2021年12月31日金曜日

宗谷本線各駅停車 (36) 「東六線・和寒」

宗谷本線は剣淵駅まで南南西に向かって走っていましたが、剣淵駅の南で南東に向きを変えました。旭川行き 328D は快調に速度を上げて、剣淵川を一気に渡ります。
宗谷本線は天塩川の渡河を頑なに避けていましたが、剣淵川については忌避する対象ではなかったのか、剣淵駅の前後で 2 度も架橋しています。

並行する国道 40 号(に相当する道路)は剣淵川の東側をキープしていて、道央自動車道もほぼ同じルートを踏襲していることを考えると、鉄道だけコスト増になりそうな架橋ルートを選択したのがかなり謎に思えてきました。剣淵は「屯田兵村」だった筈なので、それがプラスに働いたのでしょうか。

2021年12月30日木曜日

宗谷本線各駅停車 (35) 「北剣淵・剣淵」

旭川行き 328D は「犬牛別川」を渡って剣淵町に入りました。気がつけば稚内を出発してから 6 時間 20 分以上経過しているんですよね……。まぁ名寄で 2 時間 15 分ほど足踏みもしているので、乗車時間は 4 時間強ということになります。あれ、意外と速い?

車窓には、なぜか植林中と思しき「林の予定地」が見えます。剣淵町内の宗谷本線は線路の左右にある立派な防風林で守られているように見えますが、ここはこれまで林では無かったのか、それとも世代交代なんでしょうか?
よく見てみると、防風林と言うにはかなり手薄な場所もあるようです。手前に伐採された幹が見えるのは、線路に近すぎるということで伐られてしまったのでしょうか。

2021年12月29日水曜日

宗谷本線各駅停車 (34) 「下士別・士別」

多寄駅を出発した旭川行き 328D は、まっすぐ南に向かって疾走中です。
この日は 3 連休明けの金曜日ということもあり、車内には学生さんが多く乗車していました。まぁ、4 人掛けのボックスシートを 1 人で専有できる程度の混み具合とも言えますが……(通学で利用する学生さんはデッキ寄りのロングシートに集まっていることも多いですね)。

2021年12月28日火曜日

宗谷本線各駅停車 (33) 「瑞穂・多寄」

旭川行き 328D は風連駅を出発して、次の「瑞穂駅」に向かいます。並走する国道 40 号を走行中の車は、日本の公道における最速車として名高い Probox でしょうか(それとも同型車の Succeed でしょうか)。

瑞穂駅(W45)

328D は速度を落として、間もなく停車しようとしています。何やら小ぶりな建物が見えてきましたが……
どうやらこの建物が瑞穂駅の待合室のようです。隣には屋根付きの自転車置き場も見えますね。
この「瑞穂駅」は 1956 年に仮乗降場として設置され、1987 年に JR 北海道が発足した際に駅に昇格しています。ホームがウッドデッキ構造なのは元・仮乗降場ならではでしょうか。
「瑞穂駅」のホームは一両分しか無いらしく、そのことに起因するかどうかは不明ですが、停車する列車は一日 4 往復のみとのこと。

白地に青の「本場の味」!

地元の住民によって設置された待合室には、シンプルでちょっと懐かしいデザインの「瑞穂駅」の額が。
そしていつもの「紺地に白」ではなく「白地に青」という斬新なカラーリングの「本場の味」も(!)。これは相当レア度が高そうですね。
駅の南側には「三十一線」の踏切があります。名寄市の「名寄公園」の北を東西に走る「公園通」が「十五線」とのことで、では「基線」はどこなんだろう……と遡ってみたのですが、それらしい道路が見当たりません。
計算上はかつての「智東駅」の北あたりを通ってそうなのですが、智東駅のあたりは殖民区画に基づく道路が東西南北に広がってなかったような気がするんですよね。どこから数えて 31 本目の通りなのか気になりますが、気にしてもしょうがない気もしてきました(ぉぃ)。
それにしても、この「瑞穂駅」、小さいながらも待合室がある上に、屋根のついた自転車置き場まで用意されていて、地元の人の駅への愛情がもの凄く感じられます。この駅も一日の乗車人員が 10 名以下の「極端にご利用の少ない駅」のひとつですが、2021 年時点では無事存続しています。

間もなく「多寄」

宗谷本線は、かつての風連町域(現在は名寄市南部)では東西南北の区画を無視して斜めに進んでいましたが、瑞穂駅からは再び真南に向かって進みます。国道 40 号も、120 m ほど離れているものの再び並走することになります。
328D は再び速度を落として停車しようとしていますが……おっ、材木が山積みですね! ここは「多寄」ですが、「タヨロ」という地名は tay-oro で「林のところ」と解釈できるのが面白いところです(単なる偶然なんでしょうけど)。
駅の北側には、割と新しそうな農業倉庫が見えます。天塩川の西側にある「日向ひなた温泉」はスキー場やキャンプ場も併設されていて、士別市のイチ推しスポットみたいですね。
駅のすぐ北側に踏切がありましたが、この道は「三十六線」のようです(まだ続いていたのか!)。

多寄駅(W44)

「多寄駅」に到着しました。この駅は 1903 年に官設鉄道天塩線が士別から名寄まで延伸した際に設置された、めちゃくちゃ歴史の長い駅のようです。
現在の駅舎は 1986 年に無人駅となった後、1988 年に改築されたものとのこと。「JR 多寄駅」の文字の配置に違和感が無いなぁと思ったのですが、JR 北海道が発足した翌年に改築されたものだったのですね。ホームから直接「お手洗」に行けるというのは親切な構造ですね。
現在の多寄駅は 1 面 1 線の棒線駅ですが、かつては 2 面 2 線で列車交換可能な構造だったようです。また現在は駅の北側に「三十六線」の踏切がありますが、かつては「三十六線」が「駅前通り」となっていて、多寄駅が「三十六線」を分断していたとのこと。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「三十六線」の東西分断を解消する方法として「駅を移設する」という奇策が実行に移され、その際に築 11 年だった(現在の)駅舎も建物ごと曳屋されたのだそうです。ホームも作り直されたとのことですが……確かに比較的新しそうに見えますね。
そう言われてみれば、この駅名標(のフレーム)も新しそうなものに見えます。

標準スタイルの「本場の味」

お隣の「瑞穂駅」には(おそらく)レアな「リバーシブル駅名標」がありましたが、多寄駅の「本場の味」は標準的な「紺地に白」のものです。

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2021年12月27日月曜日

宗谷本線各駅停車 (32) 「東風連・風連」

旭川行き 328D に乗車して、各駅停車の旅を再開します。名寄までの車輌は転換クロスシートでしたが、ここからはボックスシートの車輌です。
名寄駅を出発すると、列車はしばらく道道 538 号「旭名寄線」に並行して真南に向かって走ります。名寄高校の前を通り過ぎ、建物の数がぐっと少なくなりました。

東風連駅(W47)

線路が右にカーブするとともに、328D が速度を落としました。踏切が見えてきましたが、これまで並走してきた道道 538 号の踏切です(道道 538 号は引き続き真南に向かうので、どこかで線路を横断する必要がありました)。
踏切のすぐ先にある「東風連駅」に到着しました。この駅は 1956 年に開業していますが、仮乗降場ではなくいきなり駅としてスタートしています。
1956 年開業と言う割には随分と新しそうに見えるのですが、どうやら 1999 年にホーム(と駅舎)を移設したとのこと。この駅の所在地はかつての風連町(現・名寄市)で、駅の南側の住民の便を考慮して、ホームは線路の南東側に設けられていました。
ただ、現在の利用者の殆どが、駅から 1.5 km ほど北にある「名寄高校」の生徒とのこと。それであれば、線路の北側にホーム(と駅舎)があったほうが、踏切で線路を横断する必要もないので良いだろう……という判断があったのか、ホームと駅舎を移転するに至ったようです。
特筆すべき点として、この駅は驚くべきことに、例の「極端にご利用の少ない駅」に含まれていません。稚内から名寄までを見ると、「極端にご利用の少ない駅」に含まれないのは「稚内」「南稚内」「豊富」「幌延」「天塩中川」「音威子府」「美深」「名寄」の各駅で、これらは全て「特急停車駅」です。

もっとも名寄以南では「特急停車駅」以外も「極端にご利用の少ない駅」に該当しない駅がいくつか存在するので、名寄以北では「特急停車駅」に限定されるのは一日 3 往復という列車本数が影響しているとも言えそうです。ただこれは「卵が先か鶏が先か」という問題でもあるので、因果関係を単純に図式化することもできないですが……。

「東風連」には特急が停車しないどころか、一日 8 往復の普通列車の半数が通過しています。それにも拘らず一日平均乗車人員 10 名以上をキープできているのはひとえに名寄高校の生徒のおかげ……ということのようで、「それだったら」ということで名寄市が駅の移設を要望し、JR 北海道も移設に合意したとのこと。東風連駅は 2022 年 3 月(予定)に北に移転して、駅名も「名寄高校前」に改められる予定のようです。
この駅名標が見られるのも、あと数ヶ月ということになりそうですね。

風連駅(W46)

東風連駅を出発して 4 分ほどで、立派な農業倉庫が見えてきました。間もなく「風連駅」に到着です。
風連駅は 2 面 2 線の列車交換可能な構造で跨線橋もあります(特急停車駅以外では初めてかも)。跨線橋の下には何故か自転車が置かれているのですが、自転車置き場のようにも見えないですし……謎ですね。
風連駅に到着です。随分とモダンな駅舎ですね。
風連駅は 2 面 2 線の構造ですが、今風の一線スルー構造に改良されていて、駅舎のある側の線路が「待避線」の扱いのようです。すれ違う列車が無い場合は、旭川方面に向かう列車も(駅舎に近い)待避線に入るみたいですね。
風連駅のあたりも殖民区画に基づいて道路が建設されていて、道路は東西または南北に向かって伸びています。ところが宗谷本線は「斜め 45 度」に近い角度で風連の市街地を横切っていて、国道 40 号も宗谷本線に引きずられるように似たような角度で通過しています。
面白いことに、風連駅の存在する区画のみ、風連駅に直交する駅前通りを中心にした碁盤の目が形成されています。このレイアウトのほうが国道 40 号とも直交できるので、何かと便利だった……ということなんでしょうね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
風連駅では、無事「本場の味」もゲット?できました。
駅名標も無事撮影することができました。どの駅でもこれくらい安定して撮影できれば良いのですけどね。

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2021年12月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (896) 「牛志別・真小牧」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

牛志別(うししべつ)

{usis-kina}-pet
{エゾフユノハナワラビ}・川
(典拠あり、類型あり)
日高道の「苫東中央 IC」の南東に石油備蓄基地がありますが、その北側(日高道よりも 0.8 km ほど北)の、厚真町との境界にほど近いところにある二等三角点の名前です(標高 21.2 m)。

道道 129 号「静川美沢線」の起点から開通済み区間(約 0.5 km)を北東に進み、そこから直線距離にして 260 m ほどの場所です。道道 129 号(開通済み区間)の終点近くにある官公庁マークの施設は「動物検疫所北海道出張所胆振分室」とのこと。

二等三角点「牛志別」は苫小牧市に位置していますが、本来の「牛志別」は厚真川西岸の地名でした(現在は「厚真町共栄」)。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「アヅマ」(川)の西側の地名(西支流)として「ウシヽヘツ」と描かれていました。

戊午日誌「東部安都麻志」には次のように記されていました。

また少し上に
     ウシヽベツ
小川也。茅野の下より来る。其名義は此川またウシヽキナと云て一切枯ざる草有るが故に号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.459 より引用)
usis は「ひづめ」を意味しますが、usis-kina で「エゾフユノハナワラビ」を意味するとのこと。「牛志別」と似たような地名として旭川市には「牛朱別」があり、また豊頃町に「牛首別」がありますが、永田地名解はどちらも「鹿の足跡(=蹄)の多い川」ではないかとしています。

ただ、豊頃の「牛首別」については、山田秀三さんは「エゾフユノハナワラビの生えていた川だったかもしれない」としていました。今回の「牛志別」は永田地名解には記述が見当たりませんが(見落としだったらすいません)、戊午日誌には「ウシシキナ(=エゾフユノハナワラビ)」と明記されているので、「ウシシキナ説」をイチ推しで良さそうな感じですね。

{usis-kina}-pet で「{エゾフユノハナワラビ}・川」となりますが、もしかしたら {usis-kina}-us-pet で「{エゾフユノハナワラビ}・多くある・川」だったのかもしれません。usis-kina-us-petusis-kina-pet となり、最終的には usis-pet になった……と言うことになるのでしょうか。まぁ usis-pet でも「言いたいことは大体通じる」ので OK だった、ということなのかもしれません。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

真小牧(まこまい)

mak-oma-i
山手・そこに入る・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
苫小牧港(西港)の北側(市街地側)にはフェリーターミナルなどがあり、南側には出光興産の製油所や発電所などがあります。「真小牧」は、製油所の南にある標高 6.6 m の三等三角点の名前です。現在の地名は「苫小牧市真砂町」ですが、かつては「真小牧」という地名でした。あ、「真砂町」の「真」は「真小牧」の「真」だったのかもしれませんね。

「トマコマイ」と「マコマイ」

「東西蝦夷山川地理取調図」では、海岸部の地名(川名?)として「トマコマイ」と「マコマイ」が並んで描かれていました。複数の支流を持つ川は「マコマイ」の名前で描かれているようで、「マサラマヽ」「ホンマコマイ」「ホロマコマイ」の文字が確認できます。

永田地名解には次のように記されていました。

Makoma nai, = mak oma nai  マコマ ナイ  後川ウシロノカハ 村ノ後背ニアル川○土人云今ハ苫小牧村ト稱スレモ實ハ「マコマナイ」ニシテ「トマコマイ」ニアラズ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.208 より引用)

「マコマイ」と「マコマナイ」

かつての地名で現在は三角点の名前として残る「真小牧」は「マコマイ」であって「マコマナイ」ではありませんが、この点については山田秀三さんが「北海道の川の名」で仔細に検討していました。

マコマイの意味
 川の名は、終りにナイ(nai 川)をつける呼び方と、イ(-i 者)をつける呼び方がある。どっちで呼んでも通用する場合が多い。ここの場合、永田氏はマコマナイで記録されたが、旧図、旧記ではほとんどマコマである。どっちでも同じことである。マコマナイ(マコマイ)は今の苫小牧川の名であった。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.160 より引用)
「マコマナイ」だと「真駒内」じゃないか……と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、その通りです(ぉ)。「苫小牧」の場合は、偶々 -nay ではなく -i の形のほうが優勢?だったため現在の字になったというだけで、もしかしたら「苫駒内」になっていた可能性もあったのかもしれません。

「マコマイ」の意味

「苫小牧」の元の名前だったと思われる「真小牧」ですが、意味は mak-oma-i で「山手・そこに入る・もの(川)」だったと思われます。もう消えた地名だと思っていたのですが、三角点の名前として健在だったのは嬉しい誤算ですね。

現在の「苫小牧川」は市街地の北で西に向きを変えて、有珠川と合流してからは直線的に海に注いでいますが、もともとは王子製紙苫小牧工場の敷地内をまっすぐ南下して、海の手前で東に向きを変えて「汐見大通」の南側を東に向かって流れていました。最終的には今の西港のあたりで海に注いでいたようで、「陸軍図」には河口の東側の地名として「眞小牧」と描かれています(但し川の名前は既に「苫小牧川」となっていました)。

「マコマイ」の興隆と衰退

「苫小牧」は to-mak-oma-i で「沼・山手・そこに入る・もの(川)」と読めそうですが、山田さんは to-{mak-oma-i} で「沼・{マコマイ川}」と解釈すべきだろう、という考えだったようです(to-mak を「沼の後背」と考えるべきではない、ということですね)。正確を期すために引用しますが、次のように考えていたようです。

トマコマイの意味
 トマコマイはマコマイ(川)の支流か、並流する(小)川かの名であったらしい。その種の名は、主流の名に、ポン(小さい)とか、サッ(乾く)とか、サル(葭原)とかの説明語をつけて呼ぶことが多い。この近くでは勇払川本流の東側にトユーブツがあった。これはト・ユープツ、正しく云えば To-lput で「沼の・勇払川」である。トマコマイもこれと同じであって、従来説のように、細かく単語に分けて続むべきではない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.160 より引用)
「トマコマイ」が「マコマイ」の支流であるか、あるいは隣を流れる独立河川であったか……という話ですが、「陸軍図」では現在「有珠川」と呼んでいる川が「ウスノ沢」となっていて、面白いことに現在の位置には河口が見当たりません。

この川も「マコマイ」と同様に海に注ぐ直前に東(あるいは西)に向きを変えていて、東に向かった流れは「マコマイ」(=苫小牧川の旧流)に合流していたとのこと。この合流点(「苫小牧市大型ごみ収集センター」のあたり?)の近くに沼(あるいは湿地?)があったため、to-{mak-oma-i} の名前はそこから出たのではないか……と考えられるのだそうです。

「マコマイ」と「トマコマイ」の合流点のすぐ近くには、国道 36 号の「苫小牧橋」が今も健在です。「トマコマイ」は、元々この「苫小牧橋」のあたりの小地名だったものが、いつしか「マコマイ」を上回るネームバリューを獲得してしまい、ついに母屋(マコマイ)を乗っ取ったのではないか……と山田さんは考えていたようです。

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2021年12月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (895) 「タネト沼・マッカ沼・トキト沼」

やあ皆さん、アイヌ語の沼へ、ようこそ。あれ?
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

タネト沼

tanne-to???
長い・沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
苫小牧市西部を流れる「樽前川」の西側にはいくつかの沼が存在しますが、「タネト沼」はいくつか存在する沼の中でも大きな沼のひとつです。

Google マップには「タネト沼」の近くに「TBS樽前ハイランド跡地」というスポットが登録されていました。どうやら「タネト沼」の南南東に遊園地があった(1987 年閉鎖)ようですね。

地理院地図では「タネト沼」と遊園地(跡地)の間に堰堤が存在するように見えるので人工の溜池のようにも見えますが、大正時代に測図された「陸軍図」では南東側の湿地帯とともに描かれていたので、やはり自然地形なんでしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」では、このあたりの沼として「コイトイ」の源流部に「ホントウ」という沼が描かれています。「陸軍図」では「小糸魚川」の源流部近く(正確には「錦多峯川」の源流部ですが)に「口無沼」という沼が描かれているので、「ホントウ」はこの「口無沼」のことだったのかもしれません。

アイヌ語由来かどうかは不明ですが

この「タネト沼」については、松浦武四郎の著作や永田地名解ではその存在を確認できないので、果たしてその名前をアイヌ語で解釈することが適切であるかどうかは甚だ怪しいのですが、「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 タネト沼 樽前川の右岸にある細長い沼。アイヌ語の「タンネ・ト」(長い沼)の訛ったもの。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.511 より引用)
前述の通り、このあたりには異様に沼が多いのですが、どの沼もあたかも人工的な堰湖のように見えるという特異点があります。実際に人工的に形成された沼もあるのかもしれませんが、樽前山が噴火した際に生じた土石流で川の下流部がせき止められて沼となったケースもあるのではないか……と想像していたりします。

このメカニズムであれば「細長い沼」があちこちに存在することになりそうですが、「タネト沼」はその中でも特に細長かった……ということでしょうか。であれば tanne-to で「長い・沼」と呼んだのも納得できます。

北海道開発局室蘭開発建設部の「樽前山直轄火山砂防事業」の pdf を見ると、樽前山は少なくとも江戸時代から何度も噴火の記録があるようで、1667 年と 1739 年には火砕流の記録もあるようなので、どこかのタイミングで天然の堰湖が形成されていたとしても不思議ではないような気がしています。

マッカ沼

makan-to???
奥へ行く・沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
覚生おぼっぷ川の東側、道央道の「樽前 SA」の北西に位置する沼の名前です。この沼も「タネト沼」と同様、松浦武四郎の記録や永田地名解ではその存在を確認できませんが、「陸軍図」には沼の流出部に湿地帯を伴った形で描かれています。

この沼についてはこれ以上の情報を持ち合わせていませんが、この沼の名前がアイヌ語に由来するのであれば、makan-to で「奥へ行く・沼」と読めそうな気がします。

地形図を見た感じでは、この沼は「シューパロ湖」や「岩尾内湖」と同様に(規模は全く異なりますが)二手に分かれる谷が堰き止められたもののようで、右側(南側)の谷が、谷を隔てる山の奥に入り込んでいるようにも見えます。このことを指して「奥へ行く・沼」と呼んだのかなぁ……と考えています。

後述の苫小牧市 Web サイト「河川雑学」にも、概ね似たような言及がありますね。

トキト沼

tuki-to???
盃・沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
覚生おぼっぷ川の東側、「マッカ沼」の北西に位置する沼の名前です。この沼も「トキト沼」などと同様に松浦武四郎の記録や永田地名解ではその存在を確認できませんが、「陸軍図」には沼の流出部に湿地帯を伴った形で描かれています。あれ、コピペ?

「トキト沼」のすぐ西には「覚生川 3 号遊砂地」が建設されているほどなので、この川の流域も、これまで何度も樽前山噴火の影響を受けていると考えて良さそうです。

有給休暇に希望をのせて

この沼についても手元にはこれ以上の情報を持ち合わせていませんが、苫小牧市 Web サイトの「河川雑学」には、次のように記されていました。

明治初期に旧函館県知事(時任弟基)の息子が牧場を持っていて、この沼を「ときとう沼」と呼んだらしい。
(苫小牧市 Web サイト「河川雑学」より引用)
「時任基」は「時任基」の誤字であると思われますが、これが本当なら「トキト沼」は人名由来ということになりますね。函館県令だった「時任為基」は「時任三郎」の祖先にあたるとのことなので、当時から 24 時間戦っていたのかもしれません。あれ、何の話をしてたんでしたっけ?

tuki(盃)説

この「時任為基の息子」説が正しいのであれば、もはやこの話題を続ける必要性は皆無なのですが、「タネト沼」や「マッカ沼」がアイヌ語に由来する *かもしれない* となると、この「トキト沼」もアイヌ語に由来する可能性を考えたくなります。まぁ考えるのは自由ですし……(ぉぃ)。

「トキト沼」の音と実際の地形を照らし合わせて考えると、もしかしたら tuki-to で「盃・沼」だったのでは無いかと思っています。

tuki はちょくちょく地名でも出てくる語で、山田秀三さんの「アイヌ語地名を歩く」には、青森県の「母衣月ほろづき」という地名について次のように記されていました。

 地質学には自信がないが、火山のカルデラ湖そっくりな姿で、内壁が急傾斜、北側が欠けて海とつながってはいるか、円形の見事な入り江である。つまりポロ・トゥキ(大きな・酒杯)なのであった。青森側の蝦夷もトゥキという言葉を使っていたものらしい。
(山田秀三「アイヌ語地名を歩く」草風館 p.107 より引用)
これは津軽半島の「母衣月」の入江を形容した文ですが、入江と沼という根本的な違いこそあれ、他の部分は割と良く一致しているように思えます。このあたりの沼は「マッカ沼」や「タネト沼」のように、入り組んでいたり細長かったりするものが多い中、「トキト沼」は比較的円形に近い形をしていて、そのことから「盃型の沼」と認識されていたのでは……と考えたくなります。

これで「時任為基の息子」説が正しいと裏が取れたら目も当てられませんが……(汗)。

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2021年12月24日金曜日

宗谷本線各駅停車 (31) 「名寄・その5」

旭川行き 328D の発車まで 1 時間近くあるので(早く戻りすぎたのが悪いのでは)、名寄駅の待合室でのんびりと待とうか……と思っていたのですが、ここで妙なことに気づいてしまいました。
こちら、「列車の往復利用で安く!」と題されたポスターですが、「札幌快得きっぷ」の下に「S きっぷ」なるものが紹介されています。どうやら往復の乗車券と特急の自由席がセットになったものみたいです。
「ん?」と思ったのがこちらの価格設定で、「旭川 ~ 稚内」は「10,080 円」とあります。
手元に往復乗車券があったので、改めて見返してみたところ……
おいマジか。
なんとこの「S きっぷ」なる切符、普通に往復乗車券を買うよりも安い上に特急に乗車できるなんて……! まぁ稚内-旭川間だと特急を使うのが当たり前なんでしょうけど、それにしても普通乗車券より安いというのは……(汗)。

「産業」の謎

「乗車券より安い特急セット商品」に動揺を隠せないまま、待合室にやってきました。椅子にはなんと座布団が! それにしても、この「産業」って何なんでしょう。中洲産業大学でしょうか(違うと思うよ)。
待合室で待つこと 40 分ほど。気づけばいつの間にか改札前は学生さん(だと思う)で埋まっていました。地元の高校生はローカル線利用者の何割かを占める上客なのだということが改めて実感されます。

音威子府行き 4329D

3 番のりばには、327D 改め音威子府行き 4329D が停車中です。
この車輌は旭川から 327D として 16:06 に到着したもので、30 分ほど停車した後に列車番号を変えて 4329D として(16:36 に)出発することになります。

乗るしか無いこのビッグウェーブに

改札前に屯していた学生さんと思しき一団が姿を消しました。おそらく改札を済ませて跨線橋に向かったのでしょうね。
実はこの時間帯は、16:33 に 1 番のりばから特急「サロベツ」が出発し、16:36 に 3 番のりばから音威子府行き 4329D が出発します。そして 16:42 に 2 番のりばから旭川行き 328D が出発するということで、「乗るしか無いこのビッグウェーブに」状態なのです。それなのに、未だに改札に来ないのは何をしとんじゃ?と駅員さんが訝しんでいるようにも見えますね……。

あ、札幌行きの特急「サロベツ」が到着してしまいました。

サイドボードの謎

特急「サロベツ」が出発し、音威子府行き 4329D も間もなく出発しようかと言うタイミングで改札を済ませて構内に入ります。宗谷本線の快速・普通列車はサイドボードが真っ赤なんですね。
ところでこのキハ 40 1707 ですが、時刻表を見た感じでは快速「なよろ 3 号」として 16:32 に到着した車輌のように思えます(同一ホームで緩急接続とか、なかなかイケてるダイヤですね)。

名寄を 14:35 に出発した快速「なよろ 8 号」は「快速 なよろ」の文字の入ったサイドボードをつけていたのですが、旭川行き 328D のサイドボードは真っ赤な(各停タイプの?)ものです。これってもしかして素早く付け替えた、ということなんでしょうか?
そう言えば、12/20 の記事に線路からホームに戻る駅員さん?と思しき人が激写(死語では)されていましたが……
これ、もしかしてサイドボードを交換した直後だったんですかね。快速「なよろ 8 号」のキハ 40 826 は、14:01 に 325D(通過駅ありの普通列車)として名寄にやってきた車輌の折返し運用のような気がするんですよね。

見つめ合う視線の先に

それでは、2 番のりばに停車中の旭川行き 328D に乗車することにしましょう。
想定外に学生さんの姿が多く若干焦ったものの、無事ボックスシートを確保できました。写真を撮影した瞬間に、1 番のりばを歩いていたサラリーマン風の方と思いっきり目線が合ってしまいましたが……(汗)。

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