宗谷本線は天塩川の渡河を頑なに避けていましたが、剣淵川については忌避する対象ではなかったのか、剣淵駅の前後で 2 度も架橋しています。
並行する国道 40 号(に相当する道路)は剣淵川の東側をキープしていて、道央自動車道もほぼ同じルートを踏襲していることを考えると、鉄道だけコスト増になりそうな架橋ルートを選択したのがかなり謎に思えてきました。剣淵は「屯田兵村」だった筈なので、それがプラスに働いたのでしょうか。
2021年12月31日金曜日
2021年12月30日木曜日
2021年12月29日水曜日
2021年12月28日火曜日
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2021年12月27日月曜日
もっとも名寄以南では「特急停車駅」以外も「極端にご利用の少ない駅」に該当しない駅がいくつか存在するので、名寄以北では「特急停車駅」に限定されるのは一日 3 往復という列車本数が影響しているとも言えそうです。ただこれは「卵が先か鶏が先か」という問題でもあるので、因果関係を単純に図式化することもできないですが……。
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2021年12月26日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
道道 129 号「静川美沢線」の起点から開通済み区間(約 0.5 km)を北東に進み、そこから直線距離にして 260 m ほどの場所です。道道 129 号(開通済み区間)の終点近くにある官公庁マークの施設は「動物検疫所北海道出張所胆振分室」とのこと。
また少し上に
ウシヽベツ
小川也。茅野の下より来る。其名義は此川またウシヽキナと云て一切枯ざる草有るが故に号るとかや。
Makoma nai, = mak oma nai マコマ ナイ後川 村ノ後背ニアル川○土人云今ハ苫小牧村ト稱スレモ實ハ「マコマナイ」ニシテ「トマコマイ」ニアラズ
マコマイの意味
川の名は、終りにナイ(nai 川)をつける呼び方と、イ(-i 者)をつける呼び方がある。どっちで呼んでも通用する場合が多い。ここの場合、永田氏はマコマナイで記録されたが、旧図、旧記ではほとんどマコマイである。どっちでも同じことである。マコマナイ(マコマイ)は今の苫小牧川の名であった。
トマコマイの意味
トマコマイはマコマイ(川)の支流か、並流する(小)川かの名であったらしい。その種の名は、主流の名に、ポン(小さい)とか、サッ(乾く)とか、サル(葭原)とかの説明語をつけて呼ぶことが多い。この近くでは勇払川本流の東側にトユーブツがあった。これはト・ユープツ、正しく云えば To-lput で「沼の・勇払川」である。トマコマイもこれと同じであって、従来説のように、細かく単語に分けて続むべきではない。
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2021年12月25日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
タネト沼 樽前川の右岸にある細長い沼。アイヌ語の「タンネ・ト」(長い沼)の訛ったもの。
北海道開発局室蘭開発建設部の「樽前山直轄火山砂防事業」の pdf を見ると、樽前山は少なくとも江戸時代から何度も噴火の記録があるようで、1667 年と 1739 年には火砕流の記録もあるようなので、どこかのタイミングで天然の堰湖が形成されていたとしても不思議ではないような気がしています。
後述の苫小牧市 Web サイト「河川雑学」にも、概ね似たような言及がありますね。
「トキト沼」のすぐ西には「覚生川 3 号遊砂地」が建設されているほどなので、この川の流域も、これまで何度も樽前山噴火の影響を受けていると考えて良さそうです。
明治初期に旧函館県知事(時任弟基)の息子が牧場を持っていて、この沼を「ときとう沼」と呼んだらしい。
地質学には自信がないが、火山のカルデラ湖そっくりな姿で、内壁が急傾斜、北側が欠けて海とつながってはいるか、円形の見事な入り江である。つまりポロ・トゥキ(大きな・酒杯)なのであった。青森側の蝦夷もトゥキという言葉を使っていたものらしい。
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2021年12月24日金曜日
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