2022年7月2日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (948) 「オチカバケ川・オタモイ川・オショバオマブ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オチカバケ川

o-chikap-ewak-i
そこに・鳥・住んでいる・ところ(川)
(典拠あり、類型あり)
斜里町知布泊の 1.5 km ほど北東を流れる川の名前です。明治時代の地形図には「オチカパケ」という名前の川?が描かれていました。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲチカヲマイ」という地名?が描かれていました。一方で戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

過て小石原、其(を)こへて
     ヲチカバケ
小川有。上に少しの沼様の処有りと。往昔より鴨必ず年々此処にて卵をなすが故に此名有るよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.70 より引用)
ちらっと確かめた限りでは、斜里のオチカバケ川の上流部には、沼あるいは湿原に類する場所は見当たらないように思えます。羅臼にも「オッカバケ川」という川があり、こちらの源流部には湿地らしき場所が描かれているのですが……。

永田地名解には次のように記されていました。

Ochikapake,=Ochikap-ewake  オチカパケ  鷲ノ栖 「チカパケ」ハ「チカプエワケ」ノ短縮語
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.489 より引用)
松浦武四郎は「鴨」と記していて、一方で永田方正は「鷲」と記しています。「斜里郡内アイヌ語地名解」はどう記していたかと言いますと……

 オチカパケ「オチカペワキ」の訛り。「オ・チカㇷ゚・エワㇰ・イ」(o-chikap-ewak-i そこに・鳥が・住んでいる・所)。通称「鷲の巣」。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.261 より引用)
一見、永田地名解を全肯定しているようですが、実はちゃんと chikap-ewak がリエゾン(連声)するようにカナ表記を直してあるのが流石ですね。

「オチカバケ川」は o-chikap-ewak-i で「そこに・鳥・住んでいる・ところ(川)」と見て良さそうでしょうか。「東西蝦夷──」の「ヲチカヲマイ」は他の記録と少しニュアンスが異なりますが、o-chikap-oma-i で「そこに・鳥・そこにいる・ところ(川)」と読めるので、意味はほぼ変わらないっぽいですね。

他の資料と異なる形での記録が、結果として本来の解釈を補強するチェックサムのような役割を果たしてくれることがあるのですが、今回もそれに近い感じでしょうか。

オタモイ川

ota-moy?
砂浜・静かな海
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
オチカバケ川の 1.5 km ほど北東を流れる川の名前です(地理院地図では「オタモイ沢」)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲタムイ」という地名?が描かれていました。また戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

並びて
     ヲタムイ
少しの砂(湾)有によつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.70 より引用)※ 原文ママ
「岬」に(湾)という注釈がついていますが、これは以下の永田地名解に合わせたものでしょうか。

Ota moi   オタ モイ   沙灣
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.489 より引用)
「斜里郡内アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 オタモイ(ota-moy 砂浜の・入江)
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.262 より引用)
オタモイ川(沢)の河口付近には砂浜があるので、ota は「砂浜」と見て間違いなさそうに思えます。moy は「湾」あるいは「入江」とされますが、オタモイ川(沢)の付近には「湾」あるいは「入江」と呼べそうな地形は見当たりません。

ただ、moy は本来は mo-i で「静かな・ところ」だとする説もあるので、ota-moy は「砂浜・静かな海」と考えても良いのかもしれません。

余談ですが、もしかしたら moy ではなく muy で「」だった可能性もあるんじゃないかと考えてしまいます。砂の岬が二つあり、それを「箕」に見立てたのではないか……という想像なのですが、岬が二つあればそこに湾ができるので、「やっぱり moy でいいのでは」となりそうな気も(結局どっちなんだ)。

オショバオマブ川

o-so-pa-oma-p
河口・滝・端・そこにある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
オタモイ川(沢)から 1.4 km ほど北東で海に注ぐ川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲシヨマヲマフ」という名前の川が描かれていました。

明治時代の地形図には「オシヨパオマㇷ゚」と描かれていました。これはほぼ現在名と同じと言えそうでしょうか。永田地名解にも次のように記されていました。

Oshopa omap   オシヨパ オマㇷ゚   岩ノ端ノ處 川上ニ兩岸絶壁ノ處アリ此川尻ノ岩端ヲ云フナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.489 より引用)
ちょっと悩んだのですが、これはやはり o-so-pa-oma-p で「河口・滝・端・そこにある・もの(川)」と解釈すべきでしょうか。so は必ずしも「滝」を意味するとは限らず、「水中のかくれ岩」を意味する場合もある……というのが気になっていたのですが、今回は素直に「滝」(あるいは「滝」を構成する「岩」)と見て良さそうです。

この「オショパオマプ川」ですが、何故か「斜里郡内アイヌ語地名解」には記載が見当たりませんでした。うっかり抜け落ちてしまったのでしょうか……。

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