三角州を up-us-not で「トドマツ・多くある・岬」と呼んだと考えられます。不思議なことに川名には「タ」がついているのですが、これは永田地名解の記録がヒントになるでしょうか。

Upush not  ウプㇱュ ノッ  蝦夷松岬 「フプウㇱュノト゚」ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.492 より引用)
あー。up-us-notup-us-{not-etu} で「トドマツ・多くある・岬・鼻(突端)」だったんじゃないかという説ですね。「ウプㇱノテトゥ」が「ウプㇱノッタ」に転訛したというのも、確かにありそうな感じがします。

あるいはもしかしたら up-us-not-an-nay で「トドマツ・多くある・岬・そこにある・川」だったのが、-nay が欠落して up-us-not-an になった……あたりかもしれません。

ポンプタ川

pon-up-us-not?
小さな・トドマツ・多くある・岬
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「ウブシノッタ川」と「ルシャ川」の間には「ポンプタ川」と「ポンベツ川」が流れています。「ポンプタ川」は地理院地図での表記で、国土数値情報では「ボンブタ川」となっているようです。

このあたりは妙に似通った地名が多くて訳が分からなくなるので、表にまとめてみました。

戊午日誌
「西部志礼登古誌」
東西蝦夷
山川地理取調図
明治時代の地形図斜里郡内
アイヌ語地名解
地理院地図
フブウシナイ(川)フフウシナイ?ウプシノッタ川ウブシノッタ川
シルトカン(小石浜)???
フブウシノツ(出岬)??ウプㇱノッ?
?ホンフフウシポウプシポヌプㇱノッポンプタ川?
シユフニウシ(小川)シユフンウシ?ポンシュプヌニポンプタ川?
シラリヤ(大岩磯)?シラリヤケ?
ホンベツ(川)ホンヘツ?ポン・ペッポンベツ川
シヨシヨ(小石浜)???
ルシヤ(小川)ルサ川ルシャ川

あー、やはり……。戊午日誌「西部志礼登古誌」の記録と「斜里郡内アイヌ語地名解」を突き合わせてみたのですが、「ポンプタ川」のところだけ少しモヤッとするんですよね。最も謎なのが「東西蝦夷──」に描かれている「ホンフフウシ」が「西部志礼登古誌」に出てこないところで、これは「午手控」でも同様です。

もっとも、この問題は「ホンフフウシ」と「シユフンウシ」が同一の地点を指していると考えれば全て解決するという話もあります。supun-us-i と呼ばれる川のすぐ近くに pon-up-us-not と呼ばれる岬があったのではないか……という考え方です。

別の言い方をすれば、「ポンプタ川」に相当する川は supun-us-i で「ウグイ・多くいる・もの(川)」ですが、近くに pon-up-us-not で「小さな・トドマツ・多くある・岬」があり、「ポヌプㇱノッ」が「ポンプタ」に誤記されてしまった……となるでしょうか。

問題の「ポヌプㇱノッ」と「ポンシュプヌニ」について、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ポヌプㇱノッ(pon Upusnot) ポン(子の,小さい)。ウプㇱノッ岬を親岬と考え,それに対してこれをその子岬と名づけたのである。
 ポンシュプヌニ(pon-supun-un-i) ポン(小さい),シュプン(ウグイ),ウン(いる),イ(所)。「シュプン・ペッ」(supun-pet) 「ウグイ・川」(『知床日誌』)。小川なのでポンを冠したのであろう。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265-266 より引用)
あー。supun-us-i が「ポンプタ川」に化ける途中で pon-supun-un-i を経由していたということですね。知里さんは「小川なのでポンを冠したのであろう」と推察していますが、pon-up-us-not とミックスしたとも考えられそうです。

ポンベツ川

pon-pet
小さい・川
(典拠あり、類型多数)
謎の「ポンプタ川」と「ルシャ川」の間を流れる川です。途中で二手に分かれていて、東側の支流は「大岩川」とのこと。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホンヘツ」とあり、戊午日誌「西部志礼登古誌」には「ホンベツ」と記録されています。「斜里郡内アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 ポン・ペッ(pon-pet) 「小さい・川」の義。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265-266 より引用)
どうやら素直に pon-pet で「小さい・川」と見て良さそうですね。pon-pet があるということは poro-pet あたりがあっても良い筈ですが、近くにそれらしい川は見当たりません。憶測ですが、supun-us-iporo-pet で、似た特徴(=ウグイが多い)を持つために pon-pet と呼ばれた……あたりかもしれません。

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