2021年12月2日木曜日

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宗谷本線各駅停車 (16) 「天塩中川」

 

名寄行き 4326D は「下中川駅」の跡をあっさり通過して「天塩中川駅」に向かって疾走します。駅跡を過ぎてすぐのところで「パンケナイ川」を渡ります。
かつての「下中川駅」と「天塩中川駅」のほぼ中間あたりに第四種踏切がありました。ペンケナイ川のちょい北あたりですが、受益者が限られるということで第四種のままなんでしょうか(農場があり、そこで行き止まり)。
「パンケナイ川」があるということは「ペンケナイ川」もあるのですが、ペンケナイ川のあたりは道道 541 号が少し離れたところを通っています。今度は道道が遠回りする番ですが、もともと現在の国道 40 号に繋がる筈(但し天塩川の前後は未開通だった)の直線道路だったものを一部流用した結果遠回りになった……で良かったでしょうか(誰に聞いている)。
ところで、この「パンケナイ川」と「ペンケナイ川」、松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」では(このあたりの天塩川の支流としては)飛び抜けて大規模な川として描かれているのですが、実際にはそれほど大きな川には見えません。陸軍図でも他の支流と大差ないように見えるのですが、なぜそこまで「優遇」されたのでしょう……?

学校なのに地図に名前が出てこない!?

右手に中川の市街地が見えてきました。駅に到着するまであと少しのようです。
ちょっと離れていますが、学校のような建物が見えます。
航空写真で見ると、校舎の南側にグラウンドもあり、やはり学校に見えるのですが、Google マップにはマーカーが見当たりません。嫌な予感がしたのですが完全な杞憂で、これは「中川町立中央小学校」の建物とのこと。Google マップにマーカーが出てこなかったのは、こちらの環境の問題か、あるいは検索回数が閾値以下だったのかもしれません。

ちなみに「中央小学校」の南西に「中川町生涯教育センター ちゃいむ」という建物がありますが、こちらは 2013 年に閉校となった「北海道中川商業高等学校」の跡のようです。

中川町立中川中学校(!)

線路の右側(川側)には小学校のグラウンド(運動場?)があり、左側(山側)には「中川町営野球場」があります。その間を結ぶ踏切は「荒谷踏切」という名前みたいです。
300 m ほど南には別の踏切がありました。第一種踏切が続けて存在する……というだけで随分と都会に思えてしまいますね。
線路の東側(山側)には、前述の「中川町営野球場」のほか、「中川町民プール」や「中川町立中川中学校」があるとのこと。「中」の字がそろそろゲシュタルト崩壊を起こしそうですね。

インディーズ系雪捨て場?

残雪が見えますが、やや窪みが見える場所っぽいので、雪捨て場として使われているのでしょうね。ガチの雪捨て場ではなく、非公式の、インディーズ系の雪捨て場だと想像しましたが……。手前に見えるのは、もしかして「ふきのとう」でしょうか……?

天塩中川駅(W64)

天塩中川駅も列車交換可能な配線で、駅のまわりも広々としています。倉庫も見えるので、ここも貨物扱いが盛んだった時代があったのでしょうね。
天塩中川駅は、駅の東側には住宅地が広がっていて、役場や商店などは主に西側に広がっています。そのため駅舎はメインの市街地に面した西側にありますが……なかなかどうして立派な建物ですね。屋根に落雪防止対策が施されているのが特徴的でしょうか。
「名所案内」もあります。比較的新しそうに見えますが、最近手直ししたものでしょうか? この「天塩中川駅」は、開業時は「誉平ぽんぴら駅」という名前だったのですが、昔の名前が「ぽんぴら温泉」に残っているのですね。
さすがは特急停車駅……と言うべきか、とても良く整備されているのは素晴らしいですね。なんの変哲もない状態にも見えますが、この状態を保つだけで相当手間がかかっているような気がします(ありがたいことです)。
本場の味は、ここでも勿論「サッポロビール」です。

2 番線の謎

ちょっと不思議なのが、駅舎側(1 番のりば)にも「名寄方面乗車口」の案内が立っていることです。これは 1 番線から稚内方面だけではなく名寄方面にも出発できるということなんですが、名寄行き 4326D は何故か 2 番線に入ってしまいました。
2 番のりばに向かうには、一旦ホームの南端にある構内踏切で線路を横切る必要があります。すれ違う列車があれば 2 番線に入るしか無いのですが、時刻表ではそのような列車は見当たりません。

Wikipedia には次のように書いてありました。

駅舎側の 1 番線は稚内方面側、名寄・旭川方面側とも出発信号機があるため上下列車とも停車可能となっている。このため、列車交換がない場合、発着列車は上下とも 1 番線を使用する。2017 年 3 月 26 日現在、当駅での列車交換は通常行われないが、一部の上り普通列車が 2 番線を使用する。
(Wikipedia 日本語版「天塩中川駅」より引用)
むむっ。「一部の上り普通列車」と言っても 1 日 3 本しかありませんが、見事に引き当ててしまったということでしょうか。通常ダイヤでは 2 番線が必要となる機会がゼロになってしまったので、線路のサビ取りなどを兼ねて 1 日 1 本だけ 2 番線に入るようにしているのかもしれません。平日であれば一番利用者が少ないかもしれない列車を選んで……。

謎の黒塗りのコンテナ……?

箱型の駅名標は JR 北海道の標準的なデザインのものですが、2001 年に廃止された「下中川駅」の痕跡は見当たりません。2014 年に駅舎が中川町の所有になり、その際に改修工事を行ったとのことですので、この駅名標も(そして前述の「名所案内」も)その時に新品に交換したのかもしれませんね。
そして、天塩中川駅の最大の謎がこれなんですが……。何なんでしょう、この線路は。
レールも相当に軽そうなもので、今の JR であればローカル線でも使用しないレベルのものに思えます。殖民軌道や、あるいはそれよりも古い馬車軌道、人車軌道なんかで使われそうなレールにも見えますが、謎の「軽いレール」の上には黒塗りのコンテナのようなものが置かれていますし、それにここって駅構内ですよね……?

コンテナの中には小型の除雪機か何かが載ったトロッコあたりが入っていて、それを宗谷本線の線路脇まで楽に運べるようにレールを敷設した……とかなんでしょうか……?

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