2021年12月11日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (891) 「維文・宇西内・知遠別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

維文(いぶん)

e-humpa-us-{o-sar-pet}??
頭(水源)・刻む・いつもする・{オサラッペ川}
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
和寒町と鷹栖町を結ぶ道道 251 号「雨竜旭川線」の峠の名前(維文峠)で、峠の南側一帯の地名(旧地名?)でもあります。道道沿いを「イブンベウシ川」という川が流れているので、川名から最初の 3 文字を拝借した地名のようです。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 維文(いぶん)
 イプンペウシ川からでたもので、永田地名解には「イフンパウシュオサラペッで「太韮ヲ切ル処」とあるが、太韮とは何であるか不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.158 より引用)
永田地名解を見てみると、確かに次のように記されていました。

Ihunpa usn osara pet  イフンパ ウㇱュ オサラペッ  太韮ヲ切ル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.48 より引用)※ 原文ママ
「イフンパ」の意味が理解できずにいたのですが、久保寺逸彦さんの「アイヌ語・日本語辞典稿」に次のように記されていました。

ihumpa chup 五月
  < ものを,きざむ月,刻みものをする月
(久保寺逸彦「アイヌ語・日本語辞典稿」草風館 p.106 より引用)
humpa は「刻む」という意味のようなので、i-humpa で「ものを・刻む」と解釈できそうでしょうか。i- は「アレ」とも解釈できますが、今回の場合は「太韮」のことを「アレ」と言い換えたということでしょうか。

ということであれば i-humpa-us-{o-sar-pet} で「アレ(ギョウジャニンニク)・刻む・いつもする・{オサラッペ川}」となるのですが……かなり意味不明な感じがします。まず「ギョウジャニンニク」をわざわざ「アレ」と言い換えるところから、あまり例が無い気がするのです。

i- ではなく e- であれば「」となり、e-humpa-us-{o-sar-pet} で「頭(水源)・刻む・いつもする・{オサラッペ川}」となります。イブンベウシ川を地形図で眺めてみると、維文峠の南で谷が二手に分かれているように見えます。このことを「水源を刻む」と表現したのかな……と思えてきました。

ちょっと気になるのが、明治時代の地形図では現在の「イブンベウシ川」ではなく、十八線のあたりで東から合流する小さな支流が「イプンペウシ」であると描かれています。この川(現存しません)も水源の山を抉っているようにも見えますが、「イプンペウシオサラッペ」という川名から考えると、やや名前負けしてそうにも思えます。

「東西蝦夷山川地理取調図」に描かれた川の位置と、明治時代の地形図に描かれた川の位置は東西が逆になっているものもあるように見受けられます。また現在の「オサラッペ川」と「イブンベウシ川」はどちらが本流であったとしてもおかしくない規模のものなので、本来は両者の名前が逆だった……と考えることもできるかもしれません。

「東西蝦夷山川地理取調図」でのこのあたりの河川の描かれ方は、現在の川の位置関係と照らし合わせると、解消し得ない矛盾がいくつか存在するように見えます(良くある話ですが)。

宇西内(うにしない?)

unintek-us-nay??
オニノヤガラ・多くある・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
道道 251 号「雨竜旭川線」から 0.5 km ほど北東の丘陵部に存在する三等三角点の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲサラベ」(オサラッペ川)の西支流として「ウニンテウシナイ」という川が描かれていました。

明治時代の地形図には、「イブンベウシ川」の東支流(現在の「菊水川」に相当?)として「ウニンテックウシユペツ」という川が描かれていました。厄介なことに、「菊水川」と「宇西内」三角点の間は 2~3 km ほど離れてしまっているのですが……。

「ウニンテウシナイ」というのも意味不明だなぁ……と思っていたのですが、知里さんの「植物編」に次のように記されていました。

§ 327. オニノヤガラ Gastrodia elata Blume
( 1 ) unintep(u-nín-tep)「ウにンテㇷ゚」[u(互を)nin(消え)te(させる)p(もの),“揃って姿を消すもの”] 塊莖 《長萬部,幌別,名寄》《A 空知》
( 2 ) unintek(u-nín-tek)「ウにンテㇰ」[<unintep] 塊莖 《穂別》《A 沙流・鵡川・千歳》
( 3 ) osorkomap(o-sór-ko-map)「オそㇽコマㇷ゚」[osor(尻)ka(その上)oma(にある)p(もの)] 塊莖 《美幌,屈斜路》
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.192 より引用)
「再篙石狩日誌」には、春志内(旭川)のあたりで「ウニンテと云一種の草を取来り」という文があり、松浦武四郎が「ウニンテㇰ」ではなく「ウニンテ」と認識していた可能性が窺えます。一方で明治時代の地形図には「ウニンテック」とあり、地元民は unintek と発音していた可能性がありそうです。

「オニノヤガラ」という植物については初耳だったのですが、Wikipedia には次のようにあります。

腐生植物であり、光合成を行わず、葉緑素を持たない。
(Wikipedia 日本語版「オニノヤガラ」から引用)
「腐生植物」というものがあったのですね……(詳しくは引用文中のリンクでご確認ください)。とりあえず unintek-us-nay で「オニノヤガラ・多くある・川」という川が存在し、「ウニンテウシナイ」が「宇西内」に略された……と考えられそうな気がします。

知遠別(ちえんべつ)

chiray-un-pet?
イトウ・入る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
道道 99 号「和寒鷹栖線」の「タカス峠」の南西、「噛伊尻」の南東に位置する標高 260.8 m の四等三角点の名前です。もともとはオサラッペ川上流部の地名だったようですが、現在は「北斗」と改称されているようです。

更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 知遠別(ちえんべつ)
 鷹栖町の最北の畑作地帯。近くを流れるチライウェンベツ川から出たものかと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.158-159 より引用)
道道 99 号「和寒鷹栖線」沿いの川は、現在「オサラッペ川」と呼ばれていますが、明治時代の地形図では「チライウンペツ」と描かれていました。個人的には、この川が本来の「イフンハウシヲサラベ」の可能性もあるんじゃないかと疑っていたりしますが……。

チライはのこと、ウェンペッは悪川ということで、少しつながりが変であるが。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.159 より引用)
あ。すっかり見落としていましたが、更科さんは「チライウェンベツ」と認識していたのですね。明治時代の地形図には「チライウンペツ」とあり、chiray-un-pet で「イトウ・入る・川」なので、違和感のない川名と言えるかと思います。

「知遠別」は「ちえんべつ」とされますが、もしかしたら本来は「しるえんべつ」だった可能性があるんじゃないか……と思い始めています。

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