2022年3月26日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (920) 「スプリコヤンベツ川・クワキンベツ川・八号沢林道 赤石線」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

スプリコヤンベツ川

nupuri-ko-yan-pet?
山・そこに向かって・上がる・川
(? = 典拠あり、類型未確認)
遠軽町西部(旧・白滝村)を流れる湧別川水系の川で、国道 333 号の「北見峠」の近くを流れています。短い川ながら地理院地図に川名が明記されているのが珍しいですが……。この川については、以前にも解釈を試みたのですが(2012/8/25 の記事)、見事なまでに間違えていたっぽいので以下の通り修正します……(すいませんすいません)。

何をどう間違えていたかと言う話ですが、明治時代の地形図に「ヌプリコヤンペツ」と描かれていることに気が付きました。「ヌプリコヤンペツ」であれば nupuri-ko-yan-pet で「山・そこに向かって・上がる・川」と解釈できそうです。

上川町と遠軽町の境に「和刈別わかりべつ」という名前の山(!)があるのですが、この山は「トイマルクシュベツ支川」が流れる南西側を除けば全体的に傾斜がなだらかに見えます。このあたりの山から湧別川に注ぐ川はいくつかありますが、麓から見た場合、スプリコヤンベツ川がもっとも急流であるように見えます。

急流ということは、最も短い距離で山地に登ることができるので、山地に登るには一番良い川ということで「山・そこに向かって・上がる・川」と呼んだのかな……と想像しています。

「和刈別」については、wakka-ru-pet で「水・道・川」あたりかな……と想像していますが正体不明です。「飲用に適した水が流れる川」なのかもしれませんが、そもそもどの川を「和刈別」と呼んだのかすら明らかではないので……。

クワキンベツ川

kucha-un-pet
山小屋・ある・川
(典拠あり、類型あり)
湧別川の南支流で、旭川紋別自動車道の「奥白滝 IC」の南から東のあたりを流れています。どうにも良くわからない川名ですが、明治時代の地形図には「クチヤウンペツ」と描かれていました。これなら意味するところは明瞭ですね。

kucha-un-pet で「山小屋・ある・川」だろうと思われます。kucha と似た語で kas というものがありますが、kas が「仮設の小屋」なのに対して kucha は「常設の小屋」だとのこと。知里さんkuchakucha-kot-chise の省略形ではないかと見ていたようです(「地名アイヌ語小辞典」p.53)。

それにしても、「クチャウンペツ」が「クワキンベツ」になるというのはなかなか豪快な転記ミスですね。某社の地図サイトには「クワキソベツ川」という情報もあり、まさに百花繚乱といったところでしょうか。もうすぐ春ですね……。

八号沢林道 赤石線(はちごうさわ── あかいし──)

suma-hure-{yu-pet}
石・赤い・{湧別川}
(典拠あり、類型あり)
奥白滝と上白滝の間……昔はどちらも JR 石北本線の駅があったのですが……で「八号沢川」が北から湧別川に注いでいます。この八号沢川沿いには未完成のまま放置された「緑資源幹線林道 滝雄たきお厚和こうわ線」の「滝上・白滝区間」が通っています。

この「八号沢川」は中流部で二手に別れていて、西側が「八号沢川」で東側が「流紋沢川」となります。「八号沢林道 赤石線」は流紋沢川沿いを通る路線で、未完の大規模林道である「緑資源幹線林道 滝雄・厚和線」から右手に分岐しています。

流紋沢川沿いを通る林道が何故「赤石線」なのかは謎ですが、明治時代の地形図には現在の「八号沢川」の位置に「シユマフレユーペツ」と描かれていました。これは suma-hure-{yu-pet} で「石・赤い・{湧別川}」と読めそうです。

「シユマフレユーペツ」の上流部が現在の「流紋沢川」だったのか、それとも現在の「八号沢川」だったのかは不明ですが、「流紋沢川」沿いの林道が「赤石線」と呼ばれていることを考えると、「流紋沢川」と、合流後の「八号沢川」が「シユマフレユーペツ」だった可能性もありそうです。

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