(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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チャラッセナイ川
(典拠あり、類型多数)
「オシンコシンの滝」のある川の名前です。現在は川の名前が「チャラッセナイ川」で滝の名前が「オシンコシンの滝」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」では「ヲシユンクン」という地名(岬の名前かも)が描かれていて「チャラッセナイ」に相当する名前は見当たりません。明治時代の地形図は「オシュン
陸軍図では「オシンコシン崎」と「チャラッセナイ川」として描かれていました。どうやら川の名前は「チャラッセナイ川」で、「オシンコシン」は岬の名前だったものが滝の名前としても使われるようになった……というのが正解かもしれません。
永田地名解には次のように記されていました。
Charatse nai チャラッセ ナイ 岩山ヨリ落ル水なんとまさかの「全部のせ」でした。南から順に地名を拾っているように見えますが、陸軍図では「オペケプ川」と「チャラッセナイ川」の間(=チャラッセナイ川の南)に「チブスケ」という地名?が描かれています。「チピシケイ」は「チブスケ」のことだと思われるので、少々順序がおかしくなっているようにも見えます。
Chipishikei チピシケイ 舟積セシ處 破舟板ヲ舟積セシ處今岩トナリシト云フ「チプシケオロ」ト云フモ同義ナリ
Yoko ushi ヨコ ウシ 槍ヲ以テ魚ヲ覘フ處 「ヨコ」トハ覘フノ義、矢ヲ弓ニ注ギテ覘フモ亦「ヨコ」ト云フ
O shunk ushi オ シュンㇰ ウシ 蝦夷松多キ處
なんだか少しややこしい話になってしまいましたが、「オシンコシンの滝」のある川の名前は「チャラッセナイ川」だという点はほぼ共通しています。「斜里郡内アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。
チャラッセナイ「チャラッセ」(すべり落ちる),「ナイ」(川)。滝をなして流れ下る川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262-263 より引用)
やはり charasse-nay で「すべり落ちる・川」と見て良さそうです(本題は一瞬で終わるのね)。オショコマナイ川
(典拠あり、類型あり)
「オシンコシン崎」と「弁財崎」の中間あたりで海に注ぐ川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲシヨマコエ」と描かれています。明治時代の地形図は「オシヨロマナイ」と描かれているものと「オシヨコマナイ」と描かれているものがあるようです。戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。
凡十余町にて
ヱシヨコヲマナイ
むかし土人等敷たるキナ莚を此川え投入れしによつて号るとかや。惣て土人等の号し処、何の訳無 事の様に思はるれども、恐らく哉其キナを投入れしは名有る豪勇か何かとぞ思はるなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.66 より引用)※ 原文ママ
「(草で編んだ)永田地名解には次のように記されていました。
Oshokoma nai オシヨコマ ナイ 瀧ノ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.490 より引用)
いかにも永田地名解らしいざっくりした解釈ですが、「ゴザを投げ入れた川」と比べると随分と現実的な解釈に近づいたような気もします。一方でこういった「ざっくり解釈」を徹底的に批判していた知里さんがどう考えたかと言えば……オショコマナイ 「オ」(川尻),「ショ」(岩盤),「カ」(の上),「オマ」(にある),「ナイ」(川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.263 より引用)
o-so-ka-oma-nay で「河口・岩盤・の上・にある・川」ではないかとのこと。so が「滝」ではなく「岩盤」となっていますが、まぁ本質的には同じと見て良さそうですね(「岩盤の上を流れ落ちる」=「滝」と言えるので)。「カジカ」を意味する esokka という語があるので、esokka-oma-nay で「カジカ・そこにいる・川」と解釈することも可能ではないかとも考えてみました。ただ知床のあたりにはカジカが生息していないようにも思われるので、実際にはあり得ない解釈かもしれません。
ベンザイアサム岩
(? = 典拠あり、類型未確認)
「オショコマナイ川」の北東に「弁財崎」という岬があり、その沖に「ウカウプ岩」と「ベンザイアサム岩」という岩礁があります。「ベンザイアサム岩」は「弁財崎」の西に位置しています。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき岬が見当たらないように思えます。「ヲシユンクシエト」という岬が描かれているものの、これは現在の「チャシコツ崎」に相当する可能性が高く、また「ヲシユンクシエト」という名称は「オシンコシン崎」と混同している可能性が高そうに思えます。
「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
ベンザイアサム 「ベンザイ」(弁財船),「アサム」(底)。アイヌの祖神サマイクルの舟がここで壊れてその舟底(ムダマ)がここに沈んで岩となつたという伝説がある。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.263 より引用)※ 原文ママ
benzai-asam で「弁財船・底」ではないかということですね。和語とアイヌ語の合成地名と言えそうですが、そういえば永田方正さんが「『間宮林蔵がこのあたりの無名の土地に名前をつけた』と聞いた」というアイヌの伝承を記していたのを思い出しました(参考)。最初は真偽不明だなぁと思っていたのですが、地図で「ベンザイアサム岩」を見かけて「あっ」と思ったんですよね。なお、文中の「ムダマ」はアイヌ語では無さそうで、「北海道方言辞典」によると「船底の竜骨用木材」を意味する方言とのこと。この地名は本当に間宮林蔵が一枚噛んでいる可能性があるかもしれませんね。
ウカウプ岩
(典拠あり、類型あり)
「弁財崎」の北西、「ベンザイアサム岩」の北東に位置する岩礁の名前です。戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。過て
ウカヲフ
一ツの岬有。此岬材木石簇々と積重りて一岬をなして海中に突出す。また其浜は黒白の石奇麗に敷たるが故に此名有りと云へり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.66 より引用)
これはどうやら「弁財崎」のことのようで、「弁財崎」の旧名が「ウカヲフ」だった可能性がありそうです。永田地名解には次のように記されていました。
Ukaup ウカウㇷ゚ 岩石重リタル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.490 より引用)
これは妥当な解釈のように思えます。この ukaup は「地名アイヌ語小辞典」によると次のように解釈できるとのこと。ukaup, -i ウかウㇷ゚ 岩石が重畳している所。 [<u(互)ka(の上)o(に群在する)-p(もの)]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.135 より引用)
松浦武四郎は「材木石簇々と積重りて」と記していますが、この「材木石」は「柱状節理」のことなのかもしれません。「ウカウプ岩」の「ウカウプ」は ukaup で「岩石が重畳している所」を意味し、諸々の記述から考えると、「弁財崎」のあたりに柱状節理があり、それが沖合の岩の名前として残った……という可能性もありそうです。www.bojan.net
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