2021年12月3日金曜日

宗谷本線各駅停車 (17) 「佐久」

名寄行き 4326D は 1 分遅れで天塩中川を出発しました。これは駅から 600 m ほど南に離れたところですが、歩道橋が見えます。どうやら公園に向かうための歩道橋のようですが、歩道橋とはなかなか珍しいような……。
中川町は駅の西側に集落(新市街)が形成されたものの、天塩川を改修する際に「旧市街」との間に形成されていた「中市街」が水没することになり、また役場のあった「旧市街」が川の向こう側になってしまったため、鉄道と天塩川の間の決して広いとは言えない「新市街」エリアに事実上押し込められてしまったように見えます。そのため、本来は障壁となる筈の線路の東側にも公的施設や住宅地が形成されることになった……ように見受けられます。

線路は天塩川の傍を通過して(何故か写真が見当たらない……)、川が離れてゆく中、最短ルートで南に向かっていましたが……お、天塩川の橋が見えますね。
随分と立派な橋ですが、どうやら国道 40 号「音威子府バイパス」の橋のようです。音威子府と中川を短絡するバイパスですが、途中の「音中おとなかトンネル」が予定よりも難工事になってしまい、開通がやや遅れているのだとか。

琴平駅(廃止)

ちなみに、手前に見えているのが「琴平川」の堤防かな……と思うのですが、かつて琴平川の南西側に「琴平駅」という駅がありました。「琴平駅」と言えば香川県に同名の駅がありますが(「こんぴらさん」でおなじみ)、琴平川の近くにも「琴平神社」があり、その近くに「琴平仮乗降場」を設置した……ということのようです。

国鉄時代は同じ名前の駅を設置しないように調整が行われていましたが、仮乗降場だったので国鉄総局のチェックが入らなかった、ということなんでしょうね。この「琴平駅」も JR 北海道の発足時に駅に昇格してしまったので、結局 JR に二つの「琴平駅」ができてしまった、ということになるわけですが……。

本家「こんぴらさん」の琴平駅に対して、フランチャイズっぽい北海道の「琴平駅」でしたが、なんと駅に昇格してから僅か 3 年後の 1990 年 9 月に廃止の憂き目に遭っています。最近は駅の廃止が続く宗谷本線ですが、1990 年に廃止というのは先見の明がありすぎでしたね……。

琴平駅の跡地ですが、どうやら真上を「音威子府バイパス」が通るみたいですね。

佐久駅(W63)

天塩中川を出発して 8 分ほどで、車窓に民家が目立つようになってきました。屋根の勾配が片勾配になっている家が目立ちますね。かなり積雪が多いということなんでしょうか……?
稚内方向の出発信号機が見えます。佐久駅の構内に入ったということになりますね。
佐久駅に到着です。出発信号機があるということは列車交換が可能な構造ということになりますね。稚内方面のホームが見えますが、石垣が組まれた重厚な構造のものです。
佐久駅の駅名標には「ことひら」の上に「てしおなかがわ」を被せた跡が残ります。本場の味はもちろんサッポロビールですね。

なんと巨大な無人駅!

そして、これが駅舎だと思うのですが……でけぇ!
駅舎が謎に大きいと、逆に駅だと思われなくなる……という例が根室本線の某駅にありましたが、佐久駅の駅舎も相当なものです。この駅舎は 1990 年に改築されたものとのことですが、1 日平均乗降人員が一桁台を推移しているらしく、JR 北海道からは廃止の打診があったのだとか。
名寄行き 4326D は、おそらく 1 分弱の遅れのまま佐久駅を出発しました。ホームの南側に小屋があるのですが、何故かその前に駅名標が。「これが佐久駅です」と言ったら信じてしまう人もいたりして……。
しかもこの駅名標、「てしおなかがわ」に修正の跡がありません(→ 1990 年以降に設置されたもの、ということに)。駅構内とは言え、旅客用ホームでは無いところに駅名標があるというのも、謎な感じがしますね……。

天塩川に沿って

天塩中川と同様に、佐久駅のあたりも線路と天塩川の間に民家が集中しています。ただ天塩中川のあたりよりは若干の余裕がありそうにも見えます。
これは天塩川ではなく、河跡湖でも無く……集落の南側を流れる小川だったでしょうか。だとしたらもの凄く増水していることになりますが、雪解け水がめちゃくちゃ出る時期はこうなってしまう、ということなんでしょうか……?
木立の向こうに透けて見えているのは、今度こそ天塩川ですね。宗谷本線は天塩川に沿う形で東に進行方向を変えて、次の「筬島おさしま駅」に向かいます。

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