2022年2月20日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (911) 「エチャナンケップ川・クツウンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

エチャナンケップ川

e-chi-nanke-p??
頭・自ら・削る・もの
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
上川町の市街地の北東には「留辺志部山」が聳えていて、留辺志部山と西にある「江差牛山」の間の鞍部に「越路峠」があります。「エチャナンケップ川」は留辺志部山から江差牛山の北側を流れる川の名前で、石狩川の北支流です。

「イチナンケフ」と「イチラシケ」

「東西蝦夷山川地理取調図」には「エシヤウシ」という名前の川が描かれていました(これは現在の「江差牛山」の元の形でしょうか)。そして気になる点として、現在の愛別町のあたりに「イチナンケフ」という *南支流* が描かれています。

これは現在の「エチラスケップ川」のことと考えられますが、実際のエチラスケップ川と比べて異様に大きく描かれている上に、上流部には「ホンイチナンゲフ」「ホリヲシマコマナイ」「シノマンイチナンゲフ」と言った支流が描かれています。エチラスケップ川も上流部はいくつかに枝分かれしているので間違いでは無いのですが、他の川と比較して見てみると、やはりスケールがおかしいように思えてなりません。

ただ、丁巳日誌「再篙石狩日誌」には「エチラスケップ川」に相当する川の記録として次のように記されていて……

此筈原を分て行こと凡十丁計にて
     イチラシケ
川すじに出るなり。此処より本川端まては十丁も有と聞り。川すじに出るなり。川巾五六間、水消く、桃花魚・雑喉多し。依て此処にて宿さんとて、形計の丸小屋を懸て宿するに、
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.310 より引用)
そしてしばらく後には次のように記されていました。

また少し奥に当りて
     ホ リ ヽ
左りの方小川、両岸峨々として見ゆるなり。
     シユマチシユシユ
右の方小川、此辺両岸少し平地の様に見ゆる也。
     イチナンケ
     エシヤウシ
二川とも左りの方、柳原なり。しばし行て
     アンタラマ
川巾相応に見えけるなり。此川石カリ岳より落来るよしなり。其川の奥は見えかたし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.313 より引用)
これらの記録から ①「イチラシケ」(=エチラスケップ川)と「イチナンケ」(=エチャナンケップ川)は異なる川である、そして ②「イチナンケ」(=エチャナンケップ川)と「エシヤウシ」も異なる *川* である、ということがわかります。

現在の「エチャナンケップ川」と「エチラスケップ川」の規模は 5:1 くらいに見えますし、「エシヤウシ」らしき川に至ってはエチャナンケップ川の 1/10 くらいの規模に見えます。

ところが「東西蝦夷山川地理取調図」には最も規模が大きい筈の「イチナンケ」(=エチャナンケップ川)が描かれておらず、代わりに「イチラシケ」(=エチラスケップ川)が巨大に描かれています。「再篙石狩日誌」にはどちらの川も概ね正確に記録していたものの、「東西蝦夷──」を作図する際に両河川を誤って同一視してしまったと言うことでしょうか。

「イチナンケ」の解釈

どうやら「エチャナンケップ川」は「イチナンケ」らしいということが見えてきましたので、永田地名解を見ておきましょうか。

Echi nangep  エチ ナンゲㇷ゚  ?
Esha ushi    エシャ ウシ   ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.47 より引用)
伝家の宝刀は今日も切れまくりですね。ということで知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」を眺めてみたのですが、なんと「エチャナンケップ川」の記載がありません(!)。「上川郡アイヌ語地名解」はかなり小さな川までカバーされている印象があるのですが、時折「えっ」と思える川が漏れていたりするんですよね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

 むりに似た字を並べると,例えば e-cha-nanke-p (そこで・柴を・刈る・処) ともなりそうだが全く当て字に過ぎない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.101 より引用)
ありそうな仮説ですが、松浦武四郎は「イチナンケ」と記録していて、永田方正も「エチ ナンゲㇷ゚」と記録しているので、ここは素直?に e-chi-nanke-p で「頭・自ら・削る・もの(川)」と考えられないでしょうか。

以前は「水源部のがけ崩れが多い川」と考えてみたのですが、むしろ「越路峠」のあたりの地形を指して、「『頭』(=江差牛山)を削る川」だったのではないかと思い始めています。

e-{chi-nanke}-p は「頭・{削れている}・もの」と解釈するのがより適切かもしれませんが、これだと(川ではなく)山の名前っぽくなるんですよね。

クツウンベツ川

kut-un-pet
岩崖・ある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
エチャナンケップ川の北支流の名前です。上流部は「クツウンベツ支川」や「火滝ノ沢」と言った支流があり、地形図ではどちらの川沿いにも崖が存在するように描かれています。

クツウンベツ川も、エチャナンケップ川と同様に「東西蝦夷山川地理取調図」には描かれていません。ただ明治時代の地形図には「クツウンペツ」という名前で描かれていたので、当時から現在とほぼ同じ名前で認識されていたと見て良さそうです。

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」にも「クツウンベツ川」は記載がありませんが、「愛別川筋の地名」として次のような川がリストアップされていました。

 クトゥン・アイペツ(<kut 「岩崖」 un 「へ行く」 Aipet 「愛別川」)
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.332 より引用)
残念なことに、この「クトゥン・アイペツ」の詳細については良くわかりませんが、「マタルクシ・アイペツ」と「ルベシベ」の間に記されているので、もしかしたら現在「鉱山の沢」あるいは「藤次郎の沢川」と呼ばれている川のことかもしれませんし、あるいは「熊の沢川」のことかもしれません。

「クツウンベツ川」も謎の「クトゥン・アイペツ」と同様に kut-un-pet で「岩崖・ある・川」と見て良いかと思われます。そう考えないと伏線が回収でk

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