2021年11月7日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (882) 「問寒別・アイカップ川・ヌプカナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

問寒別(といかんべつ)

toy-kamu-pet
土・かぶさる・川
(典拠あり、類型あり)
幌延町南東部の地名で、同名の川が流れているほか、JR 宗谷線に同名の駅があります。ということでまずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  問寒別(といかんべつ)
所在地 (天塩国)天塩郡幌延町
開 駅 大正 12 年 11 月 10 日
起 源 アイヌ語の「トイ・カム・ペッ」(土のかぶさる川)に、漢字をあてたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.180 より引用)
ふむふむ。なんか以前にも見た記憶があるなぁと思ったのですが、浜頓別町の「豊寒別」の回でも引用していたのでしたね。

我らが永田地名解にも記載がありましたので、見ておきましょうか。

Tuikampet  ト゚イカン ペッ  ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.413 より引用)
久々に伝家の宝刀「?」が出ましたね。ただ永田方正氏が「トイ」ではなく「ト゚イ」と認識していた、という点は一考に値するかもしれません(と言いながら結局無視してますが)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「トイカンヘツブト」という地名?が記録されていました。これは「トイカンヘツの河口」なので、川の名前も「トイカンヘツ」だと見るべきですが、ちらっと見た所では(スペースの都合か)「トイカンヘツ」そのものの名前は描かれていないようです。

更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

問寒別(といかんべつ)
 近来駅名・字名も漢字になったが、昔はトイカンベツと片仮名を使っていた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.176 より引用)
大正時代に測図された「陸軍図」を見ると、駅のあたりは「下トイカンベツ」となっていて、ケナシポロ川と合流するあたりが「トイカンベツ」となっていました。

当地にある神社の名前は「中問寒神社」のようですが、「陸軍図」では「トイカンベツ」の北東(道道 583 号「上問寒問寒別停車場線」と道道 785 号「豊富中頓別線」の分岐点の近く)あたりが「中トイカンベツ」となっていました。

「土・かぶさる・川」説

肝心の地名解ですが、「駅名の起源」での解釈がその後も追認されているようで、toy-kamu-pet で「土・かぶさる・川」と見て良さそうです。

この川は、泥川であるから川に物を入れると、土がかぶるという意味かと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.176 より引用)
なるほど、そういう解釈もできてしまうのですね。というかその方が適切なのかもしれないですね。アイヌは織物に使う糸を樹皮から紡いでいましたが、その際に樹皮をうるかす(水に漬ける)という工程があるので、「物をうるかすのに使えない川」というのは「重要な情報だった」と見ることもできそうです。

アイカップ川

panke-aykap
川下側の・できない
(典拠あり、類型多数)
問寒別駅の近くに問寒別の集落がありますが、問寒別川は集落の外れの北西側を流れています。問寒別の集落の真ん中を別の小さな川が流れていますが、その川が「アイカップ川」です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、「ハンケアイカツフ」と「ヘンケアイカツフ」という川が、それぞれ天塩川の支流として描かれていました。現状は道道 541 号「問寒別佐久停車場線」沿いを「アイカップ川」が流れていて、その南側を「大塚の沢」が流れています。

「大塚の沢」は天塩川に直接注ぐのではなく、一旦「アイカップ川」に合流しているので、厳密には「東西蝦夷山川地理取調図」での描かれ方とは異なるのですが、他の川との位置関係を考慮すると「大塚の沢」が「ヘンケアイカツフ」だった可能性が高そうに思われます。

明治時代の地形図を見てみると、現在の「アイカップ川」と思しき川が「アイガップ」となっていて、「アイガップ」が「天塩(郡?)」と「中川(郡?)」の境界になっていました。

現在は「アイカップ川」と「宇戸内川」の分水嶺が境界で、分水嶺上に「美羅宇都」という、「夜露死苦」にも通じそうなネーミングの二等三角点があるのですが、明治時代の地形図ではそのあたりが「アイガップピラ」と描かれていました。

永田地名解には次のように記されていました。

Aigapp  アイガッㇷ゚  能ハズ 矢ノ達セザル處此名處々ニアリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.414 より引用)
はい。aykap で「できない」あるいは「届かない」と考えて良さそうです。知里さんの「小辞典」には次のように記されていました。

aykap あィカㇷ゚ 《完》できない; できなくなる; とどかない; とどかなくなる。(対→askay)。──この地名は方々にあり,けわしくて通り抜けられぬような岬をさして云っている。そういう岬の上には,古く神を祭る幣場があり,漁や狩或は戦争に出かけるさい,そこの神に祈って,そこの崖とか岩とかに矢を射て運勢を試す土俗があったらしい。その際,矢の届かなかった所に「あィカㇷ゚」という名がつき,多く戦争の際に矢がとどかなかったというような伝説がついている。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.13 より引用)
「アイカップ」という地名はこれまでも言及があった通り方々にあります(たとえば足寄や浜益の「愛冠」など)。ということで今回も「あー、矢で願掛けした崖かぁ」と思っていたのですが、元々は「けわしくて通り抜けられない岬」だったのかも知れませんね。

確かに二等三角点「美羅宇都」の南西側(中川町域)は岬状になっていて、JR 宗谷線はそれを回り込むようなルートで通過しています。古くは天塩川も鉄道に近いルートで流れていて、ここを陸路で通過するのは容易ではなかったのかも知れません。

「アイカップ川」は、現在の町境のあたりの「アイカップピラ」に由来する川名で、元々は panke-aykap で「川下側の・できない」だったと考えられそうです。

ヌプカナイ川

nupka-nay
原野・川
(典拠あり、類型多数)
問寒別川の東支流で、アイカップ川の北隣を流れています。ヌプカナイ川の支流として「ヌプカナイ左川」があり、その支流として「大岩の沢川」があります。

「ヌプカナイ川」の北には「ヌポロマポロ川」が流れていて、両河川の間の山には「奴深内」という名前の三等三角点があります。これも「ぬぷかない」と読むのだと思いますが、毎度のことながら傑作な字を当てたものですね。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川は描かれていません(問寒別川の支流は全く描かれていません)。また丁巳日誌「天之穂日誌」では「ヲヌフナイ」(雄信内川)の支流の情報と「トイカンヘツ」(問寒別川)の支流の情報が取り違えられています。ということで「ヲヌフナイ」の支流の情報を引用しますが……

 さて此口より七八丁上るや、左りの方クリキニンナイと云小川有よし。右少し上り二股。其より過てワツカウエンヌカリ、ヌホトマ、ヘンケルヘシベ。此処左りの方ソウヤ領サルフツの源え互岐すとかや。又右の方上りてワツカヒリカベツ、キウヌベツ、シトイカンベツ此うしろ小山をこへてソウヤ領トンヘツの源と互岐するとかや。其辺平山椴木立のよしなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.485-486 より引用)※ ルビは引用者による
文中に「シトイカンベツ」とあることから、これは「問寒別川」の支流の情報であると見てまず間違いないのですが、「ヌプカナイ川」に相当しそうな川名は無さそうに思えます。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 ヌプカナイ川 トイカンベツ川下流の左支流。アイヌ語で原野の川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.393 より引用)
やはり nupka-nay で「原野・川」と見て良さそうですね。特にトラップらしきものも無さそうですので……。

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2 件のコメント:

  1. おお、地元。この川鮭が登るので小学生に見せるのに写真撮ったりしてました。確かに上流方向へ通り抜けできないです。鉄道付近の平地の上はすぐ崖のようで通行困難と言えばそうかな、という地形です。

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  2. ■ 猟師服部 さん:
    天塩川は今も鮭が登るんですね! 地元の方にとっては「うん、そうだけど?」と思われる話かもしれませんが、やはりよそ者にとっては新鮮な響きがあります。幌延町と中川町の間の山が「アイカップピラ」だったと思われますが、地形図で見ても随分と行き来の邪魔になる場所にあるなぁ……という感想を持ちました。

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