左折すると稚内空港方面に戻ってしまうので、そのまま直進して東に向かいます。ここからは二日前に走ったルートを逆走することになりますね。
大きめのサイズの青看板が見えます。この先、道道 84 号「豊富浜頓別線」は猿払村南部を経由して浜頓別に向かうことになるのですが、近い順で地名が並んでいるのはちょっと珍しい感もあります。
地名の横にはカントリーサインが描かれています。猿払村は「インディギルカ号遭難者慰霊碑」、浜頓別町は「クッチャロ湖の白鳥」そして江差町は「北緯 45 度のカニ」のようですね。当たり前の話ですが、統一感の無さが良いですよね。
あとそう言えば、この青看板って地名が列挙されているだけで距離が出てないんですよね。あまり記憶に無いのですが、他所でも似たような例があったかどうか……。
日曹炭坑記念碑
道道 84 号を東に進む途中、道路脇にこんな案内を見かけました。「日曹炭坑記念碑」とあります。そう言えば豊富にも炭鉱があったなぁ……という程度の認識でしたが、「日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道」がこのあたりまで伸びていたみたいですね(思ったよりも山奥だったので驚いています)。そして「日曹」は「日本曹達」の略だということに今頃気づきました。
記念碑の存在に最初から気づいていれば良かったのですが、気づいた時にはもう手遅れで……。いつか再訪したいです。
「一坑駅」の近くの「一坑橋」
道道 84 号は「一坑橋」で久しぶりに下エベコロベツ川を渡ります。「日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道」の「一坑駅」がこの近くにあったみたいですね。「一坑橋」から 300 m ほど先に「二の沢橋」があり、その手前で道道 785 号「豊富中頓別線」が分岐しています。道道 785 号が認定されたのは 1972 年とのことで、これは「日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道」の廃止と同じ年です。
なんとも立派な「二の沢大橋」
交叉点を右折して、道道 785 号に入ります。「夜間の除雪はしていません」の標識が見えますね。路線認定から 40 年以上経過している筈ですが、看板などは随分と新しそうに見えます。1970 年代の航空写真ではこの道路は影も形も無いので、何も無いところにイチから道路を建設したということでしょうか。路線認定の時期が閉山と重なることから、もしかして雇用創出のための道路だったのだろうか、とも考えたくなります。
前方に随分と立派な橋が見えてきました。「二の沢川」の支流を一跨ぎする橋で「二の沢大橋」という名前とのこと。かなり立派な橋ですが、橋の名前を案内する標識などは見当たりません。北海道には事業途中で予算が凍結されて未開通のままの道路がちょくちょく存在しますが、どことなく似たような雰囲気がありますね。
この「二の沢大橋」も少しルートを変更すれば建設を回避することもできたのでは? と思ったりもします。全体的にオーバースペックと言うか、金に糸目をつけない雰囲気が感じられますね。今から同レベルの道路を建設しようとしても、おそらく予算が通らないのでは……。
ポータルが巨大な「豊幌トンネル」
どことなくバブリーな印象が拭えない道道 785 号「豊富中頓別線」ですが、「豊幌橋」で二の沢川の支流(名称不詳)を渡ると……前方にトンネルが見えてきました。トンネルの向こうは「問寒別川」の流域です。
豊幌トンネルに入ります。それにしてもこのトンネルポータル、でかい……ですよね。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿