高梨謙吉さん訳の「日本奥地紀行」では何故か「第二十信(続き)」が二つ続けて存在してしまっているのですが、原文では LETTER XXV.──(Continued.) と LETTER XXV.──(Concluded.) となっています。
どうやら高梨さん(と編集者)のうっかりミスに思えるのですが、不思議なことに時岡敬子さんの「イザベラ・バードの日本紀行(上)」でも「第二五信(つづきその一)」と「第二五信(つづきその二)」となっています。Concluded をどう和訳するかはなかなか悩ましいですが、「結論」だとちょっと重いので「結」あたりが良さそうでしょうか……?
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。
思いがけない招待
イザベラは六郷(美郷町)で「社会見学」を行った後、再び神宮寺(大仙市)に向けて出発しました。人力車で移動中のイザベラが休憩を取っていたところ……人力車に乗って六郷を出てから間もなく路傍の茶屋で休んだが、そこで脚気が流行していたときに院内 に滞留していた若い医師に会った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.247 より引用)
院内でのエピソードは「第二十五信」で詳述されています(「日本奥地紀行」を読む (118) 院内(湯沢市) (1878/7/19))が、今度は久保田(秋田)に帰る途中で「おや、また会いましたね」となったようです。この若い医師はイザベラに勤務先(病院)に来るように招待するとともに、ワールドクラスの有能さと抜け目のなさを持ち合わせた伊藤に重大な情報をリークします。
彼は伊藤に、「西洋料理」を食べられる料理店のことを話した。これは楽しい期待で、伊藤はいつも私に、忘れないでくれ、と念を押している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.247 より引用)
旅の道中でこんなチャンスは滅多に無いですからね。しかもこの先は「蝦夷地」に向かうのですから、「西洋料理」どころか専業の「料理店」すら存在するかどうかも怪しいですし……。伊藤は通訳をしているくらいですから、当時の日本人としては欧米への理解も深かったと思われますが、洋食好きだったのでしょうか。実は単に「料理店」の料理が食べたかっただけだったりして……。
ばかげた事件
単なる「休憩」だった筈が思わぬ形で「西洋料理店」の情報をゲットして、実はウハウハ(死語?)だったと思われるイザベラですが、移動中に囚人を連行した警察官に遭遇します。警察官に遭遇した車夫の取った行動は……?私の車夫は、警官の姿を見ると、すぐさま土下座して頭を下げた。あまり突然に梶棒を下げたので、私はもう少しで放り出されるところだった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.247 より引用)
「梶棒」という言葉は個人的に耳慣れないものですが、要は人力車の前の棒のことのようです。人力車は車輪が左右に一輪ずつしか無いので、梶棒を下げると前傾姿勢になってしまうのですが、車夫がいきなり梶棒を下げてしまったので、イザベラは前方に放り出されそうになってしまいます。車夫が慌てて土下座した理由ですが、もしかしたら服を着ないで人力車を走らせていたから、だったのかもしれません。
彼は同時に横棒のところに置いてある着物を慌てて着ようとした。また人力車を後ろで引いていた若い男たちも、私の車の後ろに屈んで急いで着物をつけようとしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.247 より引用)
イザベラは「車夫が畏れ慄いていた」のを見ていますが、これは処罰を恐れていたと考えることもできます。慌てて服を着たのは、少しでも心象を良くしようと考えたのでしょうか。警官の礼儀正しさ
イザベラは、すっかり萎縮してしまった車夫の姿を次のように記しています。スコットランドの長老教会の祈躊の中で聞く奇妙な文句「両手で口をおおい、ひれ伏して口を地面につけよ」そのままの姿であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
土下座しながら警察官に申し開きを行う車夫の姿があまりに気の毒だったからか、イザベラは助け舟を出すことにしました。その日はたいそう暑かったので、私は彼のために取りなしてやった。他の場合なら逮捕するのだが、外国人に迷惑をかけるから今日のところは大目に見よう、と警官は言った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
イザベラの「介入」は効果覿面だったようで、車夫は無罪放免を勝ち取ります。服を着ずに人力車を走らせることがどの程度の罪に相当するのかは不明ですが、あっさりと外圧に屈した感がするのと、恣意的な摘発基準の変動があったという点は少々モヤッとしますね……。イザベラの車を引いていた年配の車夫は、流石にしょんぼりしたままだったようですが……
しかし道路を曲がって、警官の姿が見えなくなると、二人の若い車夫はたちまち着物を放り出し、大声で笑いながら、梶棒をとり全速力で駆け出したのである!
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
あははは(笑)。懲りないですね!慰めのない日曜日
イザベラ一行はようやく神宮寺(大仙市)に到着します。これは予定通りの行動なのかと思ったのですが……神宮寺 に着くと、私は疲れて、それ以上進めなかった。低くて暗く、悪臭のする部屋しか見つからず、そこは汚い障子 で仕切ってあるだけで、ここで日曜日を過ごすのかと思うと憂鬱であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
……どうやら疲労困憊だったイザベラがギブアップした、というのが真相だったようです。まぁ慣れない着物を着たりしたので、いつも以上に疲れが出たのかもしれません。片側からは、黴の生えた小庭が見え、ぬるぬるした藻類が生えていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
これは……苔むした趣のある庭園だったのかもしれませんが、イザベラ姐さんの筆致にかかればコテンパンですね……。もっともイザベラが「小庭」を苦々しく見ていたのは、隣家の住人が「異人さん」をひと目見ようと出入りしていたから……だったようですが。イザベラが「憂鬱な日曜日」を過ごすことになった宿ですが……
暗くならないうちから蚊が飛びまわり、蚤は砂蠅のように畳の上をはねまわった。卵はなくて、米飯ときゅうりだけであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
もはや毎度おなじみとなった感がありますね。イザベラが毎回超人的な引きで「限界宿」を引き当てていると考えるのは流石に無理があるので、当時の一般的な宿屋はこんなレベルだった、と考えるべきなのでしょう。日曜日の朝五時に外側の格子に三人が顔を押しつけているのを見た。夕方までには障子は指穴だらけとなり、それぞれの穴からうす黒い眼が見えた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
ふわー……。イザベラはこれまでも繰り返しプライバシーの欠如を訴えていましたが、これまた相変わらず……ですね。一日中、静かな糠雨で、温度は八二度。暑さと暗さ、そして悪臭はとても堪らなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.248 より引用)
「82 度」は「28 度」の誤植ではなく、「華氏 82 度」らしいのですが、これは摂氏 27.778 度に相当するとのこと。……ほぼ 28 度でしたね(汗)。www.bojan.net
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