階段は登らずに、そのまま駅に向かって歩きます。
駅前のオープンスペースには「道の駅わっかない」の幟が。「鉄道駅」と「道の駅」が同居しているというのは理解できるのですが、「道の駅」の実体が今ひとつ良くわからない印象があるんですよね。
写真展 タライカ・風の記憶
そして線路の西側のスペース(複合施設「キタカラ」の「1F アトリウム」なんですね)では「写真展 タライカ・風の記憶」が開催されていました。タライカは「多來加」と書かれることもあったと思いますが、現在のポロナイスク、かつては「敷香」と呼ばれていたあたりの地方名……で良かったでしょうか。「敷香」は「しすか」と読まれることが多かったですが、最近は「しくか」と読むケースが多いようです。
こちらの説明文では「シスカ」となっていますね。敷香は「先住民指定居住地」として知られる「オタスの杜」のあったところとしても有名でしょうか。
「オタスの杜」の見取り図も用意されていました。
来場者記名帳が置かれた台には「敷香町市街図」も置かれていました。戦前の南樺太を統治した日本が整備した町でしたが、第二次大戦末期のソ連対日参戦の際に放棄された町、でもありますね。
「オタス寸景」「旧国境第三号標石台座」
この「写真展 タライカ・風の記憶」では、立花冨美雄さんが 2004 年から 2006 年にかけてポロナイスクを訪れた際に撮影された写真が展示されていました。展示されていた写真はポロナイスクの町や現在の「オタス」だけでなく……南北樺太の間に延びていた国境地帯の写真もありました。
写真が展示されていたパネルの端には、何故か「稚内北星学園大学」のパネルが。どうやら作者である立花さんは稚内北星学園大学の授業も持たれているようで、その繋がりなんでしょうね。
「アトリウム」の周辺では
写真展の会場である「1F アトリウム」のすぐ先には「稚内観光協会」のオフィスと「稚内市観光案内所」がありました。写真展の横では「北のカナリアたち」のロケ地が紹介されていました。「礼文島」「利尻島」と「稚内市」「豊富町」でロケが行われたとのこと(映画は見ていなくてすいません……)。
そして「ロケ地紹介」の後ろの窓を覗くと……お、いつの間にかキハ 54 が入線済みですね。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿