(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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エエイシレド岬
(典拠あり、類型あり)
知床五湖の北に位置する岬の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「テシレト」という名前の岬が描かれていますが、「エエイシレド」とは随分と違いがあるのが気になるところです。「テシレト」は「ヲシレト」?
戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。しばし過て
ヲシレト
是恐らくは余が浪の音にて聞誤りにて、後聞にウエンシレトと云り。是第四番の岬にてヲシユンクシエンルンと対峙して一湾をなす。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.59 より引用)
ふむふむ。どうやら「テシレト」は「ヲシレト」の誤字のようで、しかも「ヲシレト」は「多分自分の聞き間違い」で本当は「ウエンシレト」らしい……とのこと。誤りを素直に認める姿勢は素晴らしいですよね。また一説にヲシレトは汐早きによつて号ると云り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.59 より引用)※ 原文ママ
おや、これはどう解釈すれば……?「テシレト」は「エエイシレト゚」の間違い?
永田地名解には次のように記されていました。Eei shiretu エエイ シレト゚ 尖岬 「エエイ」ハ尖リタルノ義日高膽振國「アイヌ」ガ「エエン」ト云フニ同ジ「ウエン」ヲ「ウエイ」ト云ヒ「ポン」ヲ「ポイ」ト云フガ如シ、松浦日誌ニ「テシレト」トアリテ沙急ナル岬ト説キタルハ甚ダ誤ルドヤ顔の永田さんが登場ですが、内容は割とマトモな感じがします(「汐」が「沙」に化けているような気がしますが、そこはスルーの方向で)。
e-en-{sir-etu} で「頭・とがった・{岬}」ですが、s の前に来た n は y に変化するため、e-ey-siretu で「エエイシレトゥ」となる、ということですね。wen- が wey- になったり pon- が poy- になるのも同じ考え方です。
ちなみに「岬」を意味する sir-etu は「大地・鼻」に分解できるとのこと。
「ウェイシレト゚」の別名が「エエイシレト゚」?
永田方正は松浦武四郎の記録を「甚だ誤る(ドヤ)」としていましたが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。ウェイ・シレト゚(wey-siretu) 「けわしい・岬」の義。或は「エエイ・シレト゚」(eey-siretu) 「尖つている・岬」であるともいう。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)※ 原文ママ
意外なことに「ウェイシレト゚」を正として両論併記していました。明治時代の地形図などを見た限りでは何れも「エエイシレト゚」となっていただけに、これは意外と言うしか無いような……。「とんがり岬」
「午手控」には次のような注釈が追記されていました。エエイシレト岬。ウエンシリエト 悪い岬(この岬を境に潮流が変わるので)。エエイシリエト 尖っている岬。の二説があるが「尖り岬」が採られている
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 五」北海道出版企画センター p.290 より引用)
ここまで出てきた説が綺麗に整理されていますね。wey-siretu については「険しい岬」と解釈できますが、潮の流れが変化することに注意が必要な「悪い岬」だったのでは……とのことですね。これは戊午日誌の「汐早き」説をうまく回収した解釈とも言えそうです。この wey-siretu の別名が e-en-siretu ですが、より具体的に地理的形状を言い表している e-en-siretu が多く使われるようになり現在に至る……ということでしょうか。
イダシュベツ川
(典拠あり、類型あり)
知床五湖の北東を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「イタシヘウニ」という地名?が描かれています。明治時代の地形図にも「イタㇱュペウニ」とありますが、陸軍図の時点で「イタシュベツ川」に名前が微妙に変化してしまったようです。そして「ㇱュ」という謎な表記があったということは、永田地名解にも記載があったということで……
Itashbe uni イタㇱュベ ウニ 海馬居ル處 今ハ沖ニ居リテ此處ニ來ラズ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.491 より引用)
どうやら etaspe で「トド」を意味するとのこと。etaspe-un-i で「トド・居る・ところ」となるようですね。etaspe-un-i の近くを流れる川を etaspe-pet と呼ぶようになり、「エタシュペペッ」が「イダシュベツ」に化けた……と言ったところでしょうか。なお「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
エタㇱペ・ワタラ(etaspe-watara) 「海馬・岩」の義。「エタㇱペウニ」(etaspe-un-i)「海馬・いる・所」の義。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)※ 原文ママ
どうやら etaspe-us-i を etaspe-wátara と呼ぶ流儀もあったようですね。wátara は「岩」を意味する雅語とのことで、「アイヌ語沙流方言辞典」によると「角の立った大きなゴロゴロした石」とのこと。なお余談ですが、知床五湖の「四湖」の北、エエイシレド岬の東に「板止別」という三等三角点があります(標高 234.5 m)。やはりと言うべきか、これは「イタシベツ」と読むとのことです。
イロイロ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
イダシュベツ川とカムイワッカ川の間を流れる川で、上流部に道道 93 号「知床公園線」の「比較的小さな川だからか、明治時代の地形図や陸軍図には川名が見当たりません。「東西蝦夷山川地理取調図」には「イタシヘウニ」(=イダシュベツ川)と「カモイワツカ」(=カムイワッカ川)の間に「ヲキシカルシヘ」と「エヤラムイ」という地名?が描かれていました。
「斜里郡内アイヌ語地名解」には、「イタシュベツ川」と「カムイワッカ川」の間について、次のように記されていました。前後関係を把握するため、ちょいと長めに引用します。
エタㇱペ・ワタラ(etaspe-watara) 「海馬・岩」の義。「エタㇱペウニ」(etaspe-un-i)「海馬・いる・所」の義。
ペセパキ(pes-epaki) ぺㇱ(絶壁),エパキ(突端)。「絶壁の突端」の義。
キキロペッ(kikir-o-pet) 「虫・群居する・川」。
カムイ・ウパㇱ(kamuy-upas) 「神・雪」の義。ここに氷穴があつて, そこには年中雪があり,そこから夏でも雪を取つたという。
イヤッテ・モイ(iyatte-moy) イヤッテ(物を舟から陸揚げする),モイ(湾)。
カムイ・ワッカ(kamuy-wakka) 「魔の水」。ここに滝があり,その水は毒気を含み飲用にならないのでこの名がある。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)※ 原文ママ
ではここで問題です。この中で「イロイロ川」はどれでしょう?イロイロあるように見えますが(ぉぃ)、よーく見ると「川」は一つしかありません。どうやら「イロイロ川」の正体は「キキロペッ」のようですね。
こんな調子で「キキロペッ」=「イロイロ川」と推定していいのか……と思われるかもしれませんが、幸いなことに「北海道地名誌」にも次のように記されていました。
イロイロ川 カムイワッカ川より斜里寄りの小川。アイヌ語「キキロペッ」(虫の多い川)の訛かと思われるが不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.456 より引用)
もしかしたら同じやり方で推定しただけかもしれませんが……(汗)。とりあえず「イロイロ川」は kikir-o-pet で「虫・多くいる・川」と見て良い……でしょうか?(誰に聞いている)www.bojan.net
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