いや~、やっぱ特急列車は快適ですわぁ(ぉぃ)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。
大泊駅
「木本トンネル」を抜けて大泊駅にやってきました。熊野市駅からは 2.4 km しか離れていませんが、間の地形が険しいこともあってか、雰囲気がガラっと変わりましたね。この大泊駅は 1 面 2 線の島式ホームのように見えますが、ホームの南側に現存する線路は保線用車輌が置かれる線路のため、駅としては 1 面 1 線で列車交換のできない構造です。ただ、かつては 1 面 2 線の構造だったため、駅舎はホームの東側に設置されています。
かつて構内踏切が存在したものの、踏切を横切る線路が無くなってしまったため、踏切としては廃止された……ということになりますね。
大泊駅については日本最長路線バスの旅(番外編)#4 「生まれながらの無人駅」もご覧ください。
波田須駅
国鉄の「紀勢西線」は 1940 年に熊野市駅(当時は大泊と
波田須にやってきました。前述の通り、紀勢本線(当時は「紀勢西線」)の熊野市(当時は「紀伊木本」)から新鹿までが開通したのは 1956 年ですが、波田須駅が開業したのは 1959 年に紀勢本線が全通した後の 1961 年です。路線開通後に追加された駅ということで、1 面 1 線のシンプルな棒線駅となっています。
波田須駅については日本最長路線バスの旅(番外編)#4 「生まれながらの無人駅」もご覧ください。
新鹿駅
波田須と新鹿の間には 2 本のトンネルがあり、長いほうは「甫本トンネル」という名前のようです。新鹿駅の南に「甫本トンネルを抜けると、眼前に「新鹿湾」の海が広がります。美しい砂浜が広がっていますね。
この砂浜は「新鹿海水浴場」のようで、砂浜の砂は手前に見える「里川」が運んでくれているようです。
新鹿で新宮行き 333C とすれ違います。333C は特急「ワイドビュー南紀 8 号」とすれ違うため、新鹿に 11 分停車していたようです。もしかしてターミナル駅の隣の駅で列車交換を行うのがセオリーなのでしょうか……?
それはそうと、ホームの高さが随分と低いのが気になりますね……。
新鹿駅の駅舎は大泊駅とそっくりですが、どちらも 1956 年に路線延伸した際に設置された駅なので、似ているのも当然……なんでしょうか。
1959 年に紀勢本線が全通する前は「紀勢西線」と「紀勢東線」に分かれていましたが、以前は新宮鉄道をルーツとする「紀勢中線」もありました。1940 年に串本-江住間が開通したことで「紀勢中線」の孤立状態は解消され、紀和(当時は「和歌山」)-熊野市(当時は「紀伊木本」)間が「紀勢西線」を名乗ることになります。
戦後の 1956 年に「紀勢西線」は新鹿まで延伸されますが、結果的に新鹿駅が「紀勢西線」の最東端ということになりました。別の言い方をすれば、新鹿と三木里の間の開業が最も後回しになった、となりますね。
新鹿駅については日本最長路線バスの旅(番外編)#4 「生まれながらの無人駅」と日本最長路線バスの旅(番外編)#5 「公的インフラとしての鉄道」もご覧ください。
二木島駅
新鹿を通過すると長い右カーブを抜けて再びトンネルに入ります。2534 m の「逢神坂トンネル」を抜けると間もなく
二木島湾は山に囲まれた「天然の良港」のようで、海水浴場は無いかわりに漁港として活用されている……と言えそうでしょうか。
二木島駅については日本最長路線バスの旅(番外編)#5 「公的インフラとしての鉄道」もご覧ください。
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