(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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宇津内(うつない)
(典拠あり、類型あり)
斜里町西部、明治時代の地形図では、涛釣沼から東に向かって「ウツナイ」という川が描かれていて、南からやってきた「ウエンベツ」と合流して斜里川に合流していました。
現在のウエンベツ川は涛釣沼に向かって流れて、沼の東側で北に向きを変えて直接海に注いでいますが、これは人工的に開削された流路のようです。
「東西蝦夷山川地理取調図」と「辰手控」には「フツナイ」という地名(川名)が記録されていました。この「フツナイ」は書き間違いかと思ったのですが、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
ウッナイ(ウェンペッの枝川)宇津内。「ウッナイ」(ut-nay 肋・川。本流から肋骨のように横にまつすぐ分れ出ている細い枝川)。フッナイとも云い,またエクシナペッ(e-kusna-pet そこを・横断している〔或は, 突きぬけている〕・川)とも云つた。ウェンペッからトーツル沼に湿原を横ぎつて突きぬけているのでそういう名がついている。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.253 より引用)※ 原文ママ
ふむふむ。とりあえず「書き間違い」の線は無さそうでしょうか。このあたりの ut- は、頭に h を付加して発音する傾向があったのかもしれません。「宇津内」は ut-nay で「肋・川」と見て良さそうですね。宇遠別(うおんべつ)
(典拠あり、類型あり)
南一号(道道 769 号「斜里停車場美咲線」)と西三線の交点の近くにある四等三角点の名前です(標高 1.8 m)。標高 1.8 m ということは、北側の浜堤との標高差は 30 m 近くあるということになりますね。明治時代の地形図には「ウエンベツ」または「ウェンペツ」という川が描かれていましたが、この「ウエンベツ」は陸軍図では「宇遠別川」と描かれていました。この川は「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ウエンヘツ」と描かれていて、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。
ウェンペッ(右岸支流,宇遠別川)「ウェン・ペッ」(wen-pet 悪い・川)。水の悪い川の義。「フシコペッ」(husko-pet 古い・川) とも云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.253 より引用)
ふむふむ。wen-pet の意味は「悪い・川」なのですが、「何で悪かったかは殆どがわからなくなっている」という補足がつくのが半ばお約束になっていました。ただこの「ウェンペッ」は「水が悪かった」ということのようですね。wen-pet は道内のあちこちにあり、色々な字が当てられているのですが、四等三角点「宇遠別」の読みが「うおんべつ」になってしまったのは何とも残念……というか、不思議な感じすらします。ut- を hut- と発音したかもしれないのと同様に、wen- も won- と発音する癖があった、とかだったら面白いのですが……。
ただ「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ウエンヘツ」とあるので、その可能性は低そうですね……。
猿間川(さるま──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
斜里川の東支流で、斜里川の支流の中では最も規模の大きいものですが、猿間川本流よりも、猿間川の東支流である「幾品川」のほうが圧倒的に長かったりします。出来過ぎた三代目とその親みたいですね。現在の「猿間川」は中斜里駅の東で「幾品川」と合流してから北西に向かい、国道 244 号の「斜里新大橋」のあたりで斜里川と合流しています。ただこれは人工的に開削された流路のようで、元々は斜里高校の南側のあたりで斜里川と合流していました。
釧網本線の「中斜里駅」は、かつては「猿澗川駅」だったとのこと。「北海道駅名の起源」にも次のように記されていました。
中斜里(なかしゃり)
所在地 (北見国)斜里郡斜里町
開 駅 昭和 4 年 11 月 14 日
起 源 もと「猿澗川」(さるまがわ)といっていたのを、昭和 25 年 9 月 10 日「中斜里」と改めた。「猿澗川」はアイヌ語の「サル・オマ・ペッ」(ヨシ原にある川)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.164 より引用)
「猿間川」は sar-oma-pet で「葭原・そこにある・川」だった……という説ですね。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤリハ」と描かれていて、また明治時代の地形図には「サラパ川」と描かれていました。sar か sar-pa か
この微妙な違いが気になるところですが、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。サルパ(Sar-pa 斜里の・しも)斜里川下流の地。
サルパ・オマ・ナイ(Sar-pa-oma-nay 斜里の・しも・にある・川) サルパ・ペッ(Sar-pa-pet 斜里の・川しもの・川)。猿間川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.253 より引用)
あれ、pa は「しも」ではなく「かみて」だったのでは……と思ったりもしたのですが、「──小辞典」には次のようにありました。pa ぱ(ぱー) ①頭;崎。(→pa-ke, sa-pa) 。②かみ;かみて;かみのはずれ。kotan-~ 村のかみ。kenasi-~ 川岸の木原のかみ。pira-~ がけのかみ。(対→kes) 。③かわしも(川下)。(対→pe) 。④【H 南】ふち。pet-~、川岸。ru-~ 路ばた。(=cha) 。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.85 より引用)
すいませんでした(汗)。今回は ② ではなくて ③ の解釈だったんですね。sar-pa-oma-pet で「葭原・川下・そこにある・川」とするよりも、{sar-pa}-oma-pet で「{斜里川下流}・そこにある・川」とするのが適切でしょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」を良く見てみると……
パはふつうは「上手」の意に使うが,知里さんがこのパ pa を「川しも」(川上をぺ pe で呼ぶのに対す)と訳したのは,この川が斜里川下流に入る支流であることを示したものとされたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.218 より引用)
あっ。見事に先を越されていました(汗)。北海道駅名の起源は昭和 29 年版から,中斜里駅(前の猿間川駅)の処で「猿間川はサロマペッ即ちサル・オマ・ペッ(葦原・にある・川)から出たものである」としたのは,現在猿間川と呼ばれている音(昔からその音もあったかもしれない) によって解説したものであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.218 より引用)
「昭和 29 年版から」とあったので「あれっ?」と思ったのですが、「アイヌ語地名資料集成」では昭和 25 年版からの異同は確認できませんでした。山田さんは「サルパ・オマ──」が「サル・オマ──」に化けた、あるいは昔から両方の流儀があったのでは……と見たようですが、全く同感です。www.bojan.net
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