2022年1月16日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (901) 「コルコニウシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

コルコニウシベツ川

korkoni-us-pet
ふき・ある・川
(典拠あり、類型あり)
富良野川の東支流で、上富良野駅の北を流れる川の名前です。上流には「日の出ダム」があります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「コロクニウシコツ」という名前の山(丘?)が描かれていました。「コツ」が kot だとしたら「窪み」なので、山の名前としては適切ではないようにも感じられますが……。

「イワヲヘツ」とその支流

「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、現在の「富良野川」の河口に相当する位置に「イワヲヘツフト」と描かれています。この川の上流側には「イワヲヘツ」と描かれているため、当時「富良野川」は「イワヲヘツ」と認識されていたように見えます。

「イワヲヘツ」(=富良野川)にはいくつかの支流が描かれていて、中流部では北西から「フウラヌイ」「レリケウシナイ」「フシコヘツ」「イワヲヘツ」「レホシナイ」などの川が描かれています。「コロコニウシコツ」は「レホシナイ」の南東、「レホシナイ」と「ヘヽルイ」(現在の「ベベルイ川」)の「山」として描かれています。

戊午日誌「東部登加智留宇知之誌」には次のように記されていました。

其中五六丁を過て
     フウラヌイ
川巾弐間計、相応の川にしてふかし。シヤリキウシナイ、ホンカンベツ、ホロカンベツ等何れも此河に合してソラチえ落るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.157 より引用)
先日の記事でも言及した通り、松浦武四郎の「十勝越え」は案内役のアイヌによって意図的に誤ったルート選定がなされた疑いが濃厚とされていますが、とりあえず美瑛から上富良野に抜けたという点は間違いないと思われます。

川の名前と特徴

このあたりの「東部登加智留宇知之誌」の記録は読めば読むほど謎が深まる感があり、実際にどのルートを歩いたのか推測することが非常に難しいのですが……順番に川の名前と特徴を表にしてみました。

川名特徴現在の川名(推定)
ビエナエイ小川
ホンビバウシ小川
ホロビハウシ川巾三間計(約 5.5 m)美瑛美馬牛川?
ホンカンベツ巾五六尺(約 1.5~1.8 m)
ホロカンベツホンカンベツから約 300 m。川沿いを下ると崖になる
シヤリキウシナイ形ばかりの小川
フウラヌイ川巾弐間計(約 3.6 m)
十七八丁(約 1.9 km)を過ぎて
クヲナイ小川・水源ビエノボリ
廿余丁(約 2.2 km)を過ぎて
レリケウシナイ川巾六尺計(約 1.8 m)款冬花ふきのとうあり
フシコベツ川巾七八間?(約 13 m)ホロベツナイ川?
イワヲベツ川巾五六間?(約 10 m)ヌッカクシ富良野川?
十七八丁(約 1.9 km)を過ぎて
レボシナイ小川デボツナイ川?
三四丁(約 380 m)を過ぎて
コロクニウシコツ小川
拾三四丁(約 1.5 km)を過ぎて山にかかり

この手の作業を始めると、だいたい途中で頭を抱えることになるのですが、今回もまさにそんな感じです。一部、推定される川名を記してみましたが、実は矛盾した内容が含まれています。具体的には「ホロベツナイ川」と「ヌッカクシ富良野川」の順番をしれっと入れ替えています。

「イワヲベツ」は「硫黄の焼ける処より来る」という明確な特徴があり、この特徴に合致するのは「ヌッカクシ富良野川」を措いて他にありません。しかし「イワヲベツ」と「フウラヌイ」の間に「フシコベツ」に該当する規模の川が見当たらないという大きな問題があります。

コルコニウシベツ川を「フシコベツ」と推定することも可能ですが、そうなると「クヲナイ」と「レリケウシナイ」に相当する川が見当たらないことになります。これらの矛盾は「東部登加智留宇知之誌」の「イワヲベツ」と「フシコベツ」の順序を入れ替えることで解消が可能になる……との認識です。

「フウラヌイ」と「クヲナイ」の順序も逆転させたほうが適切かもしれません。

「コルコニウシベツ川」とは

また、今回の本題である「コルコニウシベツ川」と「コロクニウシコツ」の位置は全く異なるということになります。「コロクニウシコツ」は Google マップに「東中金刀比羅神社 跡」とあるあたりの北側に相当するのでは、と考えられます。

要は「コロクニウシコツ」と「コルコニウシベツ川」は異なる場所ですよ……ということを証明したかったのですが、随分と長くなってしまいました(汗)。ではそろそろ本題に……(ぉぃ)。

「コルコニウシベツ川」は、松浦武四郎が「レリケウシナイ」(rerke-us-nay で「山向こう・にある・川」か?)と記録した川と思われ、korkoni-us-pet で「ふき・ある・川」という意味だと考えられます。

同じ茅原をまた廿余丁過て
     レリケウシナイ
川巾六尺計。両岸柏槲・樺・赤楊・柳多し。川中焼石のみ。水源ビエより来りソラチに落るよし。其辺り早藕・献春菜多し 。また款冬花ふきのとう有るによつて、是を摘み喰す。然るに土人は余り是を喰することを不好由なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.158-159 より引用)※ 原文ママ
「ふきのとう」があるということから「コルコニウシベツ」と呼ばれるようになった、と言ったところなのでしょうね。

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