2022年4月24日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (929) 「恩根留辺・遠留」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

恩根留辺(おんねるべ)

onne-{ru-pes-pe}
親である・{道・それに沿って下る・もの(川)}
(典拠あり、類型多数)
JR 石北本線は生田原から「八重沢川」沿いを南に向かい、「常紋トンネル」を抜けて留辺蘂に向かいます。国道 242 号が通る生田原川と石北本線が通る八重沢川の間に標高 556.6 m の山があり、「恩根留辺」という名前の三等三角点が設置されています。

明治時代の地形図を見ると、現在の「八重沢川」の位置に「オン子ルペシュペ」と描かれていました。onne-{ru-pes-pe} で「親である・{道・それに沿って下る・もの(川)}」、すなわち「親である・{峠道川}」ということでしょう。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヲン子ルベシベ」という名前の川が描かれていて、戊午日誌「西部由宇辺都誌」にも次のように記されていました。

またしばし過て左り
     ヲン子ルベシベ
是大なる山越と云儀也。是よりも昔しムツカえ山越のよしなりと聞り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.260-261 より引用)
この「ヲン子ルベシベ」の前には「ホンルベシベ」という川が記録されていて、秋葉実さんはこれを「青木沢川」ではないかとしていました。青木沢川を東に遡ると「摺鉢山」の北の鞍部を越えて留辺蘂町花園に出るので、「峠道のある川」と呼んだのは妥当な感じがします。

永田地名解にも次のように記されていました。

Pon rupeshbe     ポン ルペㇱュベ   小徑
Onne rupeshbe  オンネ ルペㇱュベ  大徑 常呂川「ポンムカ」ヘ越ス路
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.459 より引用)
常紋トンネルを抜けた先は「熊の沢川」で、かつて「金華かねはな駅」のあったあたりで「奔無加ぽんむか川」と合流しています。厳密には石北本線は「熊の沢川」経由で国道 242 号が「奔無加川」経由なのですが、「熊の沢川」は「奔無加川」の支流なので、「『ポンムカ』へ越す路」という表現でも問題ないかと思われます。

遠留(えんと)

wen-ru???
悪い・道
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
国道 242 号は「生田原川」に沿って南下し、生田原清里のあたりからは支流の「支線沢川」沿いを通って金華峠に向かいます。「支線沢川」と「奔無加川」の間(金華峠より西側)に「遠留えんと」という名前の四等三角点(標高 501.0 m)があります。

「遠留」が「えんる」だったら wen-ru で「悪い・道」の可能性があるなぁ……と思って取り上げてみたのですが、それらしい記録が見当たらない上に読み方も「えんと」とされていて、出だしから壁にぶち当たってしまい……(汗)。

仮に wen-ru だったとして、それがどこを指していたのかも重要なポイントです。最初は「金華峠」のことかと思ったのですが、もしかしたら「遠留」三角点のすぐ西側の鞍部のことかも知れないな、と思い始めています。

生田原と留辺蘂を結ぶルートとしては、JR 石北本線が通る「常紋トンネル」ルートと国道 242 号が通る「金華峠」の二つがありますが、「急勾配でもいいからとにかく短距離」を是とするアイヌの峠道の考え方に最もマッチするのは「常紋トンネル」ルートで、トンネルは無く標高も低いものの若干遠回りをする「金華峠」はアイヌの峠道の理想からは若干外れている印象があります。この「若干遠回り」を忌避して「悪い峠」と呼んだ、という可能性を考えてみました。

ただ「遠留」三角点と「金華峠」は少し離れていて、三角点の東西にもそれぞれ鞍部があるため、この鞍部のどちらかを指していた可能性もあります。どちらも地形が険しい上に、生田原や留辺蘂から見て金華峠よりも遠回りとなるので、やはり「使えない峠」という印象があります。

「遠留」が果たして wen-ru なのか、という根本的な点から精査する必要がありますが、仮に wen-ru だったとすれば、このあたりのどこかの峠が「悪い道」、すなわち「使えない峠」と認識されていた……ということになりそうですね。

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