(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
タネト沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
苫小牧市西部を流れる「樽前川」の西側にはいくつかの沼が存在しますが、「タネト沼」はいくつか存在する沼の中でも大きな沼のひとつです。Google マップには「タネト沼」の近くに「TBS樽前ハイランド跡地」というスポットが登録されていました。どうやら「タネト沼」の南南東に遊園地があった(1987 年閉鎖)ようですね。
地理院地図では「タネト沼」と遊園地(跡地)の間に堰堤が存在するように見えるので人工の溜池のようにも見えますが、大正時代に測図された「陸軍図」では南東側の湿地帯とともに描かれていたので、やはり自然地形なんでしょうか。
「東西蝦夷山川地理取調図」では、このあたりの沼として「コイトイ」の源流部に「ホントウ」という沼が描かれています。「陸軍図」では「小糸魚川」の源流部近く(正確には「錦多峯川」の源流部ですが)に「口無沼」という沼が描かれているので、「ホントウ」はこの「口無沼」のことだったのかもしれません。
アイヌ語由来かどうかは不明ですが
この「タネト沼」については、松浦武四郎の著作や永田地名解ではその存在を確認できないので、果たしてその名前をアイヌ語で解釈することが適切であるかどうかは甚だ怪しいのですが、「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。タネト沼 樽前川の右岸にある細長い沼。アイヌ語の「タンネ・ト」(長い沼)の訛ったもの。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.511 より引用)
前述の通り、このあたりには異様に沼が多いのですが、どの沼もあたかも人工的な堰湖のように見えるという特異点があります。実際に人工的に形成された沼もあるのかもしれませんが、樽前山が噴火した際に生じた土石流で川の下流部がせき止められて沼となったケースもあるのではないか……と想像していたりします。このメカニズムであれば「細長い沼」があちこちに存在することになりそうですが、「タネト沼」はその中でも特に細長かった……ということでしょうか。であれば tanne-to で「長い・沼」と呼んだのも納得できます。
北海道開発局室蘭開発建設部の「樽前山直轄火山砂防事業」の pdf を見ると、樽前山は少なくとも江戸時代から何度も噴火の記録があるようで、1667 年と 1739 年には火砕流の記録もあるようなので、どこかのタイミングで天然の堰湖が形成されていたとしても不思議ではないような気がしています。
マッカ沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
この沼についてはこれ以上の情報を持ち合わせていませんが、この沼の名前がアイヌ語に由来するのであれば、makan-to で「奥へ行く・沼」と読めそうな気がします。
地形図を見た感じでは、この沼は「シューパロ湖」や「岩尾内湖」と同様に(規模は全く異なりますが)二手に分かれる谷が堰き止められたもののようで、右側(南側)の谷が、谷を隔てる山の奥に入り込んでいるようにも見えます。このことを指して「奥へ行く・沼」と呼んだのかなぁ……と考えています。
後述の苫小牧市 Web サイト「河川雑学」にも、概ね似たような言及がありますね。
トキト沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
「トキト沼」のすぐ西には「覚生川 3 号遊砂地」が建設されているほどなので、この川の流域も、これまで何度も樽前山噴火の影響を受けていると考えて良さそうです。
有給休暇に希望をのせて
この沼についても手元にはこれ以上の情報を持ち合わせていませんが、苫小牧市 Web サイトの「河川雑学」には、次のように記されていました。明治初期に旧函館県知事(時任弟基)の息子が牧場を持っていて、この沼を「ときとう沼」と呼んだらしい。
(苫小牧市 Web サイト「河川雑学」より引用)
「時任弟基」は「時任為基」の誤字であると思われますが、これが本当なら「トキト沼」は人名由来ということになりますね。函館県令だった「時任為基」は「時任三郎」の祖先にあたるとのことなので、当時から 24 時間戦っていたのかもしれません。あれ、何の話をしてたんでしたっけ?tuki(盃)説
この「時任為基の息子」説が正しいのであれば、もはやこの話題を続ける必要性は皆無なのですが、「タネト沼」や「マッカ沼」がアイヌ語に由来する *かもしれない* となると、この「トキト沼」もアイヌ語に由来する可能性を考えたくなります。まぁ考えるのは自由ですし……(ぉぃ)。「トキト沼」の音と実際の地形を照らし合わせて考えると、もしかしたら tuki-to で「盃・沼」だったのでは無いかと思っています。
tuki はちょくちょく地名でも出てくる語で、山田秀三さんの「アイヌ語地名を歩く」には、青森県の「
地質学には自信がないが、火山のカルデラ湖そっくりな姿で、内壁が急傾斜、北側が欠けて海とつながってはいるか、円形の見事な入り江である。つまりポロ・トゥキ(大きな・酒杯)なのであった。青森側の蝦夷もトゥキという言葉を使っていたものらしい。
(山田秀三「アイヌ語地名を歩く」草風館 p.107 より引用)
これは津軽半島の「母衣月」の入江を形容した文ですが、入江と沼という根本的な違いこそあれ、他の部分は割と良く一致しているように思えます。このあたりの沼は「マッカ沼」や「タネト沼」のように、入り組んでいたり細長かったりするものが多い中、「トキト沼」は比較的円形に近い形をしていて、そのことから「盃型の沼」と認識されていたのでは……と考えたくなります。これで「時任為基の息子」説が正しいと裏が取れたら目も当てられませんが……(汗)。
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