2022年3月6日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (915) 「奔然別・双雲内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

奔然別(ほんちかりべつ)

pon-{chi-kere}-pet??
支流である・{削れている}・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
アイヌ語の -pet は「川」を意味する……ということをご存じの方も多いかと思います。ところがなんと、上川町には「奔然別」という「山」が存在するとのこと。茅刈別川とトイマルクシュベツ川の間に聳える標高 1005.4 m の山の名前です。

「ぽんねんべつ」という読み方

地理院地図が「ベクトルタイル提供実験」で提供する地名情報によると、この「奔然別」は「ぽんねんべつ」と読むとのこと。「然別」は「しかりべつ」なのに、なんともややこしい話ですね。

更にややこしいことに、「奔然別」の頂上付近には三等三角点があるのですが、この三角点の名前は「ほんちかりべつ」だされています(三角点を設置した際の記録にそう記されています)。記録によると三角点の所在地は「北海道石狩國上川郡愛別村大字チクルベツ」とのことで、三角点には「チカリベツ沢」を経由して到達する……とあります(但し添付の手書き地図には、川の横に「チクルベツ」との表記あり)。

さて「茅刈別」とは

「チクルベツ」あるいは「チカリベツ沢」とある川は、現在の「茅刈別川」のことです。「茅刈別川」をどう解釈するかについては、「北海道地名誌」に次のように記されていました。

 茅刈別川 (ちかりべつがわ) 中越でトイマルクシュベツ川と並んで留辺志部川に合する小川で,ニセイカウシュペ山からの水を運ぶ。アイヌ語でわれわれのまわる川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.325 より引用)
「われわれのまわる川」、戸別訪問っぽい雰囲気が漂いますね(汗)。別解として、知里さんの「──小辞典」には次のような記載がありました。

~-kar-pet 〔チかㇽぺッ〕[われわれ人間の・作った・川] 堀川(地名解 422) 。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.17 より引用)
「地名解 422」とあるので、永田地名解の p.422 を見てみたところ……

Chikara pet  チカラ ペッ  堀川 直譯我レラノ作リタル川アイヌ等川口ヲ掘リテ水ヲ通シタルコトアリ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.422 より引用)
「われわれのまわる川」と「われわれの作った川」、全然違うようでいて実は kar の多義性?によって解釈が揺らいでいるだけのようにも見えます(後者は稚内市内の川の名前なので「茅刈別川」のことでは無いのですが)。

「削れている・川」説

茅刈別川を地形図で眺めてみても「われわれのまわる川」や「われわれの回した川」と言った雰囲気は感じられませんし、これだけの山の中に人造の川があるというのはナンセンスです。何かを見落としているような気がしていたのですが、そう言えば室蘭に「地球岬」というビュースポットがありましたよね。

「地球岬」は {chi-ke}-p で「{削れた}・もの」と解釈できそうですが、「茅刈別川」も似たような感じで {chi-kere}-pet で「{削れている}・川」と解釈できるのではないかと……。そして「奔然別」の南を流れている川は「茅刈別川」の本流ですが、もしかしたら昔は支流として認識されていたのではないか……。

現在の「茅刈別川」が pon-{chi-kere}-pet で「支流である・{削れている}・川」だったとすれば、その北側に聳える山の名前に *転用* されたとしても不自然ではないかなぁ、と思ったりします。

「ぽんねんべつ」という呼び方については……。「奔然別」を「ほんちかりべつ」と読めなかった人が新たな読み方を編み出した……ということじゃないかな、と。

双雲内(そううんない)

so-un-nay??
滝・ある・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
アイヌ語の -nay は「川」を意味する……ということをご存じの方も多いかと思います(既視感)。ところがなんと、上川町には「双雲内」という「山」が存在するとのこと。

この「双雲内」は山名と三角点名で読みが異なると言った面白い話は(幸いなことに)無いのですが、山の南側を流れる川の名前が「双雲別川」だったりします。今度は「別・内」論争に巻き込もうという腹でしょうか……。

この「双雲別(川)」ですが、丁巳日誌「再篙石狩日誌」や「東西蝦夷山川地理取調図」には見当たらず、永田地名解にも記載を見つけることができません。面白いことに「上川郡アイヌ語地名解」にも記載が無いのですが、明治時代の地形図には「ソーウンペツ」の文字が確認できます。

気になる「層雲峡」との関係

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

ソーウンペッ
 石狩川を遡り,そろそろ層雲峡に入ろうとする辺の東支流の名。双雲別川とも書かれ,もう少し本流を上った処の温泉も双雲別温泉と呼ばれていた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.103 より引用)
むむむっ。「層雲峡温泉」は双雲別川の河口から石狩川を 9 km ほど遡ったところにあるのですが……

層雲峡 そううんきょう
 石狩川上流の大峡谷の名。大正10年この地に来た大町桂月がつけた名だという。双雲別温泉などの名をもとに美しい字を当てたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.103 より引用)
ということらしいので、「層雲峡」は「移転地名」だった可能性がありそうですね。「双雲別」は so-un-pet で「滝・ある・川」と思われますが……

ソー・ウン・ペッ (so-un-pet 滝・ある・川)としか読めないが,いわゆる瀑布はないらしい。急流で岩にせかれて白波を揚げて流下する程度の処はあると聞いている。アイヌ語のソ(so)は滝と訳すが,この程度の処もこの名でいっていたらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.103 より引用)
地形図で現在の「双雲別川」を見てみると、砂防ダムと思しき記号がいくつも存在するように見えます。中には大きな岩に水がぶつかって飛沫を上げるような場所もあったのかもしれません。

「双雲別」と「双雲内」

そして何故か山の名前が「双雲内」である件ですが、双雲内の南東に「双雲別川」の支流と思しき谷があるので、この谷のことを so-un-nay と呼んだ可能性もある……かもしれません(根拠はゼロですが)。

ただ、もともと so-un-nay だった川がいつの間にか so-un-pet と呼ばれるようになった……という可能性のほうが高いかもしれません(naypet に化ける、あるいはその逆のケースはちょくちょく見られます)。

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