(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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伊阿根山(いあね──)
(典拠あり、類型あり)
和寒町を流れる「辺乙部川」の上流部に「福原」という所があります。周りを山に囲まれた盆地で、かつては「「和寒町福原」には鷹栖町に抜ける道道 251 号「雨竜旭川線」が通っているのですが、少し北を幌加内町に向かう道道 48 号「和寒幌加内線」が通っています。奇妙なことに、道道 48 号沿いの川が「福原川」と呼ばれているようで……。
「伊阿根山」は盆地の南東に聳える標高 576.4 m の山の名前です。明治時代の地形図には「エヤ子ヌプリ」と描かれていました。
「エアネヌプリ」という山は道内各所にあったらしく、山田秀三さんの「北海道の地名」には、音威子府村の山の名前として次のように記してありました。
エアネヌプリ山
天塩川南岸(筬島の対岸)にある山の名。国道40号線がその下を通っているし美しい形なので目立つ。処々に同名の山がある。エ・アネ・ヌプリ(頭が・細い・山)の意。この山は尖った三角山である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.143 より引用)
e-ane-nupuri で「頭(山頂)・細い・山」と考えられそうですね。また更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、当麻町の「将軍山」の旧名が「エアネヌプリ」だったとあります。アイヌ名ではエアネヌプリ(頭の細い山)といって頂のとがった山であり、伊香牛寄りのものは笠形のものが二つあって、将軍山に寄った方のがポロトコㇺ(大きい瘤山)伊香牛寄りのものがポントコㇺ(小さい瘤山)といい、更に線路を越えた川寄りの方にも一つサンケトコㇺというのがある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.283 より引用)
文章を切り取って引用すると色々とアレなので、最低単位で引用したつもりなんですが……長いですね(汗)。考え方は山田さんと同様で、e-ane-nupuri で「頭(山頂)・細い・山」で良さそうです。和寒町と鷹栖町の境界にある「伊阿根山」は、「エヤ
噛伊尻(かむいじり)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「伊阿根山」の東に位置する標高 577.4 m の山の名前です。面白いことに「山」や「岳」、「峰」などがつかない山名のようですが、それにしても「噛伊尻」という字を当てたのは傑作ですよね。勢いで立項したものの、手持ちの資料には見事に情報を見つけられず……。唯一確認できたのが、明治時代の地形図に「カムイシ」と描かれていたことだけでした。とりあえず、この謎の山名は明治時代まで遡って存在していたということになるので、アイヌ語由来と考えていいんじゃないかな……と思っています。
意味するところは kamuy-sir で「神・大地(山)」となろうかと思われます。kamuy-kotan や kamuy-wakka の例から考えても、「神の大地」は、「神様のいる場所」と言うよりは「人が近づくべきではない領域」と捉えたほうが、より適切なのかなと思われます。
「噛伊尻」は周りの山と比べると、若干等高線が稠密になっているようにも見えます。それだけ険しい山なので、むやみに近づくべきではない、と警鐘を鳴らしているネーミングなのかもしれません。
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