国道が川の西側を通るようになったのではなく、天塩川が東側に寄ってきた、と捉えたほうが正確かもしれません。筬島のあたりほどでは無いですが、山と川の間の僅かな隙間をすり抜けることになります。
川が遠くなり平地が広がってきたところで列車は速度を落としました。間もなく紋穂内に到着です。
ところで、木立の中にこんな石碑があったのですね。紋穂内駅には何度か行ったことがあるのですが、これはノーチェックでした。
紋穂内駅(W56・2021/3/13 廃止)
紋穂内駅の駅舎が見えてきました。おなじみのツートンカラーのダルマ駅舎です。手前には旧駅舎の基礎の跡のようなものが見えていますね。紋穂内駅は 1911 年に「天塩線」が名寄から恩根内まで開通した際に設置された歴史のある駅でしたが、「利用者寡少」のために 2021/3/13 で廃止されてしまいました。廃止される前は 1 面 1 線の棒線駅でしたが、以前は列車交換可能な構造だったとのこと。
地理院地図の航空写真では、交換設備があったころの様子が確認できます。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
どうやら現在の線路の東側にもう一本線路があったようですね。Google マップの航空写真で見てみると、なんとなく線路の跡地が見えるような見えないような……。2 面 3 線の「国鉄型配線」だったっぽいようにも見えますが、もうその面影は消えてしまったようです。とりあえず「本場の味」はサッポロビールでした(知ってた)。
流路がいくつも
紋穂内を出発すると、再び天塩川が線路のすぐそばまで近づいてきます。川の流路がいくつにも分かれているように見えますが……なるほど、実際に流路がいくつもあるんですね。もしかして内側の流路は人工的に拵えたものだったりするのでしょうか……?
初野駅(W55)
名寄行き 4326D は再び速度を落として停車しようとしています。初野駅の駅舎が見えてきました。プレハブの比較的新しそうな駅舎です。「JR 初野駅」の額もちょうどいいサイズのものが取り付けられていますね。
そして「本場の味」と言えばサッポロビールですが、駅舎につけてしまうというのはなかなか画期的ですね。ダルマ駅舎では見られなかったパターンではないかと……。
初野駅は 1948 年に仮乗降場として設置され、1959 年に駅に昇格しています。ホームがウッドデッキ構造なのは、仮乗降場からスタートしたということの証と言えそうな感じでしょうか。
ウッドデッキ構造のホームは維持管理費が安くつく……という話を耳にしてしまったため、この駅もこの構造のために廃止を免れたのか……と思ったりもしますが、実際はどうだったのでしょうか。恩根内駅のように実際に廃止の打診があった訳では無さそうですが、一方で「極端にご利用の少ない駅」には含まれていたのも事実のようです。
巨大な雪の山
名寄行き 4326D は初野を出発して、次の「美深」に向かいます。途中で「雄木禽川」を渡ると……そこには巨大な雪の山が。美深北 IC の北側なんですが、ここも雪捨て場として活用されているっぽいですね。ここは川のすぐ近くで、国道からも名寄美深道路からも近いというところが評価されたのでしょうか。
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