2022年5月21日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (936) 「魚無川・庭庶無若・登栄川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

魚無川(うおなし──)

chep-sak-onne-nay
魚・持たない・老いた・川
(典拠あり、類型あり)
美幌町には「網走川」とその支流の「美幌川」が流れていて、美幌川が網走川に合流する地点の南側に市街地が広がっています。魚無川は美幌川の西支流で、美幌川と網走川の間を流れているので、言い方を変えれば市街地のど真ん中を流れていることになります(町役場のすぐ東側を流れています)。北海道に限らず日本各地にありそうな川名ですが、ググると美幌町の「魚無川」がトップヒットするようです。

もしかして:実は珍しい

明治時代の地形図には「チエプシヤクオン子ナイ」という名前で描かれていました。改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を確認してみると、確かに「ヒホロ」が網走川に合流する手前に「チエフシヤクオン子ナイ」という川が描かれています。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 魚無川(うおなしがわ) 相生線に沿って流れる小川。美幌川の小支流。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.448 より引用)
あっ。そう言えば美幌から北見相生まで「国鉄相生線」が走っていたんでしたね。相生線の線路は美幌駅から南に延びていたわけですが、市街地のど真ん中を南に抜けていたようで、途中から「魚無川」の西隣を通っていたのでした。

アイヌ語「チェプ・サㇰ・オンネ・ナイ」(魚のいない年寄川)を訳したもの。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.448 より引用)
はい。chep-sak-onne-nay で「魚・持たない・老いた・川」と見て良さそうですね。この手の onne-nay は「年老いた川」であり「親である川」でもあるのですが、元を辿れば「大きな川」だったり「長い川」だったりします。この chep-sak-onne-nay も「魚のいない長い川」という解釈が、より具体的かもしれません。

殆どの場合、「老いた川」は「涸れ川」を意味するものでは無いことに注意が必要です。

チェプウンオン子ナイ

なお、「魚無川」の東に「駒生川」という川が流れていますが、この川はかつて「チェプウンオン子ナイ」と呼ばれていたようです。chep-un-onne-nay は「魚・そこに入る・老いた・川」で、魚無川とは違って魚のいる「長い川」と認識されていたことになりそうです。「駒生」という名前は馬産に由来するようですが、「オショロコマ」という魚との関連も考えたくなります(考え過ぎ)。

庭庶無若(てしむわっか)

ni-us-yam-wakka?
樹木・多くある・冷たい・水
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
美幌川を南に遡ると、美幌町福住のあたりで「弥生川」という西支流が合流しています。合流点のすぐ西には標高 145.8 m の山があり、その頂上付近に「庭庶無若」という三等三角点があります。「庭庶無若」は「てしむわっか」と読むらしいのですが……なかなか凄い字を当てたものですね。

この「庭庶無若」こと「てしむわっか」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき地名が見当たりません。明治時代の地形図を見てみると……三角点の対岸あたりに「チエプワタラ」という地名(だと思う)が描かれていました。また、少し南の東岸には「ウンヤㇺワㇰカ」という地名(だと思う)が描かれていました。

知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には、次のような記録が見つかりました。

(295) ニウシワッカ(Niushi-wakka)(左岸) ニ(木),ウㇱ(多く生えている),イ(所),ワッカ(水)。「林の中にある冷水」を云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.302 より引用)
「網走郡内アイヌ語地名解」の「ニウシワッカ」の項の直前は「(294) チェプンメム」なのですが、明治時代の地形図でも「ウンヤㇺワッカ」のすぐ北に「チエプウンメム」という川が描かれているので、「ウンヤㇺワッカ」=「ニウシワッカ」と見て良さそうでしょうか。となると「ウンヤㇺワッカ」は「ニウシヤㇺワッカ」だった可能性も出てきます。ni-us-yam-wakka であれば「樹木・多くある・冷たい・水」となるでしょうか。

「ニウシヤㇺワッカ」の「ニウ」を縦書きにした際に「テ」に化けたとかで「テシヤㇺワッカ」となり、これが「テシャムワッカ」となった後に「テシムワッカ」になった……とかでしょうか。

……あ。自分の馬鹿さ加減に気がついて頭を抱えていたのですが、「庭庶無若」は「てしむわっか」じゃなくて「にわしょむわっか」だったとしたら ni-us-yam-wakka そのままじゃないですか。何故気が付かなかったんだ……。

登栄川(といえ──)

{tuy-e}
{切る}
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
謎の「庭庶無若」三角点の南を流れる「弥生川」を 1 km ほど遡ると、南から「登栄川」が合流しています。明治時代の地形図には「ト゚イエ」とあるので、どうやら「トゥイエ」だったっぽいですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Tuye        ト゚イェ        潰裂川
Shiri tuye ushi  シリ ト゚イェ ウシ  潰裂シタル山(水ノタメ)
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.484 より引用)
ふむふむ。地形図を見てみると、確かに弥生川が美幌川に注ぐあたりで山が大きく崩されています。なるほどねぇ~と思ったのですが、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には別の見解が記されていました。

(289) ツ゚イ(Tui) ツ゚エトコクシナイの簡称。ツ゚(山の走り根),エトコ(の先),クㇱ(通る),ナイ(川),すなわち,奥から出て来る山の走り根を横ぎつて行く川の義。それをツ゚エとだけ云い,それが更にツ゚イに訛つたもの。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.302 より引用)※ 原文ママ
知里さんは「ツ゚イ」(トゥイ)が tu-etok-kus-nay の省略形だとしていますが、明治時代の地形図で既に「ト゚イエ」(トゥイエ)となっていることを考えると、ちょっと違和感が残ります。

ついでに言えば tu-etok-kus-nay を「奥から出てくる山の走り根を横切る川」とするのも若干もやもやするのですが、これは「走り根(縦に伸びた山の尾根)の先の向こう側の川」だとすれば、実際の地形にも即した解と言えそうな気もします。

「ルイー」と「ルツケイ」

明治時代の地形図で既に「ト゚イエ」となっていたのであれば、松浦武四郎がどう記録していたかが俄然気になってきます。ということで戊午日誌「安加武留宇智之誌」を見てみたところ……

 またしばし上りて右のかた
     ル イ ー
 相応の川なり。またしばし過て右のかた
     ホンルイー
右小川過てしばし此辺極迂曲して其処をいき切して行よし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.343 より引用)
ここに来て突然のルイルイの登場には困惑を隠せませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「弥生川」と「登栄川」に相当する位置に「ルツケイ」と「ホンルイ」と描かれていました。

「マクンナイ」と「ルツケイ」の位置関係が実際と逆になっているようですが、このあたりは聞き書きと思われるので、その際にミスが入り込んだのでしょうか。

「ルツケイ」は rutke-i で「くずれた・所」と読めます。「トゥイエ」は {tuy-e} で「{切る}」ですが、tuy-i で「くずれる・所」と解釈することも可能でしょうか(若干怪しいですが)。ポイントとしては、「ルツケイ」も「ト゚イエ」も大枠で「崩れたところ」を意味するというところで、この川(あるいは河口付近の地形)は「崩れたところ」として認識されていた、と言えそうです。

知里さんの記録した to-etok-kus-nay も気になるところですが、ここまで見た限りでは「崩れたところ」説は無視できないように思えます。

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