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串本町江田にやってきました。このあたりの海は湾状になっていますが、川が流れ込んでいるために砂浜が形成されています。漁港は河口から少し離れた、砂の少なそうな場所に設けられているようです。
2022年6月30日木曜日
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2022年6月29日水曜日
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2022年6月28日火曜日
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2022年6月27日月曜日
残りの半分は「周参見」がちょいと難読だったから……ではないかなぁと。
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2022年6月26日日曜日
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また石原の処十七八丁過て
ノツカマフ
小川有。小石原。本名ノツカヲマフと云よし。此岬第一番に出たるによつての由也。又一説には第一番手前の岬なるによつてとも云り。
Notkamap ノッカ マㇷ゚ 岬上いかにも永田地名解らしいざっくりした解ですね。not-ka-oma-p で「岬・上・そこにある・もの(川)」と見て良さそうでしょうか。
ノッカマㇷ゚(nup-ka-oma-p 野・の上・にある・川)
斜里町史地名解は「ヌㇷ゚・カ・オマ・ㇷ゚ 野の・上に・ある・川」と書いた。ヌㇷ゚カ(nupka)をただ野と訳した方が実際的か。
なお not-ka は「仕掛け弓の触り糸」という意味もあるとのこと。エゾシカなどの猟場だったと解釈することも一応は可能ですが、そういった記録は見当たらないので、今回は無視して良いかと思っています。
チㇷ゚トマリ(chip-tomari 舟・泊)
Oraune kotan オラウネ コタン 谷村 「ラウネ」ハ深キノ意ニシテ兩岸高ク底深キヲ云フ
オライネコタン 詳しく云えばオラウネナイコタン(orawnenay-kotan オライウネナイ・村落)。オラウネ(深い),ナイ(谷川)。
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2022年6月25日土曜日
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Una pet ウナ ペッ 灰川 古ヘ噴火セシトキ全川灰ヲ以テ埋メタリシガ今ハ灰ナシ「昔(海別岳が)噴火した時に川が灰で埋まったので」ということのようですが、「今は灰は無い」と証拠隠滅(© 知里さん)するあたりは流石でしょうか。
ウナペッ 海別川。「ウナ・ペッ」(una-pet 灰・川)。昔噴火した時全川火山灰で埋まったという。「ウナ・オ・ペッ」(una-o-pet 灰の・入つた・川)とも云う。
Shuma tukara pet シュマ ト゚カラ(ペッ) 石ノ此方ナル川 朱圓村ト稱ス
シユマトカリヘツ
小川有。此処よりシヤリの方小石一ツもなし。よつて一人が出て跣 にて舟を引行。(石なきに)よつて号るよし也。また少しの湾に成る也。右のかたノツカマフ、左りの方カモイヲヘツの川口の岬と峙す。
シュマト゚カリペッ(suma-tukari-pet 石・の・こちらの・川) この川を境にして斜里方面は砂浜,東の方は石原なのでそう名づけた。
この辺の海岸は斜里からずっと砂浜続きで浜伝いに歩いて来れるのであるが,この川を越えるといきなり大きなごろた石だけの岸である。地名で tukari(手前)という言葉を使うのは,この種の特殊な地形の場合である。
○ ウナヘツ川すじ
マツクシヘツ 左中川
ライヘツ 左小川
ウシシュンナイ 左小川
ヲブツシャスナイ 左小川
ケナシハヲマナイ
ヲフ シヘツ 此処より右ヲクシヘツ 左ウナヘツ
アツカンヘツ ヲクシヘツ枝
【海別川筋】
サクㇱペッ(右支流)「サ・クㇱ・ペッ」(sa-kus-pet 浜側を・通つている・川)。
マックㇱペッ(左支流)「マㇰ・クㇱ・ペッ」(mak-kus-pet 奥を・通る・川)。
オクシュンペッ 奥蘂別川。「オ・クㇱ・ウン・ペッ」(o-kus-un-pet 川向うにある川)。一番浜側にサクㇱペッがあり,その奥にマクㇱペッがあり,更にその川の彼方にこの川が流れていたのでそう名づけた。
もっともそう考えた場合、「サㇰシペッ」は本流の別名ということになり、「右支流」とする「斜里郡内アイヌ語地名解」の記載と不整合が生じるのですが。
海別川の支流と目される「マックㇱペッ」の存在が失われ、少し離れたところを流れる「ポンシユマト゚カラペツ」が「マクシベツ川」に改められた……というのは、状況証拠としてはかなり黒に近いグレーではあるのですけどね。
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2022年6月24日金曜日
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2022年6月23日木曜日
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2022年6月22日水曜日
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2022年6月21日火曜日
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2022年6月20日月曜日
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2022年6月19日日曜日
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アッカンペッ 語原不明。
元々は海別川の支流という扱いでしたが、海別川よりも規模が大きく、また河口部の流路改修もあってか、現在は奥蘂別川が本流で海別川が支流という扱いのようです。
オクシュンペッ 奥蘂別川。「オ・クㇱ・ウン・ペッ」(o-kus-un-pet 川向うにある川)。一番浜側にサクㇱペッがあり,その奥にマクㇱペッがあり,更にその川の彼方にこの川が流れていたのでそう名づけた。
サクㇱペッ(右支流)「サ・クㇱ・ペッ」(sa-kus-pet 浜側を・通つている・川)。
マックㇱペッ(左支流)「マㇰ・クㇱ・ペッ」(mak-kus-pet 奥を・通る・川)。
オオナイ(マクㇱペッ枝川)「オオ・ナイ」(oo-nay 深い・川)。
oo オお 【H 北】《完》深い(深くある);深くなる。(同→oho:対→hak)
オオナイ川 奥蘂別川上流の支流。水の深い川の意。
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2022年6月18日土曜日
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イクㇱナペッ(左枝川)幾品川。「エ・クㇱナ・ペッ」(e-kusna-pet そこを・突き抜けている・川)。山の際まで突き抜けている川の義。
Ikush pet イクㇱュ ペッ 彼方ノ處 ヤチ川ナリ改めて見てみると……両者は全然違うことを書いているように見えますね。ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」には「イ
e-kusna-pet, -i エくㇱナペッ 【ビホロ】山に沿うて流れて来てその山の出止りでそこを横ぎっている川。 [そこを・横ぎっている・川]
更に言えば、e-(頭)ではなく etu-(鼻)のほうが、より地名(川名)として適切なような気もします。etu- が略されて e- と言い換えられるようになった……などと考えたくもなりますね。陸軍図には「越川橋梁」の西に川が描かれていて、古い地図では「エタ エトイナイ」と描かれているように見えます。これは etu-e-tuye-nay で「鼻・そこで・切る・川」と読めそうな気がします。
地名は,根室方面に向かうとき以久科川を越すということで越川と命名した(斜里町史)。
越 川(こしかわ)
所在地 (北見国)斜里郡斜里町
開 駅 昭和 32 年 11 月 10 日
廃 止 昭和 45 年 12 月 1 日
起 源 もと「越川駅逓」のあったところで、以久科川を越えて根室に行くところの道すじから「越川」と名づけたものである。
シュムクㇱペッ(幾品川右支流)「シュム・クㇱ・ペッ」(sum-kus-pet 西・を通る・川)。
「シュクンベツ川」(シュンクンベツ川)も幾品川と同様に、尾根を横切っている川と言えなくもないので、あるいは「ポンイクシナベツ」というネーミングでも良かったのかもしれませんが、「ポンイクシナベツ」は「越川橋梁」のすぐ上流側で東から合流する支流の名前として既に使用済みだったので、若干アレンジしてみた……とかだったりして。
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2022年6月17日金曜日
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2022年6月16日木曜日
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2022年6月15日水曜日
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2022年6月14日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。この見慣れない車輌、国鉄時代から大阪近郊を走っていた通勤電車に似ていますが、よく見ると横幅がちょっと広いんですよね。
2022年6月13日月曜日
2022年6月12日日曜日
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Pekere-i ペケレイ 水明ノ處peker は「澄んだ」「明るい」「清い」と言った意味で、転じて「白い」を意味する場合もあるとのこと(「白い」は retar のほうが一般的かもしれませんが)。ちなみに「割れる」や「破れる」を意味する perke という語があるので、peker と perke を間違えないように注意が必要です。
ペケレイ(猿間川左支流) 「ペケレ・イ」(peker-i 明るい清い・所)。詳しく云えば「ペ・ペケン・ナイ」。ペは「水」,ペケンはペケレの変化で「清い」,ナイは「川」,水のいい川,清水川,の意。
pekere ペけレ 【K】川ばたの湿地
シ ヤ リ
川巾五十間斗、本名シベシと云也。船渡し。此川筋の事は山越の所に多く書さ ば十二日 さず。然れども其順次はウエンヘツ、サヌル、トイサス ル、ヲサウシ、ワツカウイ、アタクチヤ、シヤリバ、アキシユイ、ライノロナイ、イタシナヘツ等。其源はシヤリ岳より落る也。
アキペッ(左支流)。語原不明。
Aki アキ ? 弟ノ義ナレドモ意義傳ハラズト云フ
ak, -i あㇰ 弟。
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2022年6月11日土曜日
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ラモイ 不明。カムイ,すなわち熊の訛りだとも云う。
ライベツ当時の交通路は律儀に斜里川沿いを遡ったのではなかったようで、「ライベツ」の先の「ルウベツチヤウシナイ」(=清里町駅の北あたり)で「此所にて本川端に出たり」とあります。これは斜里の市街地から清里町駅に向かってショートカットしたことを示唆しているように読めますが、ここでのポイントは「東の方にラルマニノホリ」で、これは東のほうに rarma-ni、すなわち「オンコ(イチイ)の木」の繁る「山」がある……ということになります。
此辺谷地多く道甚(悪)し。ライは谷地同様と云訳。ベツは川也。此辺土蘇木(夷言ラルマニ)多し。甚巨大なるは一囲二囲に及ぶもの有。然し囲に合ては長(く)のびざるもの也。土人好で此実を喰する也。此辺平地谷地様の処多し。
また此処より平川を越て東の方にラルマニノホリと言て土蘇木のみ有る山有と云り。
ラルマニウㇱナイ 語原「ラルマニ・ウㇱ・ナイ」(rarmani-us-nay アララギ・群生する・沢)。
ラモイ 不明。カムイ,すなわち熊の訛りだとも云う。
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2022年6月10日金曜日
2022年6月9日木曜日
2022年6月8日水曜日
2022年6月7日火曜日
2022年6月6日月曜日
2022年6月5日日曜日
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現在のウエンベツ川は涛釣沼に向かって流れて、沼の東側で北に向きを変えて直接海に注いでいますが、これは人工的に開削された流路のようです。
ウッナイ(ウェンペッの枝川)宇津内。「ウッナイ」(ut-nay 肋・川。本流から肋骨のように横にまつすぐ分れ出ている細い枝川)。フッナイとも云い,またエクシナペッ(e-kusna-pet そこを・横断している〔或は, 突きぬけている〕・川)とも云つた。ウェンペッからトーツル沼に湿原を横ぎつて突きぬけているのでそういう名がついている。
ウェンペッ(右岸支流,宇遠別川)「ウェン・ペッ」(wen-pet 悪い・川)。水の悪い川の義。「フシコペッ」(husko-pet 古い・川) とも云う。
ただ「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ウエンヘツ」とあるので、その可能性は低そうですね……。
中斜里(なかしゃり)
所在地 (北見国)斜里郡斜里町
開 駅 昭和 4 年 11 月 14 日
起 源 もと「猿澗川」(さるまがわ)といっていたのを、昭和 25 年 9 月 10 日「中斜里」と改めた。「猿澗川」はアイヌ語の「サル・オマ・ペッ」(ヨシ原にある川)から出たものである。
サルパ(Sar-pa 斜里の・しも)斜里川下流の地。
サルパ・オマ・ナイ(Sar-pa-oma-nay 斜里の・しも・にある・川) サルパ・ペッ(Sar-pa-pet 斜里の・川しもの・川)。猿間川。
pa ぱ(ぱー) ①頭;崎。(→pa-ke, sa-pa) 。②かみ;かみて;かみのはずれ。kotan-~ 村のかみ。kenasi-~ 川岸の木原のかみ。pira-~ がけのかみ。(対→kes) 。③かわしも(川下)。(対→pe) 。④【H 南】ふち。pet-~、川岸。ru-~ 路ばた。(=cha) 。
パはふつうは「上手」の意に使うが,知里さんがこのパ pa を「川しも」(川上をぺ pe で呼ぶのに対す)と訳したのは,この川が斜里川下流に入る支流であることを示したものとされたのであろう。
北海道駅名の起源は昭和 29 年版から,中斜里駅(前の猿間川駅)の処で「猿間川はサロマペッ即ちサル・オマ・ペッ(葦原・にある・川)から出たものである」としたのは,現在猿間川と呼ばれている音(昔からその音もあったかもしれない) によって解説したものであろうか。
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2022年6月4日土曜日
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Pana kush nai パナ クㇱュ ナイ 下ノ川いかにも永田方正らしいざっくりとした解で、知里さん激おこ案件ですね。ということで知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」を見てみると……
Pena kush nai ペナ クㇱュ ナイ 上ノ川
パナクㇱナイ(右岸支流) パ(下),ナ(方),クㇱ(通る),ナイ(川)。
ペナクㇱナイ(右岸支流) ペ(上),ナ(方),クㇱ(通る),ナイ(川)。
川有巾七八間、橋有。遅流にして深く、上の方に谷地多く、其川筋字はホンヤンベツナイ、メム、ヌツカ、クシヤンベツ、ユイネイ等云有りと。魚類鯇・鮃・チライ・鰔・雑喉多し(小使コタンスヘ申口)。「ホンヤンベツナイ」は現在の「ポン止別川」のことと思われますが、「──ベツナイ」というのがちょっと謎な感じです。-pet も -nay も「川」を意味するので、-pet-nay というのは本来ありえない組み合わせです。
○ヤンヘツ(止別川すじ)
ホンヤンヘツ
ナイ
メム
ヌッカクシヤンヘツ
ヌミ子ヲマナイ
エヘシュイ子イ
〆 小使コタンスツ申口也
ヌㇷ゚カクサンペッ(左岸支流) 「ヌㇷ゚カ・クㇱ・ヤンペッ」(nupka-kus-Yampet 原野を・通つている・止別川)。
シノマンヤンペッ(本流の上流) シノ(本当に),オマン(奥へ行つた),ヤンペッ(止別川)。
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2022年6月2日木曜日