2022年6月7日火曜日

紀勢本線各駅停車 (9) 「紀伊由良・紀伊内原」

ツッコミどころが満載だった「広川ビーチ駅」の先にある「由良トンネル」(1,885 m)を抜けると日高郡由良町に入ります。由良川を渡る鉄橋はそこそこ古そうなものに見えますが、塗装などのメンテナンスはしっかりと行われているようですね。
由良町の脊梁山脈とも言える山の上には「由良風力発電所」の風車が見えます。広川町の発電所はタービンが 1 基だけのように見えましたが、ここは 5 基あるようですね。

紀伊由良駅

御坊行き 341M は速度を落とし、踏切を通過しました。ということは……
紀伊由良駅に到着、ということですね。毎度おなじみ、2 面 3 線の国鉄型配線ですが、保線用車輌が置かれた線路が駅の南北に存在していて、かなり線路の多い駅に見えます。
「国鉄型配線」の駅では、上下線の退避や折り返しに使用する 2 番線を廃止するケースがちょくちょく見られますが、紀伊由良駅の 2 番線は特に閉鎖されたり、線路が剥がされていたり……と言ったことはありません。
「名所案内」も設置されていました。この手の「名所案内」って、だいたいチョイスが渋いので良いですよね。

駅舎も渋い!

渋いと言えば、この駅舎の佇まいも中々のものです。しかもよく見ると駅員さんの姿が! 紀伊由良駅が終日無人になったのは 2021 年らしいので、2016 年の写真に駅員さんの姿があっても不思議ではありません。
そして、渋い駅舎の向こうにはこんな建物も。
駅前広場に相当する場所に「タクシー・バス待合所」が設けられています。この紀伊由良駅は由良町の中心部から少し離れたところにあるため、駅からタクシーやバスの利用も多かった……のでしょうか。

ちなみに、紀伊由良駅から町の中心部にある由良港の近くの「由良内駅」まで、1929 年に貨物支線が開通していました(1968 年に廃止)。この「由良内駅」は「ゆらのうち──」だったのが、いつの間にか「ゆらうち──」に変わってしまっていたとのこと。戦後の混乱の中で色々とドタバタがあったのかもしれません。

貨物線の跡地は、殆どの区間が県道 23 号「御坊湯浅線」に転用されたようです。

国道 42 号の高架は

車窓から、1968 年に廃止された貨物支線の「由良内駅」方面を眺めます(山の向こう側なので市街地は全く見えませんが)。国道 42 号が高架になっているのが謎だったのですが、貨物支線をオーバークロスするためだったのですね。
この看板が何をアピールしているのかも気になるところですが、最新のストリートビューを見るとこの看板は既に撤去済みのようで、残念ながら正体不明のままです。
御坊行き 341M は「小坊師峰」の真下を貫く「小坊師トンネル」を通過して、日高郡日高町に入りました。跨線橋が見えますが、この道路は湯浅御坊道路の川辺 IC に向かうもののようです。

紀伊内原駅

列車は減速して、かなり幅の狭そうな踏切を通過します(小型特殊自動車以外の通過は NG みたいですね)。
間もなく「紀伊内原駅」です。屋根のない跨線橋がある……ということは、昔は構内踏切で行き来していたということでしょうか。
紀伊内原駅は 2 面 2 線の相対式ホームです。この駅は 1929 年に紀勢西線が紀伊由良から御坊まで延伸した際に開業していて、貨物の取り扱いもあったとのことなので、昔は今よりももう少し複雑な構造だった可能性がありそうです。

昔の航空写真を眺めた感じでは、貨物ホームらしきものもあったんじゃないか……と思えるのですが……。

ポップなデザインの観光地図

それにしても、この駅舎は良いですよね。紀伊由良駅と似た感じの駅舎ですが、一時は終着駅となり、その後は貨物支線の分岐駅となった紀伊由良駅と比べると、一回り以上小ぶりな印象があります。
駅舎には観光マップ(「観光地図」のほうが良いかも)が貼られていました。この地図がいつ頃制作されたのかはわかりませんが、制作された当初は、かなり攻めたポップなデザインだと認識されていたのでは無いでしょうか。「クエ料理」「活魚料理」のアイコンのデザインも素晴らしいですよね。
下り線のホームには花壇のようなスペースも設けられていました。国鉄時代の 1985 年に駅員無配置駅となるも、その後 35 年に亘って簡易委託を続けてきたおかげで、この花壇?も維持できたのかな……と思えてなりません。

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