2022年1月30日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (905) 「俵真布・朗根内・横牛」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

俵真布(たわらまっぷ)

penke-sunku-taor-oma-p?
川上側の・エゾマツ・川岸の高所・そこに入る・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
辺別べべつ川中流部の地名で、同名の川も流れています(辺別川の南支流)。

明治時代の地形図には、「パンケシュムケタロマㇷ゚」という川が描かれています。また別の地形図には「パンケシユロケタロマプ」「ペンケシユケケタロマプ」という川が描かれていました。

どちらが現在の「俵真布川」に相当するのかという点は少々ややこしくて、現在の俵真布川は上流部が「ペンカシユケケタロマプ」で下流部が「パンケシユロケタロマプ」に当たると考えられます。人工的に流路改修が行われたような感じですね。

謎の多い「霧の多い」

このあたりのアイヌ語地名は、知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」という実に良い資料があるのですが、「俵真布」については何故か記載が漏れています。ということで「角川──」を見てみたところ……

地名は,アイヌ語のパンケシュムケタロマプ(霧の多い,または霧の深い沢の意)に由来するといわれるが明らかではない。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.849 より引用)
うーむ、「パンケシュムケタロマプ」をどのように解釈すれば「霧の多い沢」となるのでしょうか……。

また,タロマプは,俵物の収穫を念じてつけたともいう。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.849 より引用)
あー。これは流石に後付のこじつけでしょうね。

「西側に出る」説

更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

もとは「たわらまっぶ」といわず俵真布と書いて「たろまっぷ」といっていたが、いつの問にか文村通りの発音になってしまった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.133 より引用)※ 原文ママ
「文村通り」は「文字通り」なんでしょうけど、何故こんな誤植が……。

 ペンケは川上の方をさし、パンケは川下をさす言葉でシュムケは西側に出るという意味であると思われるがはっきりしない。タロマップは低いところにあるものと思われるが、これもはっきりしたことは言えない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.133 より引用)
panke-sum-ke-taor-oma-p で「川下側の・西・の所・低いところ・そこにある・もの(川)」と解釈したっぽい感じでしょうか。先程の「霧の深い沢」よりは具体的な感じが出てきましたが、「西側に出る」というのが良くわかりません。

「エゾマツの生い茂る高台」説

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケシユンクタロウシ」「ヘンケシユンクタロウシ」という名前の川が描かれていました。また丁巳日誌「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

     ハンケシユンクタロマツフ右の方
     ヘンケシユンクタロマツフ右の方
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.273 より引用)
松浦武四郎は実際に辺別川を遡ったわけではなく、インフォーマントから聞いた情報をそのまま記していますが、この情報は概ね正しそうな感じでしょうか。「ヘンケシユンクタロマツフ」は penke-sunku-taor-oma-p で「川上側の・エゾマツ・川岸の高所・そこに入る・もの(川)」と読めそうです。

sunku-taor というつながりが若干引っかかりますが、sunku-us-taor-us が略されたのかもしれませんね。

「ん、taor は『低いところ』じゃないのか?」という疑問を持たれるかもしれませんが、知里さんの「──小辞典」には次のようにありました。

taor, -i / -o タおㇽ ①川岸の高所。②【ビホロ】[<ra-or(低・所)]。沢の中;低い所。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.128 より引用)
ということで、むちゃくちゃ矛盾したことが書いてあるようで、実はそうでも無いのかもしれません(どっちだ)。

俵真布のあたりは辺別川の沖積平野っぽい平地が広がっていますが、川沿いの平地の南北には山地が広がっています(割と当たり前の話ですいません)。俵真布川の中流部から上流部は「川岸の高所」の「低い所」を流れているので、そう考えると整合性があるような、無いような……(だからどっちだ)。

朗根内(ろうねない)

rawne-nay
深い・川
(典拠あり、類型多数)
美瑛町俵真布の北西、東神楽町志比内の南のあたりの地名です。志比内と朗根内の間は道道 213 号「天人峡美瑛線」で結ばれていますが、この峠道はまるで人工の掘割のような地形ですよね。

この「朗根内」は、「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「再篙石狩日誌」には記録がありませんが、知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ラウネナイ(Ráune-nai「深い・沢」) 左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.328 より引用)
やはりと言うべきか、rawne-nay で「深い・川」と考えて良いようです。「ラウネナイ」は「らうねない」なので、「らう」が歴史的仮名遣いと誤解されて「ろうねない」になってしまったのかもしれません。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

諸地にラウネナイがあり,従来は深い川と訳されて来たが,行って見ると殆んどが水の深い川ではない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.110 より引用)
rawne は確かに「深い」という意味なのですが、「水が深い」という意味ではなく「深い位置にある」という意味だとされます(「水が深い」という意味は ooho だとされますね)。

ラウネは「低い処である」ぐらいの意味なのではないかと思って来た。多くは両側が高い,つまり低い沢の中の小川である。だがここのラウネナイは片側が山である小川でどうもはっきりしない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.110 より引用)
あー、なるほど。山田さんは「朗根内川」の位置を間違えていた可能性がありそうですね。現在の「朗根内川」は「朗根内町内」集落の東側の、両側を山に挟まれた川なのですが、沖積平野の北側を流れる用水路と間違えたとすれば納得です。地名解釈を行う場合は、位置を正確に把握することは大切だ、ということですね……。

横牛(よこうし)

yoko-us-i
狙う・いつもする・ところ(川)
(典拠あり、類型あり)
美瑛町朗根内の西のあたりの地名です。南側に「堀の沢川」と「ポン堀の沢川」という川が流れていますが、明治時代の地形図では「ポン堀の沢川」と合流後の「堀の沢川」の位置に「ヨコウシ」と描かれていました。やはり元は川の名前だったような感じです。

川の名前にしては -pet-nay もついていませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヨコウシヘツ」という名前の川が描かれていました。どうやら -pet はあっさりと省略されてしまったということでしょうか。

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ヨコウシ(Yóko-ush-i 「狙い射ちし・つけている・所」) いつもそこで鹿を待ち伏せて狙い射った所の義。右,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.328 より引用)
yoko-us-i で「狙う・いつもする・ところ(川)」と考えて良さそうですね。道内のあちこちで目にする地名なので、「知ってたよ」という方も多いかもしれません。

更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 横牛(よこうし)
 ヨコウシ(いつも待伏せするところ)という地名は、山間のせまい谷間で鹿を待ち伏せしたり、海岸の出端で魚を待ったところなので、多く開拓されない土地なので、あまり漢字をあてたところがないが、愛別町の要越内と、ここの横牛もきれいに開拓されて漢字になっているが、実はこの地名の原地も辺別川の支流で、辺別川を伝って鹿が通り道にしていたので、ここで待ち伏せたのであった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.132-133 より引用)
「は、したり、で、で、が、と、が、で、で、あった。」と更科節が全開ですね。あまりに見事なので一文まるごと引用してしまいました(すいません)。yoko-us は更科さんの指摘の通り、愛別に「要腰内」があるほか、標津にも「横牛川」がありますね。

白老にも「ヨコスト川」がありますが、これは i-uk-us-to で「それ・採取する・いつもする・沼」の可能性が高そうです。

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