2022年7月3日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (949) 「ウヌコイ川・真鯉・チプラノケナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ウヌコイ川

ununkoy
(行き止まりの)断崖
(典拠あり、類型あり)
オショバオマブ川の北東を「金山川」という川が流れています。この川は元々は「オクルヌシ」という名前で、o-kuruni-us-i で「そこに・ヤマナラシ・群生する・ところ」との説があります(知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』p.262)。この「金山川」は上流部で「大滝沢」と「ウヌコイ川」に分かれていて、南西側が「大滝沢」で北東側が「ウヌコイ川」です。

明治時代の地形図を見てみると、大半が河口部に川の名前が記されているのみなのですが、不思議なことにこの「ウヌコイ川」だけは「ウヌンコイ」として名前が明記されています。余程特別な意味があるのでしょうか……?

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲン子ヘツ」(=オンネベツ川)の支流として「ウヌンコトイ」という川が描かれていました。戊午日誌「西部志礼登古誌」には「ウヌンコイ」あるいは「ウヌンコトイ」についての言及が無いため、これ以上の詳細については不明です。

永田地名解にもそれらしい川の記録が見当たりませんが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ウヌンコイ(金山川の奥) 峡谷の義。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)
実にあっさりとした記述ですが、「地名アイヌ語小辞典」の内容がフォローになりそうです。

ununkoy, -e ウぬンコィ ①川の両岸が狭い断崖になっていて,川伝いに登って行った人がそこから先へは通りぬけることができず引きかえさねばならぬような地形。②両方から山が出てきてその間に挟まれた狭い土地。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.136-137 より引用)
あー、これはまさに……。「ウヌコイ川」は「①」の「川伝いに登って行った人が──引きかえさねばならぬような地形」と言えそうです。要は「行き止まり注意」と言ったところで、狭い上に山越えもできない=立ち入る価値が無いとして「気をつけるべき川」だったので、山奥の支流なのに名が知られていた……あたりでしょうか。

ununkoy 自体は u-nun-koy と考えられるようで、逐語的に解釈すると「互い・吸う・波」となるのでしょうか。具体的にどういうことなのか今一つピンとこないですが、地形としては「小辞典」に記載のあるような場所が該当する……ということで、「ウヌコイ川」も ununkoy で「(行き止まりの)断崖」と解釈して良いかと思います。

真鯉(まこい)

mak-oo-i?
奥・深い・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
オチカバケ川の南西にある「日の出大橋」から「オシンコシンの滝」のあたりまでの約 10 km ほどが「斜里町字真鯉」です。「金山川」の 1 km ほど北東に「真鯉沢」という川がありますが、明治時代の地図ではこの川の名前を確認できません(川の名前が描かれていないため)。

戦前の「陸軍図」には現在の「真鯉沢」の位置に「マコイ澤」と描かれていました。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「マクヲイ」という地名(川名?)が描かれていました。「ヲン子ヘツ」(=オンネベツ川)と「ヲクニウシ」(=金山川)の間に描かれていますが、これは現在の「真鯉沢」も同様です。

和語・アイヌ語折衷説

永田地名解には次のように記されていました。

Maku-o-i   マクオイ   幕ヲ張リタル處 岩アリテ土塁ノ如シ昔義經幕ヲ張リシ其跡土塁ノ形ニナリタリト云ヒ傳フト松浦氏知床日誌ニモ見エタリ「シヤリ」ノアイヌ「ウンマタ」ト云フ者年既ニ八十餘歳、同人云フ余幼年ノ比間宮林蔵ヲ見タリ實父某曾テ云フ地名ナキ處ハ間宮氏自ラ地名ヲ附シ地圖ニ記載シタル事多シト此ノ「マクオイ」等モ間宮氏ノ附シタル名ナリト云フ「マク」ハ和語ニシテ「オイ」ハアイヌ語ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.489 より引用)
自説に確信が持てないと饒舌になる……というのは人のことは言えないのですが(汗)、これも中々のものですね。「ここで義経が幕を張ったので『マクオイ』だ」と言うのですが、確かに戊午日誌「西部志礼登古誌」にも次のように記されていました。

     ホロナイ  マクヲイ
小川有。此処近年まで番屋有りし由、今はなし。然し時々鱒漁のよろしき時は出稼するよし也。此処に昔し判官様幕を張しよし、よつて号るとかや。本名マクウヨヱと云よし。是より道よろし。沙浜に成る。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.70 より引用)
永田地名解は「マク」が和語で「オイ」がアイヌ語ではないか……としましたが、この仮説を補強する情報として「『この辺の地名は間宮林蔵が命名したものが多い』とじっちゃんが言ってた」という「アイヌの古老の証言」を追記していました。

間宮林蔵は松浦武四郎よりも前の世代の人物なので、時系列的な整合性は担保されているものの、「義経伝説」自体が虚構だと考えられるので、やはりこの説は疑ってかかるべきでしょうか。

「奥が深い」説

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 マコイ「マㇰ・オオ・イ」(mak-oo-i 奥・深い・所)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)
mak-oo-i で「奥・深い・もの(川)」ではないかとのこと。そうなんですよね。何も mak を「幕」と考えなくても、普通に解釈できるわけで……。ただこの説にも疑問点がいくつかあって、「深い」を意味する ooooho と同じく「水かさが深い」意味だとされます。「深く掘れた地形」であれば rawne を使うのが一般的で、このあたりでも「オライネコタン川」という実例があります。

もっとも、oo (ooho)rawne の意味で使うケースも「オオナイ川」という実例がある……とも言えるので、この疑問点は決定的なものでは無いのかもしれません。

ただ、現在の「真鯉沢」(陸軍図では「マコイ澤」)は流長が 2 km に満たない短い川で、そもそも mak(「奥」、あるいは「後背」)に何かがあるような川とは思えないのですよね。「真鯉沢」の北東にある「丸木沢」か、あるいはその隣を流れる川名不詳の川は上流部で流路が若干曲がっているように見えるので、本来の「マコイ」は現在の「真鯉沢」では無かった可能性もありそうです。

チプラノケナイ川

chip-{ran-ke}-nay
舟・{下ろす}・川
(典拠あり、類型あり)
川の名前については「地理院地図」よりも、国土数値情報をプロット済みの「OpenStreetMap」のほうが粒度が細かい印象があるのですが、OpenStreetMap では何故か「金山川」と「オンネベツ川」の間には「チプラノケナイ川」しか描かれていません(「真鯉沢」や「丸木沢」などが見当たりません)。

もっともこれは「真鯉沢」と「丸木沢」を川と同じフォントで表記している地理院地図がおかしいのかもしれませんが……。

明治時代の地形図には、現在の「チプラノケナイ川」と思しき位置に「ポンペツ」という川が描かれていて、南西隣に「チプランケナイ」という川が描かれていました(これは前項で記した「丸木沢」の北東隣を流れる川名不詳の川と同一です)。

「東西蝦夷山川地理取調図」や戊午日誌「西部志礼登古誌」、永田地名解などにはそれらしい川が見当たりませんが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 チㇷ゚タンケナイ チㇷ゚ランケナイ。「チㇷ゚・ランケ・ナイ」(chip-ranke-nay 舟を・下す・所)。この奥で丸木舟をつくりこの川から海へ下げた。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)
どうやら「ラノケ」は「ランケ」の間違いのようで、chip-{ran-ke}-nay で「舟・{下ろす}・川」と考えて良さそうですね。釧路町の「重蘭窮ちぷらんけうし」とほぼ同じでしょうか。

「チプランケナイ」と「丸木沢」

chip は「舟」ですが、より具体的には「丸木舟」だと思われます。となると「丸木沢」との関係が気になるわけで、明治時代の地形図に描かれた川名と現在の川名の対照表をつくるとこんな感じなのですが……

明治時代の地形図陸軍図地理院地図OpenStreetMap
オクルヌシ金山川金山川金山川
(川名不明)マコイ澤真鯉沢(記入なし)
(記入なし)(記入なし)丸木沢(記入なし)
チプランケナイ(記入なし)(記入なし)(記入なし)
ポンペツ(記入なし)(記入なし)チプラノケナイ川
オン子ペツ遠音別川オンネベツ川オンネベツ川

ただ、明治時代の地形図には「オクルヌシ」と「オン子ペツ」の間に川が 3 つしか描かれていないので、実は次にように解釈することもできてしまうのかもしれません。

明治時代の地形図陸軍図地理院地図OpenStreetMap
オクルヌシ金山川金山川金山川
(川名不明)マコイ澤真鯉沢(記入なし)
チプランケナイ(記入なし)丸木沢(記入なし)
ポンペツ(記入なし)(記入なし)チプラノケナイ川
オン子ペツ遠音別川オンネベツ川オンネベツ川

あくまで仮定の域を出ませんが、もしかしたら「チプランケナイ」は現在の「丸木沢」のことだったのかも……というお話でした。

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