(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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瀬戸瀬(せとせ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「瀬戸瀬」についても、以前にも北海道のアイヌ語地名 (70) 「丸瀬布・若咲内・瀬戸瀬」で取り上げていますが、記事にしてから 10 年ほど経つので、改めて検討してみることにしました。
遠軽と丸瀬布の中間あたりに位置する地名で、JR 石北本線に同名の駅があるほか、旭川紋別自動車道には「遠軽瀬戸瀬 IC」があります。また、IC のすぐ東側を「瀬戸瀬川」が流れています。
「セタニウㇱュウト゚ルコツ」説
明治時代の地形図には、現在の瀬戸瀬川の位置に「セタニウㇱュウト゚ルコツ」という川が描かれていました。「ウㇱュ」という謎な表記は永田方正の「北海道蝦夷語地名解」(通称:永田地名解)で編み出されたもので、これは us のことだとされます。ということで、永田地名解を確かめてみたところ……
Setani ush utur kot セタニ ウㇱュ ウト゚ル コッ 山梨ノ間ナル谷
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.458 より引用)
やはり記載がありましたね。{seta-ni}-us-utur-kot で「{エゾノコリンゴ}・ある・間・窪み」と考えたようです。{seta-ni}-us-utur-kot は川の名前と思われるので、そこから {seta-ni}-us を抜き出して地名にして、更に -ni を省略して seta-us という地名が誕生した……と考えれば、筋は通るでしょうか。瀬戸瀬川の東に「
「セトシ」と「セタン子シトルコツ」
ただ、戊午日誌「西部由宇辺都誌」の記述を見ていて、色々と妙なことに気づいてしまいました。ということで、今回も表の出番です。西部由宇辺都誌 | 補足情報 | 現在名(推定) |
---|---|---|
サナブチ | 右の方小川有。其上高山有。 | サナブチ川 |
イタラブト | 此処左りの方中川也。 | 生田原川 |
セタン子シトルコツ | 右の方小川有。此川の上に一ツの丸山有。此山に鹿梨多し。 | ? |
ホンニケウルヽ | 右のかた前の山の並びにして中に小沢一ツを隔てヽ有。 | ? |
イムシヲマイ | 右の方平山。 | ? |
インカルシ | 右の方高 | 瞰望岩? |
ク リ ベ | 右の方小川、本名はウリベと云よし也。 | ? |
ビロン子イ | 此処大なる渕右の岸に有りと。 | ? |
ビウカラセ | 右の方小川、水無沢と云儀のよし。両方高山なり。 | ? |
ヌツハタンナイ | ? | |
クテクンナイ | 左りの方小川有。此処左り岸は相応の平地なるが故に鹿多く遊び居によって毒矢を懸候由に附此名ありと云り。 | ? |
ユクルベシベ | 右の方小川の上に平山有。 | ? |
エウケチヤシコツ | 右の方小山有、其下に小沢有。 | ? |
セ ト シ | 左りの方小川有。此処昔しより毒箭を多く懸し処なるによって此名有りとかや。 | 瀬戸瀬? |
シユフヌツ | 左りの方小川。 | ? |
ヒラヲンナイ | 右の方小川。 | ? |
タン子ヌタフ | 此処河流屈曲したる処其辺りえ南の方よりさし出有るによって一ツの岬に成有りと。 | 若咲内 |
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.259-264 の内容をベースに作成)
念のため、ネタ元と思しき「午手控」も確認しましたが、記載内容に大きな異同はありませんでした。
これらの川名(等)の記録から、現在名の推定に使えそうなのが「サナブチ」と「イタラブト」、そして「インカルシ」と「タン子ヌタフ」でしょうか。「タン子ヌタフ」は tanne-nutap で「南の方から土地がせり出して岬のようになっている」とのことなので、この特徴は瀬戸瀬の西にある「若咲内」と一致します。
となると「タン子ヌタフ」の手前にある「セトシ」が「瀬戸瀬」のことだと考えられます。奇妙なことに「セタン子シトルコツ」は「イタラブト」と「インカルシ」の間に記録されているので、これだと(仮に「インカルシ」の位置を南西にずらしたとしても)「瀬戸瀬」とは遠く離れた場所に「セトシ」とは別に存在する、ということになってしまいます。
ついでに言えば「背谷牛山」「背谷牛川」と「セタン子シトルコツ」も位置が合っていません。
注目すべきは「セトシ」の項に「昔しより毒箭を多く懸し処」とある点ですが、よーく見るとお隣の「クテクンナイ」と被ってるんですよね。
「山の走り根」説
とりあえず、ここまででわかったことをまとめると次のようになるでしょうか。- 「セタン子シトルコツ」と「セトシ」は異なる場所
- 「セタン子シトルコツ」と「背谷牛山」「背谷牛川」も異なる場所
- 「瀬戸瀬」は「セタニウㇱュウト゚ルコツ」の省略形では無い
- 「セトシ」の由来を「昔しより毒箭を多く懸し処」とするのはやや疑わしい
結局のところ「瀬戸瀬」の意味は良くわからないことになってしまいましたが、音からは {si-tu}-us-i で「山の走り根・ついている・もの(川)」とは考えられないでしょうか。「山の走り根」というのも今ひとつ意味が通じにくいですが、頂上から伸びる長い尾根(但し他の山の頂上とつながらないもの)と考えると良いでしょうか。知床半島のミニチュアと考えると当たらずとも遠からずかもしれません。
あるいは……これは思いつきに過ぎないのですが、setakko-us-i で「ずいぶん長い間・そうである・もの(川)」が略された……というのはどうでしょうか。初山別村の「セタキナイ川」からの類推なんですが、「ずいぶん長い間」は「見た目よりも奥が深い」という捉え方ができるとのこと。
「瀬戸瀬川」も意外と奥まで遡ることができるので、これももしかしたらアリかなぁ……と思っていたりします。
都鳥林道(ととり──?)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
「都島」と言えば「天六に一番近い島」として知られていますが、瀬戸瀬川の西支流である「住友川」沿いの林道は「都島林道」ならぬ「都鳥林道」という名前でした。「ととり──」と読んでみましたが、正確な読みをご存じの方がいらっしゃいましたら是非ご一報を……。「都鳥林道」という名前が「住友川」に由来する場合は……という大前提が必要になるのですが、「ととり」がアイヌ語由来だとすれば(二つ目の大前提)tu-utur で「山の走り根・間」と考えられないだろうか……という話です。
察しのいい方はお気づきかもしれませんが、「都鳥」が tu-utur だったりしないか……という想像が、「瀬戸瀬」も si-tu-us-i じゃないか……という考え方のヒントになったのでした。
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