このあたりは「殖民区画」に基づいて建設された道路が今もそのままで、宗谷本線にも 1 区画ごとに踏切が存在します。美深駅から数えて 5 つ目の踏切が見えてきましたが……
南美深駅(W53・2021/3/13 廃止)
うわっ、これは!いやー、踏切脇の小屋に「本場の味」が! この小屋が南美深駅の待合室だったようです。
ということで南美深駅ですが、1956 年に「南美深仮乗降場」として設置され、1959 年には早くも駅に昇格を果たしています。「仮乗降場」からスタートしたこともあり、ホームはウッドデッキ構造です。
駅に昇格した当初は年間 14 万人(1 日平均 380 人ほど?)の利用があったそうですが、この駅も他の駅と同様に利用が減少の一途を続け、2011 年以降は「1 日平均 1 人以下」まで落ち込みます。
ホームは維持管理費用の面で若干有利なウッドデッキ構造でしたが、乗車人員 1 日平均 1 名以下の「極端にご利用の少ない駅」にリストアップされてしまったこともあり、2021 年 3 月で廃止されてしまいました。
列車から待合室を眺めます。びみょうにホームから離れていることもあり、このアングルだと駅の待合室には見えないですよね。
ペンケニウプ川
名寄行き 4326D は南美深を出発しました。駅を出発してすぐに「ペンケニウプ川」を渡ります。「仁宇布の冷水と十六滝」は、最終的にこの川を通って天塩川に合流することになります。雪解け水で大幅増量中の時期だけに、流れの幅も広いですね……!
ここから名寄市
ペンケニウプ川を渡ると列車は東に向きを変えます。川を渡ってすぐに国道 40 号の「名寄美深道路」の立体交叉がありますが……ピントが合ってないですね……(すいません)。「名寄美深道路」がまっすぐ天塩川を横断してしまうのに対して、宗谷本線は天塩川の流れに沿って東に向かいます。国道 40 号と比較しても、宗谷本線が天塩川を渡らないルートを選んでいるのは徹底していますね。幌延から士別までが天塩川沿いと言えるかと思いますが、宗谷本線が天塩川を横断するのは士別駅の手前の一回限りです。
智北駅(W52)
列車は減速して智北駅に到着しました。線路の北側には河岸段丘が広がっていて、智北の集落は段丘の上にあります(水はけを考慮したのでしょうね)。智北駅のホームは線路の左側、段丘の崖の下にあります。進行方向右側の座席からは、駅名標と待合室が辛うじて見える程度です。左側の座席に移動して写真を撮るという選択肢も無いわけでは無いのですが、グダグダな内容もまた一興ではないかと(単に手抜きでは)。
智北駅は 1959 年に「智北仮乗降場」として設置されましたが、1959 年に駅に昇格した南美深駅とは異なり、JR 北海道の発足まで仮乗降場のままでした。この駅も「極端にご利用の少ない駅」として名前が上がっていましたが、2021 年時点では廃止を免れています。
1991 年に移転済みだった
南美深駅と開設時期が 3 年しか違わない割には智北駅のホームは近代的な構造だなぁ……と思ったのですが、どうやら 1991 年に 120 m ほど東に移転していたとのこと。その際に建設されたホームなのでウッドデッキでは無かったのですね。現在の智北駅の位置はこのあたりですが……
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
1977 年の時点ではこの位置にありました。道道の改良に伴い、道道からのアクセスを考慮して駅を移転した、ということのようです。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
名寄行き 4326D は智北駅を出発しました。智北駅の移転のきっかけとなった道道 252 号「名寄美深線」の踏切を通過します。この踏切は「第 3 美深名寄線」という名前のようです。ストリートビューで踏切近辺を見てみると、駅の位置や地勢(河岸段丘)がわかりやすいかもしれませんね。
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