2022年5月25日水曜日

紀勢本線各駅停車 (プロローグ 4) 「紀伊中ノ島・和歌山」

和歌山行き「紀州路快速」(という名前の各駅停車)は紀ノ川を渡りました。国道 24 号をオーバークロスすると……

紀伊中ノ島駅(JR-R53)

「紀伊中ノ島駅」に到着です。築堤の上にある駅で、ホームの下部はスッカスカですが、1932 年に「阪和中ノ島駅」として開業した駅です。
この駅が築堤の上にあるのは和歌山線(鉄道省 → 国鉄)をオーバークロスするのも理由の一つだったようで、1935 年には現在地に移転して和歌山線との乗換駅となります。
ホームの上屋を支える鉄骨は古いレールを転用したものですが、梁のように渡されたレールがサインカーブのような曲線を描いているのが洒落ていますね。1935 年時点の「古レール」はどこからかき集めてきたのか気になる所ですが、実はこのレールは「八幡製鉄所」が操業を始めた頃のレールだったとのこと。

横を向いた駅舎

駅舎はホームの南端にあります(これも私鉄駅でちょくちょく見かける構造ですね)。面白いのは駅舎の向きで、阪和線が北北東から南南西に向かっているのに対して、駅舎は東西方向に伸びています。
随分と珍妙なレイアウトですが、この駅舎は和歌山線に設置された「紀伊中ノ島駅」のもので、阪和電鉄は 1936 年に駅名を「紀伊中ノ島駅」に変更、国鉄の紀伊中ノ島駅と駅舎を共同使用することになります。


その後、和歌山線は 1961 年に田井ノ瀬駅と東和歌山駅(現在の和歌山駅)を結ぶ貨物支線が完成し、1968 年には紀伊中ノ島駅の西隣にあった「和歌山駅」が「紀和駅」と改称されるとともに「東和歌山駅」が「和歌山駅」に改められます。また田井ノ瀬駅から紀和駅に向かうのではなく和歌山駅に向かう列車が大半を占めるようになり、支線に転落した紀和-田井ノ瀬間は 1974 年に廃止されてしまいます。

ところが面白いことに駅舎だけは和歌山線が通っていたころのものを現在もそのまま使用しているらしく、このような「変な位置」に現存している……ということのようです。

「紀勢本線ほぼ各駅停車」

紀伊中ノ島を出発すると、右側に防音壁が見えてきましたが……
この線路は「和歌山市駅」から紀和駅を経由して和歌山駅に向かう和歌山線紀勢本線のものでした(田井ノ瀬から紀和までが和歌山線で、和歌山から紀和までは当初から紀勢本線)。ん、ということは紀和駅を通らないと「紀勢本線各駅停車」とは言えない……? え、こりゃマズイよ~おぉ~いぃ。

「プロローグ」の時点で早くも「看板倒れ」確定というのはある意味画期的ですね(ぉぃ)。
紀和駅も、和歌山線の前身の一つである「紀和鉄道」のターミナルだったものが、現在は和歌山駅(JR 西日本)と和歌山市駅(南海電鉄)を結ぶ区間運転の列車だけになってしまった……という印象があるのですが、列車の本数は和歌山駅以東と大差なかったりするんですよね(どちらも昼間は一時間間隔)。

和歌山駅(JR-R54)

線路沿いにオークワ(の駐車場)が見えてきました。和歌山(と奈良)ではおなじみのスーパーマーケットチェーンです。
そして何故か和歌山には近鉄百貨店もあります。草津(滋賀県)もそうですが、自社線と遠く離れたところに百貨店を出店するというのは……不思議としか……。
紀州路快速(という名前の各駅停車)は定刻通りに和歌山駅に到着しました。
「紀勢本線各駅停車」なので御坊・白浜・新宮方面に向かうのですが、「紀勢線」じゃなくて「きのくに線」を目指さないといけないのですね。
ということで、地下道で 4・5 番ホームに向かいます。
4・5 番ホームにやってきました。「きのくに線(紀勢線)」と「くろしお号」そして「阪和線」の文字が並ぶほか、「KIX」の文字も見えます。これって要は「和歌山線」と「紀和方面の紀勢線」以外のほぼ全てですよね(駅の配線と運用を考えると仕方がないのかもしれませんが……)。

「真田丸」ラッピング車輌

7 番線には五條方面に向かうであろう和歌山線の列車が見えます。なんだか謎なカラーリングですが……
なるほど。関ヶ原の戦いで西軍についた真田父子の流刑地が橋本近郊の「九度山」だったので、ご当地と言えばご当地でしたね……。あ、運転士さんと目が合ってしまいました。
この車輌、元は常磐線と営団地下鉄(→東京メトロ)千代田線を行き来していたものだと思いますが、後にド派手なラッピング車輌になるとは思ってなかったでしょうね……。

折り返し「紀州路快速」

3 番線には、先程まで乗車していた「紀州路快速」の車輌が見えます。折り返しで大阪方面に向かうようです。

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2 件のコメント:

  1. ねこあたま2022年5月25日 21:26

    紀勢本線各駅停車の旅にいかれたんですね。
    前にもお話したかも知れませんが、20数年前に新宮夜行で紀勢半島一周をしたことがあります。
     165系の急行型だったかあなあ、新大阪をでるときはまばらだったお客さんが、弁天町、新今宮でがさがさと客も増え、天王寺では立ち客がでる状態でした。
     和歌山までに徐々にお客さんを降ろし、ワンボックスを占有出来る状態になりました。海南の付近で深夜も工場、有田付近の石油精製所(ここも閉鎖になるんですね)、まだあった有田鉄道の藤並、等々を朧気に見つつ、朝の5時頃に新宮に着きました。
     そのまま接続の名古屋方面のディーゼルカーにのってもよかったのですが、ここはスケベ心がおきまして、薄暗い中、浮島と新宮城を見てきました。
     新宮駅に戻る途中、津だったか松坂行きの三重交通の急行バスを見たとき、此処はもう三重の文化圏なんだなと思ったものです。
    長文すみませんでした。

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  2. ねこあたま さん:
    おおお、昔は「はやたま」という名前のついていた、伝統の新宮夜行ですね? 和歌山の少し先までは終電としての役割もあったでしょうか。貴重な「夜汽車」の雰囲気を色濃く残していた列車でしたね。

    新宮はギリギリ和歌山県ですが、人の流れは三重県側とのほうが多そうな印象があります。三重交通のバスと言えば(急行バスは違うかもしれませんが)宣伝の数がもの凄い印象があります。あれも立派な企業努力ですよね。

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