(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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牛志別(うししべつ)
(典拠あり、類型あり)
日高道の「苫東中央 IC」の南東に石油備蓄基地がありますが、その北側(日高道よりも 0.8 km ほど北)の、厚真町との境界にほど近いところにある二等三角点の名前です(標高 21.2 m)。道道 129 号「静川美沢線」の起点から開通済み区間(約 0.5 km)を北東に進み、そこから直線距離にして 260 m ほどの場所です。道道 129 号(開通済み区間)の終点近くにある官公庁マークの施設は「動物検疫所北海道出張所胆振分室」とのこと。
二等三角点「牛志別」は苫小牧市に位置していますが、本来の「牛志別」は厚真川西岸の地名でした(現在は「厚真町共栄」)。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「アヅマ」(川)の西側の地名(西支流)として「ウシヽヘツ」と描かれていました。
戊午日誌「東部安都麻志」には次のように記されていました。
また少し上に
ウシヽベツ
小川也。茅野の下より来る。其名義は此川またウシヽキナと云て一切枯ざる草有るが故に号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.459 より引用)
usis は「ただ、豊頃の「牛首別」については、山田秀三さんは「エゾフユノハナワラビの生えていた川だったかもしれない」としていました。今回の「牛志別」は永田地名解には記述が見当たりませんが(見落としだったらすいません)、戊午日誌には「ウシシキナ(=エゾフユノハナワラビ)」と明記されているので、「ウシシキナ説」をイチ推しで良さそうな感じですね。
{usis-kina}-pet で「{エゾフユノハナワラビ}・川」となりますが、もしかしたら {usis-kina}-us-pet で「{エゾフユノハナワラビ}・多くある・川」だったのかもしれません。usis-kina-us-pet が usis-kina-pet となり、最終的には usis-pet になった……と言うことになるのでしょうか。まぁ usis-pet でも「言いたいことは大体通じる」ので OK だった、ということなのかもしれません。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
真小牧(まこまい)
(典拠あり、類型あり)
苫小牧港(西港)の北側(市街地側)にはフェリーターミナルなどがあり、南側には出光興産の製油所や発電所などがあります。「真小牧」は、製油所の南にある標高 6.6 m の三等三角点の名前です。現在の地名は「苫小牧市真砂町」ですが、かつては「真小牧」という地名でした。あ、「真砂町」の「真」は「真小牧」の「真」だったのかもしれませんね。「トマコマイ」と「マコマイ」
「東西蝦夷山川地理取調図」では、海岸部の地名(川名?)として「トマコマイ」と「マコマイ」が並んで描かれていました。複数の支流を持つ川は「マコマイ」の名前で描かれているようで、「マサラマヽ」「ホンマコマイ」「ホロマコマイ」の文字が確認できます。永田地名解には次のように記されていました。
Makoma nai, = mak oma nai マコマ ナイ後川 村ノ後背ニアル川○土人云今ハ苫小牧村ト稱スレモ實ハ「マコマナイ」ニシテ「トマコマイ」ニアラズ
「マコマイ」と「マコマナイ」
かつての地名で現在は三角点の名前として残る「真小牧」は「マコマイ」であって「マコマナイ」ではありませんが、この点については山田秀三さんが「北海道の川の名」で仔細に検討していました。マコマイの意味
川の名は、終りにナイ(nai 川)をつける呼び方と、イ(-i 者)をつける呼び方がある。どっちで呼んでも通用する場合が多い。ここの場合、永田氏はマコマナイで記録されたが、旧図、旧記ではほとんどマコマイである。どっちでも同じことである。マコマナイ(マコマイ)は今の苫小牧川の名であった。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.160 より引用)
「マコマナイ」だと「真駒内」じゃないか……と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、その通りです(ぉ)。「苫小牧」の場合は、偶々 -nay ではなく -i の形のほうが優勢?だったため現在の字になったというだけで、もしかしたら「苫駒内」になっていた可能性もあったのかもしれません。「マコマイ」の意味
「苫小牧」の元の名前だったと思われる「真小牧」ですが、意味は mak-oma-i で「山手・そこに入る・もの(川)」だったと思われます。もう消えた地名だと思っていたのですが、三角点の名前として健在だったのは嬉しい誤算ですね。現在の「苫小牧川」は市街地の北で西に向きを変えて、有珠川と合流してからは直線的に海に注いでいますが、もともとは王子製紙苫小牧工場の敷地内をまっすぐ南下して、海の手前で東に向きを変えて「汐見大通」の南側を東に向かって流れていました。最終的には今の西港のあたりで海に注いでいたようで、「陸軍図」には河口の東側の地名として「眞小牧」と描かれています(但し川の名前は既に「苫小牧川」となっていました)。
「マコマイ」の興隆と衰退
「苫小牧」は to-mak-oma-i で「沼・山手・そこに入る・もの(川)」と読めそうですが、山田さんは to-{mak-oma-i} で「沼・{マコマイ川}」と解釈すべきだろう、という考えだったようです(to-mak を「沼の後背」と考えるべきではない、ということですね)。正確を期すために引用しますが、次のように考えていたようです。トマコマイの意味
トマコマイはマコマイ(川)の支流か、並流する(小)川かの名であったらしい。その種の名は、主流の名に、ポン(小さい)とか、サッ(乾く)とか、サル(葭原)とかの説明語をつけて呼ぶことが多い。この近くでは勇払川本流の東側にトユーブツがあった。これはト・ユープツ、正しく云えば To-lput で「沼の・勇払川」である。トマコマイもこれと同じであって、従来説のように、細かく単語に分けて続むべきではない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.160 より引用)
「トマコマイ」が「マコマイ」の支流であるか、あるいは隣を流れる独立河川であったか……という話ですが、「陸軍図」では現在「有珠川」と呼んでいる川が「ウスノ沢」となっていて、面白いことに現在の位置には河口が見当たりません。この川も「マコマイ」と同様に海に注ぐ直前に東(あるいは西)に向きを変えていて、東に向かった流れは「マコマイ」(=苫小牧川の旧流)に合流していたとのこと。この合流点(「苫小牧市大型ごみ収集センター」のあたり?)の近くに沼(あるいは湿地?)があったため、to-{mak-oma-i} の名前はそこから出たのではないか……と考えられるのだそうです。
「マコマイ」と「トマコマイ」の合流点のすぐ近くには、国道 36 号の「苫小牧橋」が今も健在です。「トマコマイ」は、元々この「苫小牧橋」のあたりの小地名だったものが、いつしか「マコマイ」を上回るネームバリューを獲得してしまい、ついに母屋(マコマイ)を乗っ取ったのではないか……と山田さんは考えていたようです。
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