2022年5月27日金曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

紀勢本線各駅停車 (2) 「紀三井寺・黒江」

 

「あなたの街の専用線跡」の前を通過すると、なんか下り線との間隔が中途半端に広くなり……
そしてまた狭くなり……。下り線の向こう側には空き地が見えますが、これは貨物用の線路の跡なんでしょうか。下り線との間隔が変動した理由は皆目不明ですが、2 面 3 線のいわゆる「国鉄型配線」を 2 面 2 線の「相対式ホーム」に改造した、あたりでしょうか。

紀三井寺駅

順番が前後してしまいましたが、紀三井寺駅に到着です。湯浅からやってきた和歌山行き 350M とすれ違います。
紀三井寺駅の開業は 1924 年(大正 13 年)とのこと。阪和電鉄が「阪和東和歌山駅」(現在の和歌山駅)までの路線を開通させるよりも 6 年ほど早かったことになりますね。既に「和歌山駅」(現在の紀和駅)というターミナルが存在していたのに、阪和電鉄が和歌山駅を完全に無視して東和歌山駅を目指したというのはとても興味深いですが……オフトピなのでこの辺で。
駅名標の後ろに階段らしきスロープが見えますが、もしかしたら当初はスロープの位置に下り本線があったのではないか……と想像しました。下の写真だとフェンスの向こう側に下り本線があったのでは……。
Wikipedia にちゃんと答えが書いてありました。

橋上化前は単式・島式の複合型 2 面 3 線の駅構造であった。当時は 1 番線が御坊方面、3 番線が和歌山方面で、2 番線はほとんど使われていなかった。橋上駅舎への改築に伴い、3 番線は撤去され、2 番線が和歌山方面に使われるようになった。構内前後の線路も直線化され、分岐器や絶対信号機を持たない停留所構造となった。
(Wikipedia 日本語版「紀三井寺駅」より引用)
あ、やはり……。かつての 3 番線を潰して階段を設けたというところまでは予想できたのですが、そうだとしたら 3 番線があった頃はどうしたのだろう……と疑問に思っていたところでした。もしかしたら以前は跨線橋は存在しなかったということでしょうか。

謎の頭端式ホーム

また、駅の東側は駐車場・駐輪場になっているようなのですが、この区画の形が少々曰くありげに見えます。


1961 年に撮影された空中写真を見ると、1 番線の東側に更に 2 線あり、頭端式ホームになっているように見えます。貨物ホーム、あるいは荷物用ホームにも見えますが、南向きの頭端式ホームというのがちょっと意味不明ですね……。

野上電鉄が紀三井寺まで乗り入れていた……なんて話があれば面白いのですが、当時の国鉄紀勢本線は非電化でしたね……。

計画運休のお知らせ

御坊行き 341M は紀三井寺を出発しました。ふと頭上の液晶ディスプレイに目を遣ると……
む。「京橋~放出はなてん間の運転を休止」と出ていますね。これは「おおさか東線」の工事関連だったでしょうか。

南海和歌山軌道線

和歌山を出発して 2 駅に停車したばかりですが、車内は明らかに空いてきたような感じも……。
紀勢本線の線路は紀三井寺の南で大きく東に向きを変えるのですが、西隣の道路?がまっすぐ南に向かっていることが気になります。え、こんなところに私鉄があったかな……と思ったのですが、1971 年まで「南海和歌山軌道線」が走っていたとのこと。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

紀勢本線らしい景色?

東に向きを変えた紀勢本線の車窓には、水田も見えるようになりました。
山裾を回って再び進行方向を南に向けると……
黒江駅に到着です。

黒江駅

黒江駅の開業は 1966 年とのこと。宮前駅とは違って、ちゃんと駅名標が専用の枠で固定されています。
ところで、これは何でしょう。ホームの屋根なんでしょうけど、上屋なら隣にありますし、しかもこの屋根はカーポートのようにも見えます。
上屋は立派な橋上駅舎に続く階段と一体化していますが、確かにちょっと短そうな感じもします。格安で屋根を延伸したかったんでしょうか。中高生の下校時は生徒でいっぱいになって屋根が足りない……とかなんでしょうか。
黒江駅は開業当初から橋上駅舎だったですが、何故かホームの端にトイレがあるようです。意外と謎の多い駅ですね……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事