2022年4月3日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (923) 「トムイルベシベ沢・アチャポナイ川・チャチャナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トムイルベシベ沢

tomo-{ru-pes-pe}??
真ん中の・{峠道}
(?? = 典拠未確認、類型あり)
湧別川の南支流に「武利川」があり、中流部の「丸瀬布上武利」には「丸瀬布温泉」があります(しばらく誤解していたのですが、「丸瀬布温泉」は「丸瀬布川」沿いにあるわけでは無いのですね)。「丸瀬布温泉」から更に道道 1070 号「上武利丸瀬布線」を遡ったところで「上武利林道」が南東に分岐していて、「上武利林道」沿いに「トムイルベシベ沢」が流れています(武利川の東支流ということになりますね)。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 トムイルベシベ沢 湯の山峠から流れ,武利川に入る小川のある沢。「トムイ」の意味不明。「ルペㇱペ」は越路の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.485 より引用)
残念ながら「意味不明」とありますが、道東には似たような川が少なくとも二つあり、それらの意味を読み解くことで「トムイルベシベ沢」の意味も理解できるかもしれません。

足寄の「トメルペシュペ沢川」

足寄町には「トメルペシュペ沢川」という川があり、この川については鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」に次のように記されていました。

 十勝のアイヌ伝説(平原文庫第 2 巻) によると「この川の上流は足寄川に出る山道があって、この道から釧路の野盗が攻めて来ることがあった。それでトミ(戦争)ルベシベ(通路)といわれている。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.194 より引用)
気がつけば思いっきり孫引きになっていますね(すいません)。もう少し続きがありまして……

トゥミ・ルペㇱペ(tumi-ru-pes-pe 戦の・越えて行く路のついている川)の意である。ちなみにこの付近は「トメルベシベチャシ(とりで)」や「トプシチャシ」がある。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.194 より引用)
この「戦争」説については、山田秀三さんも次のように記していました。

トゥミ・ルペシペ(tumi-rupeshpe 戦の・峠道沢)の意らしい。他地方からの軍勢が侵入して来た,あるいは逃げて行った沢で,他地にもある名である。アイヌの種族間闘争を伝承する地名が諸地に残っているのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.301 より引用)
しかし、意外なことに更科源蔵さんは次のように考えていたようです。

語源はトメ・ルペㇱペで、トメヘの越路であるがトメがトミであれば戦となり、厚岸軍が攻めて来た路という伝説もあるが、急に信じられない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.249 より引用)
「釧路の野盗」が「厚岸軍」に化けてしまっていますね。厚岸グルメパークのあのお兄さんが大量に分身して攻めてきたとかだったら面白いのですが、さすがに無理がありそうです。そもそも足寄は「釧路アイヌ」のエリアだったという話もあるので、「トメルペシュペ沢川」を「釧路の野盗」が攻めてくるというのもちょっと不思議な話です。実際に「チャシ」があると言われると「戦争」の存在を否定できないのも事実ですが……。

網走の「トモルベシュベ川」

もうひとつの「似たような川」が網走市の「トモルベシュベ川」で、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」では次のように記されていました。

(41) トモルペシペ (Tomo-rupespe) ル・ペㇱ・ぺは「路が・それに沿うて下つている・者」の義で,山を越えて向うの土地へ降りて行く路のある沢を云う。トモとは何かの中間の義で,ここではノトロ湖とアバシリ湖の中間を云う。そこでトモルペシペは網走湖との間に山を越えて降りて行く路のついている沢の義となる。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.278-279 より引用)※ 原文ママ
「トモルベシュベ」は tomo-{ru-pes-pe} で「真ん中の・{峠道}」と解釈できるとのこと。これだと厚岸グルメパークのお兄さんの存在を意識しなくても良いので助かる……ではなくて理解しやすいですね。

閑話休題

ということで、武利川支流の「トムイルベシベ沢」についても、網走の「トモルベシュベ川」と同様に tomo-{ru-pes-pe} ではないかと考えています(tomo-e-{ru-pes-pe} で「真ん中・そこに・{峠道}」という解釈は可能かどうか……)。問題はどの辺が tomo なのか……というところです。

トムイルベシベ沢を遡ると、北見市留辺蘂町の「士気連別川」の源流部に出ることができます。また士気連別川に出る代わりに峠の手前で東に向かうと「生田原川」の源流部に出ることができます。峠道としては有用な川筋だったと言えそうでしょうか。

これは反則手なのですが、武利川の東支流を「トムイルベシベ沢」を中央に据えて考えると(ぉぃ)、「大きな峠道」としては他に「三の沢」と「七ノ沢」が挙げられるでしょうか。武利川の東支流の「三つの峠道」の中で真ん中に位置したので「真ん中の・峠道」と言う認識だった……と言ったところではないかと。

この言い回しはできれば使いたく無かったのですが、ちょっと無理やりな感じですいません……。

アチャポナイ川

achapo-nay??
おじ・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
「トムイルベシベ沢」の上流部で東から合流する支流です。「上武利林道アチャポナイ線」がアチャポナイ川沿いを通っているようです。

「アチャポナイ川」という川名からは achapo-nay で「おじ・川」と考えるしか無いでしょうか。achapoacapo)は「伯父」「叔父」のほかに「義父」を意味する場合もあるほか、千島アイヌ語では「翁」を意味する場合もあるとのこと。

全体的な傾向で言えば「『実父』の傍流」と言ったニュアンスが感じられます。地形に当てはめて考えてみると「本流に負けず劣らない支流」と言ったところかもしれませんが、実際の「アチャポナイ川」は「よくある支流」の規模で、本流とは比べ物にならないと言うのが正直なところでしょうか。

ただ「トムイルベシベ沢川」自体を比較の対象から外せば、南隣の「4の沢川」が「父親」で、その「父親の川」の隣の川が「おじの川」だ……と言えるのかもしれません。

チャチャナイ川

chacha-nay??
おじいちゃん・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
道道 1070 号「上武利丸瀬布線」で武利川沿いを遡ると、起点からそれほど遠くないところにある「柳橋」の近くで「チャチャナイ川」が東から武利川に合流しています。

chacha-nay は「おじいちゃん・川」と解釈できます。chacha は国後島の「爺爺ちゃちゃ岳」が有名ですが、知里さんの「──小辞典」には次のように記されていました。

chácha ちゃチャ もと老爺の意。地名では onne(年老いた,古い)の意を表わすらしい。~-kotan 【C】 [じじい・村](大昔から住み親しんで来た村)。~-nupuri 【C (クナシリ島);H 北(シレトコ半島)】[じじい・山](大昔から崇拝して親しんで来た山)。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.13 より引用)
ただ、「柳橋」の近くの「チャチャナイ川」を見た場合、他の支流と比べて特別視できるところがあるかと言われると……。似た規模の東支流が 3 つ並んでいて、その中では最も奥から流れているとも言えるので、そのことを指して「おじいちゃんの川」と呼んだ、と考えることはできるかもしれません。

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