2022年1月15日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (900) 「勇振川・瓊発辺・経歳鶴」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

勇振川(ゆうふれ──)

yu-hure-nay?
湯・赤い・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
空知川の西支流で、JR 根室本線・山部駅の北を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」や永田地名解にはそれらしき川が見当たらず、明治時代の地形図には川は描かれていたものの川名の記載がありませんでした(残念)。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 ユウフレ沢 芦別岳から流れ出し空知川に注ぐ小川。アイヌ語で湯が赤いという意味になるが,温泉がないので意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.307 より引用)
一方で、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

富良野市役所の調べによれば「赤い温泉の意で上流に地獄谷があり,上流にリイフレナイがある」とのことであった。yu-hure(温泉・赤い)と解したものであるが, この文を総合して見ると,フレ・ナイ(赤い川)という川があって,その一脈がユー・フレ・ナイ(温泉のある・赤川)だったのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.71 より引用)
yu-hure-nay で「湯・赤い・川」と考えたようですが、どうも温泉の有無について真っ向から見解が分かれているようです。

十勝岳の周辺には温泉が多いのですが、芦別市との境界に聳える「芦別岳」のまわりには名のある温泉は見当たらないように見えるので、果たして「赤い温泉」説が妥当なのかどうか、ちょっと疑問に思えてきます。「富良野市役所の調べによれば」というイントロはとても説得力があるのですが……。

ユーフレナイに湯は出たか

山田さんの「フレ・ナイ(赤い川)という川があって,その一脈がユー・フレ・ナイ(温泉のある・赤川)だったのかもしれない」という推測は、確かに「ありそうな説」に思えます。松浦武四郎の紀行文でも「赤土」や「赤い水」に関する記述が散見されるほか、現在の「布礼別川」のことと考えられる「フウレヘツ」という川名も記録されています(但し何故か「東西蝦夷山川地理取調図」には描かれていません)。

とりあえずこのあたりには「フレナイ」や「フレベツ」がわんさかあるので、それぞれを識別するために独自のキーワードを頭に追加していた……と考えて良いのかな、と思えます。芦別岳のあたりには温泉が無さそうに見えますが、だからこそ鉱泉レベルでも「湯の出るフレナイ」と呼ばれた可能性も出てきますし、あるいは i-o-hure-nay で「アレ・多くいる・赤い・川」だった可能性もあるかもしれません。「アレ」は「ヒグマ」かもしれませんし、あるいは「マムシ」あたりかもしれません。

今の段階では山田さんの記した yu-hure-nay で「湯・赤い・川」説を否定するだけの根拠を持ち合わせていないのですが、「いやいや上流にも湯なんて出ないよ」という話になったならば……ということで。

瓊発辺(ぬぽっぺ)

num-ot-pe??
胡桃・多い・もの(川)
(?? = 典拠未確認、類型あり)
JR 根室本線の布部駅の北側を「布部川」という川が流れています(空知川の東支流です)。布部川を遡って東に向かうと麓郷の市街地がありますが、麓郷の市街地から見て北東、トウヤウスベ山の西南西に「瓊発辺」という名前の二等三角点があります。

」という字がおそろしく難読ですが、戦国時代に「安国寺恵瓊」という僧籍の武将?がいたのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。「瓊」を「ケイ」と読むのは漢音のようで、訓読みでは「たま」または「に」や「ぬ」と読むとのこと。

この三角点は「布部川」の流域(山の上ですが)にあるので、「瓊発辺」と「布部」は由来を同じくすると考えるのが自然でしょうか。「布部」は num-ot-pe で「胡桃・多い・もの(川)」だと言われていて、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヌモツベフト」「ヌモツヘイトコ」などの川名や地名が描かれています。

明治時代の地形図にも「ヌモッペ」「サルンヌモッペ」「ポンヌモッペ」などと描かれていて、いずれも「ヌモッペ」で統一されています。その中で、上流部に存在するこの三角点だけが「ぬぽっぺ」なのが気になるところです。

「布部」の num-ot-pe も他所で見かけない解だけに、実は「ヌポッペ」が本来の形に近いんじゃないか……と考えたくなります。nup-o-pet で「野原・にある・川」と読むことも可能ですが、山田秀三さんによると……

 アイヌ語の語尾の子音ムもプ(m, p)も不破裂音で,唇を閉じたままであるためか,よくムがプに訛って残った。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.242 より引用)
「ム」が「プ」に訛るケースが多かったとのこと。この「ヌポッペ」もその一例だったのかもしれません。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

経歳鶴(へとしつる)

pet-utur?
川・間
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
トウヤウスベ山の南、南富良野町との境界上に位置する標高 930.9 m の二等三角点の名前です。「瓊発辺」とは違って馴染みのある漢字ばかりで、重箱読みや湯桶読みでも無いのに読める気がしないというのは……なかなかのものですね。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘトスルシベ」という山が描かれていました。これだけでは何のことやら……ですが、明治時代の地形図には「ニシタㇷ゚ペト゚ツルポンヌプリ」と言う名前の山が描かれていました(「1135」と描かれていて、現在の標高 930.9 m とはかなり食い違っていますが……)。

「へとしつる」という読みからは pet-us-utur あたりが想像されますが、「ニシタㇷ゚ペト゚ツルポンヌプリ」は ni-us-tap-pet-utur-pon-nupuri と読めそうですので、単純に pet-utur で「川・間」だった可能性もありそうです。

この三角点自体は僅かに南富良野町側にあるようなのですが、三角点の西側(富良野市側)には「西達布川」と「奥の沢川」が並んで流れていて、川の間にとても細長い山が聳えています。pet-utur-pon-nupuri は「川・間・小さな・山」と読めますが、もともとはこの特徴的な山容を指していたのではないかと考えたくなります。

もちろん現在の三角点の位置でも「川の間」にあることは間違いないのですが、この考え方で行くと殆どの山は「川の間」にあると言えそうになってしまうので……。

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