2022年5月5日木曜日

「日本奥地紀行」を読む (134) 久保田(秋田市) (1878/7/23)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、普及版の「第二十二信」(初版では「第二十七信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

絹織工場

久保田城(秋田市)の師範学校で英語と日本語がトゥギャザーした(推測)会話を済ませたイザベラは、その足で次の訪問地に向かったようです。「普及版」の第二十二信は「七月二十三日」付になっているので、「師範学校」と「絹織工場」をまとめて一日で回った……と考えられます(読み違いがあったらすいません)。

私の次の訪問は、手織り機による絹織工場の見学であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.258 より引用)
明治期の紡績工場と言えば「富岡製糸場」であり、そして「女工哀史」に「あゝ野麦峠」ですね。厳密には「製糸場」と「絹織工場」は別物かもしれませんが、どちらも「紡績工場」というカテゴリーで括ることは可能でしょうか。

そこでは、百八十人が働いていて、その半数は女性であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.258 より引用)
これはうっかりスルーしてしまいそうですが、よく読むと「絹織工場の従業員の半数は男性だった」ということですよね。思わず旧ソ連のアネクドートを思い出してしまいました。

Q: 党中央委員の半数が白痴だと言うのは事実でしょうか?
A: それは事実ではありません。中央委員の半数は白痴ではないのです。

女性の仕事

今日では、当時の紡績工場の劣悪な労働環境が「過労死」を招いたことが知られていますが、イザベラは素直に「女性の社会進出」を好ましいものであると見ていたようです。

女子にとってりっぱな仕事が産業界に新たに開けたことは、非常に重要である。これはきわめて必要な社会改革へ進む傾向を示す。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.258 より引用)
イザベラにしてみれば「過労死」問題は想像を絶するものだったのかも知れませんが、「初版」では「対立と不調和」と題した一節において、当時の日本が「西洋の機械文明」を貪欲に取り込む一方で「キリスト教社会の価値観」を嘲笑し拒絶していたことを記していました(昨日の記事)。

産業革命により人々の「労働者階級」と「資本家階級」への二分化が進む中、宗教に裏打ちされた「価値観」(あるいは「倫理観」)は「資本家階級」と「支配者階級」の暴走を防ぐ「安全装置」としての役割も果たしていた……と考えると、日本において「ブラック企業」や「労働報酬の搾取」が蔓延っているのも納得できてしまう……ような気もします。

「キリスト教の価値観」を社会規範として *強要* することは、最終的には「異教徒の迫害」に繋がるのですが、一方で日本のように「宗教的価値観(倫理観)の否定」をしてしまうと「資本家の寄生虫化」に歯止めがかからない……ということになってしまいます。しかもその上に「異民族の排斥」も行っているとなると、もはや救いようがない印象も……。

要は「人としての最低限の倫理観くらい持ち合わせようよ」ということなんですが……。

警官の護衛

絹織工場の見学を終えたイザベラは、その足で久保田(秋田)の街中の散策に出かけます。舶来品と思しき「掘り出し物」をゲットしたイザベラでしたが……

あちらこちら店を探しまわってようやく「イーグル」印の練乳を買った。商標は結構なのだが、開けてみると、茶褐色の乾いた小さな球状の凝乳が入っていた。しかもいやな臭いがしていた!
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.258 より引用)
あー……。似たような話はこれまでも何度もありましたが、品質管理(保管を含む)がダメダメだったのか、あるいは「パチもん」だったのか……。もちろんこの両方が相まった可能性も高いのですが、凄まじく残念な話です。

当時の日本においてはイザベラは「異人さん」であり、時には「人ではないなにか」と目されていたかもしれないのですが、いずれにせよ人目を引く存在であったイザベラは、久保田(秋田)でも大勢の群衆による好奇の視線に晒されていたようです。

群集のため窒息しそうになって私が店に腰を下ろしていると、急に人々は遠慮して遠ざかったので、私はやっと一息ついた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.258 より引用)
ところがイザベラを取り囲んでいた群衆は急に大人しくなります。イザベラの「街ブラ」が群衆を集めていたことに気づいた警察署長が機転を利かせて護衛をつけた効果が早速現れた、ということだったようです。

帰ってみると、警察署長の名刺があり、群集が迷惑をかけてすまない、外国人が久保田を訪れることは非常にまれであり、人々は外国婦人を今まで見たことがないと思う、という伝言を宿の主人に残してあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.258-259 より引用)
これを見る限り、久保田(秋田)の警察署長はなかなか良く出来た人物だったようですね。

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