(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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遠富内(とおとまない)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
「秋田川」と「田村川」という川が中川町の北西部を流れていますが、田村川の水源近くに「遠富内」という名前の三等三角点があります(標高 278.2 m)。元々は天塩川西側の平野部の地名だったようです。現在は「中川町大富」と呼ばれる一帯ですが、……あ、「遠富内」の「富」から「大富」になったみたいですね。要は旧地名なんですが、一応、三角点に名前が残っているということで……。
「角川日本地名大辞典」には次のように記されていました。
遠富内の地名は,アイヌ語のトートムオマナイが卜ートマナイと変化したもので,「沼の湿地にある川」を意味する(中川町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.252 より引用)
「トートマナイ」で「沼の湿地にある川」となると、これは to-tomam-nay で「沼・湿地・川」と考えた、ということでしょうか。そして元の形は「トートムオマナイ」だったと言うので、to-tomam-oma-nay で「沼・湿地・そこに入る・川」ということでしょうか。「なるほどなー」と思いつつ、若干引っかかるものも残ります。具体的には to-tomam という表現に微かな違和感を覚えるのですね。沼のまわりが湿地になっているのは極々当たり前の話なんですが、to-tomam という表現はあまり目にしないような気がするのです。
明治時代の地形図には、現在の「大富」のあたりに「パンケナイトー」という巨大な沼が描かれていました(パンケナイは天塩川の東側の川なので、西側の沼の名前として適切かどうかは疑問が残りますが)。
そして、現在「秋田川」と呼んでいる川が、沼に注いでいるように描かれていました。これは、もしかしたら to-tomo-oma-nay で「沼・真ん中・そこに入る・川」だったんじゃないでしょうか。
相間内(あいまない?)
(典拠あり、類型あり)
中川町東部、音威子府村との境界上にある三等三角点の名前です(標高 544.6 m)。「中川町東部」と書いてみたものの、中川町自体がおそろしく南北に長い形をしているのでどうしたものか……とも思うのですが、天塩川の北側、国道 40 号「音威子府バイパス」の「音中トンネル」が通る予定のあたり、と言えば当たらずとも遠からずでしょうか。現在建設中の「音威子府バイパス」は、中川町側は「琴平川」沿いを通ることになるのですが、明治時代の地形図を見ると、現在の「琴平川」の位置に「アイオマナイ」と描かれています。
永田地名解には次のように記されていました。
Ai oma nai アイ オマ ナイ 蕁蔴澤ふむふむ。ay-oma-nay で「イラクサ・そこにある・川」だったと見て良さそうな感じですね。JR 宗谷線が琴平川を渡るあたりに「琴平神社」ができたことで、川名も「琴平川」になってしまった、と言ったところでしょうか。
「角川日本地名大辞典」にも次のように記されていました。
アユマナイの地名はアイヌ語のアイオマナイに由来し,「いら草のある川」を意味する(中川町史)。琴平は,明治末期神社の祭神として金比羅神を祀ったところから付けられた(同前)
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.558 より引用)
あー、やはり神社由来で間違い無さそうな感じですね。知駒内(しるこまない?)
(?? = 典拠未確認、類型あり)
「この四等三角点は、開かずの道道として知られる道道 118 号「美深中川線」の「珊咲橋」の北に位置しています(標高 286.0 m)。この三角点はパナクチャ川とイナマユ川の間に位置していますが、地形図を良く見ると三角点とイナマユ川の間に谷があるように見えます。
この谷(川)の名前は不明ですが、もしかしたら「知駒内」だったのかも知れません。「知駒内」が「しるこまない」と読むのであれば、「知駒岳」と同様に surku-oma-nay で「トリカブトの根・そこにある・川」だったと考えて良いのではないでしょうか。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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