紀伊駅(JR-R51)
上りの待避線が見えてきました。間もなく紀伊駅ですね。この駅も、端っこはホームの下がスッカスカですが……
ホーム中央部は土を盛った構造です。やはりと言うべきか、1930 年に阪和電鉄が東和歌山まで延伸した際に開業した駅とのこと。和歌山と言えば「紀の国」ですが、「紀の国」が「紀伊国」となったのは元明天皇の「諸国郡郷名著好字令」、いわゆる「好字二字令」に因るものだったでしょうか(違うかも)。
「紀伊」という駅名からは「紀伊国」が連想されるのですが、駅から 1 km ほど西に「府守神社」という神社があり、この神社のあたりにかつて「紀伊国府」があったとのこと。このことに由来して自治体の名前も「紀伊村」となり、そのまま駅名に採用された……ということのようです。思っていた以上に駅名の由来が本格的で驚きですね……。
特急「くろしお 3 号」待ち
紀伊駅は 2 面 4 線 + 保線用線路という構造のようですが、紀州路快速(という名前の各駅停車)は何故か下り待避線に入ってしまいました。これはもしかして……あ、やはり。目の前の下り本線を特急「くろしお 3 号」が華麗に駆け抜けて行きました……。特急列車、速くて快適そうで良いですよね(企画の本質を見失った発言)。
紀州路快速(という名の各駅停車)は、紀伊駅に 4 分ほど停車して特急「くろしお 3 号」をやり過ごした後、再び終点の和歌山駅に向かって走り始めました。既に和歌山市内ですが、旧・紀伊村のあたりは長閑な農村風景が広がっています。
共に山中渓を越えてきた仲間とも言える「阪和自動車道」も見えます。阪和自動車道は、紀伊国府があったと推定されるあたりで JR 阪和線をオーバークロスして、市街地の東の外れを南に向かうことになります。
六十谷駅(JR-R52)
長閑な農村風景が少しずつ減るとともに、住宅が目立つようになってきたなぁ、と思い始めたところで……駅の構造を見た感じでは、それなりに歴史が長そうに見えますが、やはりと言うべきか、1930 年に阪和電鉄が開通した時に停留場として開業したとのこと。六十谷駅も、駅間に停留場を設けてすぐにしれっと駅に昇格させるという定番パターンだったようです。
自動改札機が見えます。「おおっ、すげー」と思ったのですが、Wikipedia によると「大規模私立学校が 2 校設立後は利用者が増加し」とのこと。紀ノ川の北側の市街地の中にあるので、ちゃんと固定客を掴んでいるっぽいですね。
紀ノ川橋梁
JR 阪和線は、六十谷の先で紀ノ川を渡ります。海側にアーチ橋が二つ見えていて、その奥には河口堰らしきものも見えます。手前のアーチ橋が県道 141 号「
紀ノ川を渡ります。この鉄橋はかなり新しそうに見えますが、2009 年に欠け替えられたもののようです。2 枚上の写真には道路との間に空き地が見えますが、これが旧橋への道床跡のようですね。
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