(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ウエンナイ川
(典拠あり、類型多数)
上川町北東部を流れる「留辺志部川」の北支流で、2001 年に廃止された JR 石北本線・天幕駅の東側を北から南に流れていました。すぐ東隣を流れる「岩内川」よりは流長・流域ともに小規模ですが、南側の「ノロマナイ沢」などと比べると段違いに大きな川です。ただ、その割に丁巳日誌「再篙石狩日誌」に記録は無く、また「東西蝦夷山川地理取調図」にもそれらしき川が描かれていません。このあたりは聞き書きだったため、情報の質・量ともに多くを期待できないのかもしれません。
明治時代の地形図には「ウエンナイ」と描かれていました。wen-nay で「悪い・川」のようですが、wen の前に何かが省略されていたのではないか……という期待も打ち砕かれた感がありますね。
知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」も、次のようにありました。
ウェンナイ(Wén-nai 「悪い・沢」) 左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.333 より引用)
とりあえず「悪い川」なのは確かっぽいですが、山田秀三さん風に言えば「何が悪かったのかはわからなくなっている」と言ったところでしょうか。落石が多くて危ない……あたりの可能性が想像できますが、正確なところは不明です。なお、「ウエンナイ川」を遡った先に標高 1187.2 m の「宇江内山」がありますが、これで「うえんない──」と読ませるとのこと。ちょいと力技でしょうか。
岩内川(いわない──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「ウエンナイ川」と同じく留辺志部川の北支流で、ウエンナイ川の東隣を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「イワナイ」という名前の川が描かれていました。明治時代の地形図にも「イワナイ」と描かれているので、ずっと「イワナイ」という名前だったと見て良さそうな感じでしょうか。丁巳日誌「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。
扨ルベシヘナイの事をヒヤトキに聞とも、委細はしらざりしが、後シリアイノ、エナヲアニ等に聞に、フトを入て少し行左りの方にイワナイ、此処温泉有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.314 より引用)
「温泉あり」という情報からは、「イワナイ」は iwaw-nay で「硫黄・川」だったのかなと思わせます。ただ知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には違う解が記されていました。イワナイ(Iwa-nai 「山・川」) 左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.333 より引用)
うーむ、これは困りましたね。改めて知里さんの「──小辞典」で iwa の意味を確かめてみると……iwa イわ 岩山;山。──この語は今はただ山の意に用いるが,もとは祖先の祭場のある神聖な山をさしたらしい。語原は kamuy-iwak-i (神・住む・所)の省略形か。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.38 より引用)
ちょっと攻めた解釈が知里さんらしいですね。単なる「山」だとすれば、この辺は山だらけなので何故……となるのですが、「熊の棲む山」というニュアンスだと考えれば、iwa-nay で「岩山・川」という考え方もなんとなく納得できてしまいそうな気もします。「再篙石狩日誌」の「温泉あり」も見逃せない情報ではあるのですが、地形図を見た限りでは温泉らしきものが見当たらないというのも確かです。どっちも決め手を欠いているのかなぁ……というのが率直な印象です。
ニタイオマップ川
(典拠あり、類型あり)
上川町北東部、かつて石北本線の丁巳日誌「再篙石狩日誌」と「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヤラカルシベ」という川の記録があり、位置関係を考慮するとこれが現在の「ニタイオマップ川」に相当しそうにも思えます。
明治時代の地形図には、「ニタイオマップ」ではなく「ニセイオマプ」という名前の川が描かれていました。nitay-oma-p であれば「林・そこに入る・もの(川)」と読めますが、nisey-oma-p であれば「断崖・そこに入る・もの(川)」と読めそうです。
知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
ニセイオマプ(Nisei-oma-p 「断崖・に行く・者」) 左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.333 より引用)
少なくとも明治から昭和の前半あたりまでは「ニセイオマプ」だったようですね。「セ」を「タ」に誤ったのは、東隣に「オタツニタイオマップ川」があったことも影響しているかもしれません。……いや、これ、明らかに影響してますよね。オタツニタイオマップ川
(典拠あり、類型あり)
ということで東隣のオタツニタイオマップ川です(手を抜いたな)。石北本線の旧・丁巳日誌「再篙石狩日誌」には「タツカルウシナイ」という記載があり、「東西蝦夷山川地理取調図」では「タツカルシナイ」という名前の川が描かれています。明治時代の地形図には「オタツニタイオマプ」と「オタツニタヨロマプ」の二通りが確認できます。やたらとバリエーション豊富に見えますが、どれも「タツ」が含まれているところがポイントでしょうか。
知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
オタツニタイオマプ(O-tatni-tai-oma-p 「川尻の・樺・林・に入って行く・者」)左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.333 より引用)
o-{tat-ni}-tay-oma-p で「河口・{樺の木}・林・そこに入る・もの(川)」と解釈できそうですね。tat は「樺の木の皮」を意味するので、「樺の木」であれば tat-ni で「樺の木の皮・木」とすべきである……ということだったかと記憶しています。主体が樹木そのものではなく樹皮にある、というのが面白いですよね。「タツカルウシナイ」であれば tat-kar-us-nay で「樺の木の皮・とる・いつもする・川」と読めます。「オタツニタヨロマプ」であれば o-{tat-ni}-tay-oro-oma-p で「河口・{樺の木}・林・その中・そこに入る・もの(川)」でしょうか。tay-oro-oma-p であれば「多寄」の語源と同じと言えそうですね。
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