「アイヌと稚内」と題された展示もありました。
アイヌ語由来の地名をまとめたパネルが展示されていました。やはり地名は誰もが興味を持ちやすいものでしょうし、「今に生きるアイヌ語」の最たるものとも言えますからね。
こちらはアイヌ語「宗谷方言」のインフォーマントとしても知られる「柏木ベン」さんの写真です。目を瞑った姿が印象的ですが、「アイヌ語方言辞典」によると昭和 17 年頃に失明していたとのこと。
柏木さんによると「樺太のアイヌ語は宗谷方言とは少し発音が違うが理解できる」そうで、このあたりの地名でも樺太のアイヌ語の影響が感じられたような気がしましたが、やはりそれなりに交流があったと見て良さそうですね。
考古資料コーナー
続いては「考古資料コーナー」です。よく見ると「日本語」「ロシア語」「英語」の順で並んでいるんですね。
「考古資料コーナー」も「生活文化コーナー」と同じく、やや圧迫感のある一角にあります。当初から展示コーナーとして使用することを考えていたのか、それとも本来はバックヤードだったものを展示コーナーに転用したのか、どっちなんでしょうね……?
回廊の「行き止まり」には遺跡から出土したと思しき土器が展示されていました。
御料馬車
「稚内市北方記念館」の入口に戻ってきました。……あれ、もしかして「床一面に敷かれた古地図」の展示から見始めたのは、本来想定された順路とは逆だったでしょうか……(汗)。ちなみにこちらの車輌ですが……
あっ、これって馬車だったんですね。自動車だと勘違いしていましたが、そう言われてみればエンジンが見当たりません(汗)。
ガラス窓の近くには、なんか凄そうなヒーター(ですよね)が置かれていました。もしかして、かなり風量があるんでしょうか……?
「樺太(サハリン)と稚内」
「稚内市北方記念館」の 2 階は「樺太(サハリン)と稚内」をテーマにした展示室があります。展示名は隣国に配慮したようにも見えますが、日本政府の見解では南半分は「帰属未定地」の筈なので……現実的なところに落とし所を見出したのか、それともそこまで深く考えたわけでも無いのか、果たして……?お、キリル文字でも「Карафуто」なんですね。まぁ、確かに「サハリン」と言われるとロシアやソ連の印象がどうしても強くなるので、帰属の歴史を抜きにして島の名前として考えるなら、やはり「樺太」のほうがしっくり来るということでしょうか。
「写真撮影承ります」とありますが、館内での記念撮影をスタッフの方がお手伝いして下さるとのこと。親切な対応をしていただけるのは素直に嬉しいですね。
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