2022年6月18日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (944) 「幾品川・シュクンベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幾品川(いくしな──)

e-kusna-pet?
頭(=山)・横切る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
猿間川の東支流で、事実上の本流と目される川です(猿間川よりも遥かに長いため)。川の北側の地名は「以久科」で、中流部には優美なコンクリートアーチ橋として知られる「越川橋梁」(正式名称は「第一幾品川橋梁」)があります。

知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 イクㇱナペッ(左枝川)幾品川。「エ・クㇱナ・ペッ」(e-kusna-pet そこを・突き抜けている・川)。山の際まで突き抜けている川の義。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.258 より引用)
また、永田地名解には次のように記されていました。

Ikush pet  イクㇱュ ペッ  彼方ノ處 ヤチ川ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.496 より引用)
改めて見てみると……両者は全然違うことを書いているように見えますね。ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」には「イ?シヘツ」という川が描かれていますが、単なる猿間川の一支流という扱いで、実際よりも遥かに小規模な川として描かれています。

ここまで見た限りでは、「イクシヘツ」がいつの間にか「イクㇱナペッ」に化けたように思えますが、「辰手控」には「イクシナベツ」とあり、「竹四郎廻浦日記」にも「イシナヘツ」とあります。明治時代の地形図はいずれも「イクシナペッ」となっているため、「イクシヘツ」と呼ぶ流儀は廃れつつあったと言えるかもしれません。

"kusna" は「横切る」?

kusna という語は「地名アイヌ語小辞典」には出てこないので「???」となったのですが、何のことは無く e-kusna-pet という項がありました。

e-kusna-pet, -i エくㇱナペッ 【ビホロ】山に沿うて流れて来てその山の出止りでそこを横ぎっている川。 [そこを・横ぎっている・川]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.25 より引用)
知里さんは e-kusna-pet を「そこを・横切っている・川」としましたが、「頭・横切っている・川」と解釈したほうが良さそうにも思えてきました。

美幌町に「登栄といえ」という川があるのですが、知里さんはこの川が tu-etok-kus-nay で「山の走り根・その先・通る・川」だとして、「奥から出てくる山の走り根を横切る川」と読み下していました。これは「エ・クㇱナ・ペッ」の意味するところを理解するヒントになりそうです。

幾品川を地形図で見てみると、越川集落(国鉄根北線の「越川駅」のあったあたり)では左右に山が聳えているものの、その上流側にある「越川橋梁」の南西側は平原状の地形になっていて、分水嶺らしき山が見当たりません。

別の言い方をすれば斜里町と羅臼町の境界に聳える「きり山」から北西に伸びる山が越川橋梁の南で *切られている* ようにも見えます。このことを指して e-kusna-pet で「頭(=山)・横切る・川」と呼んだのではないか……と思えてきました。

更に言えば、e-(頭)ではなく etu-(鼻)のほうが、より地名(川名)として適切なような気もします。etu- が略されて e- と言い換えられるようになった……などと考えたくもなりますね。陸軍図には「越川橋梁」の西に川が描かれていて、古い地図では「エツ?エトイナイ」と描かれているように見えます。これは etu-e-tuye-nay で「鼻・そこで・切る・川」と読めそうな気がします。

越川(こしかわ)

国鉄根北線の「下越川駅」のあたり、あるいはその先の「越川駅」のあたりの地名です。「角川──」には次のように記されていました。

地名は,根室方面に向かうとき以久科川を越すということで越川と命名した(斜里町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.549 より引用)※ 原文ママ
また「北海道駅名の起源」にも次のように記されていました。

  越 川(こしかわ)
所在地 (北見国)斜里郡斜里町
開 駅 昭和 32 年 11 月 10 日
廃 止 昭和 45 年 12 月 1 日
起 源 もと「越川駅逓」のあったところで、以久科川を越えて根室に行くところの道すじから「越川」と名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.224 より引用)※ 原文ママ
確かにその通りだと思われるのですが、e-kusna-pet が「頭(山)を横切る川」ではないかとなると、「山を越す川」という含意もあったのではないか……などと考えたくなってしまいます。kusnakus と「越」も似てますし……。

シュクンベツ川

sum-kus-pet
西・横切る・川
(典拠あり、類型あり)
「越川橋梁」の南で幾品川に合流する西支流です(地理院地図では「シュンクンベツ川」)。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川が見当たりませんが(「イクシヘツ」が不当に短く描かれているため)、明治時代の地形図には「シュンクㇱュペツ」と描かれていました。

sunku-us-pet で「エゾマツ・多くある・川」とかかな……? と思ったのですが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 シュムクㇱペッ(幾品川右支流)「シュム・クㇱ・ペッ」(sum-kus-pet 西・を通る・川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.259 より引用)
ふむふむ。言われてみればこの川も幾品川との間の山の鼻先を *横切っている* とも言えるので、「西のクㇱペッ」というのもなんとなく理解できる気がします。sum-kus-pet で「西・横切る・川」と見て良さそうでしょうか。

「シュクンベツ川」(シュンクンベツ川)も幾品川と同様に、尾根を横切っている川と言えなくもないので、あるいは「ポンイクシナベツ」というネーミングでも良かったのかもしれませんが、「ポンイクシナベツ」は「越川橋梁」のすぐ上流側で東から合流する支流の名前として既に使用済みだったので、若干アレンジしてみた……とかだったりして。

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