2021年10月26日火曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (207) 「初見殺しの跨線橋」

国道 238 号を西に向かい、稚内駅方面を目指します。大沼の北には「北海道立宗谷ふれあい公園」があり、その近くにはメガソーラー発電所もあるのですが、ここも青看板に「稚内名物」キリル文字は見当たりません。
おそらく浜頓別(セイコマの手前)以来と思われる赤信号で停車中に……
「ノシャップ」行きの宗谷バスが通っていきました。

キリル文字復活!

国道 238 号が国道 40 号に接続する交叉点にやってきました。この交叉点が国道 238 号の終点とのこと。起点っぽいイメージがあったのですが、終点だったんですね。
やはり重要な交叉点ということなのか、青看板にはキリル文字が復活しています。ただ「フェリーのり場」「道の駅わっかない」の案内は英語またはローマ字のみです。
割とどうでも良いことですが、この Mobil の看板、かなり低いところにあるのが面白いですね。ドライバーの視線移動を考えるとこの位置のほうが安全な感じもしますが、果たしてその真相は……?

どう見ても「西條」

国道 40 号に入りました。距離案内の青看板ももちろん日本語とロシア語と……英語またはローマ字ですね。「岬」が ──misaki なのは何か理由もしくはガイドラインがあるのでしょうか……?
そして稚内名物と言えばこちらの「西條」も外せないでしょうか(稚内以外にもありますが)。
何度見ても「西條なんだよね」と口にしたくなる、こちらの意匠は健在です。

Баккай

キリル文字を正確に読める人はそれほど多くないと思いますが、ローマ字と合わせて見るとそこそこ似ている文字も少なくないので、なんとなく読めそうな気もしてきます(Н が N に、И が I に相当するというあたりがポイントでしょうか)。「抜海」は Баккай なんですね。

初見殺しの跨線橋

前方にスロープが見えてきました。個人的には国道 40 号の「初見殺し」ではないかと思っているのですが、スロープではなく左右の側道が国道 40 号の本線です。そんなこともあってか、青看板の国道 40 号も自ら光ってその存在をアピールしています。
中央のスロープは国道 40 号と JR 宗谷線を一気に渡るのですが、渡った先が T 字路になっていて、一時停止が必須です。ちょっと前にこの T 字路で減速不十分なまま右折を試みて、曲がり切れずに大型車が建物に突っ込んだ……という事故がありましたが、もしかしたら国道 40 号を走っていると勘違いしていたんじゃないか……と思ったりもします。

巨大な高架橋

スロープの手前で左右に別れていた国道 40 号は、立体交叉を抜けた後で再び対面交通に戻ります。
右側に「稚内副港市場」が見えてきました。JR の駅で言えば「稚内」と「南稚内」の中間あたりの場所なのですが、このあたりは意外と店が少ないんですよね。
稚内の国道 40 号と言えば、先程の「初見殺しの跨線橋」もそうですが、この「巨大な高架橋」もインパクトがありますよね。4 車線の国道を一気に跨ぐためにはこの規模の橋が必要になるということなんでしょうが、圧が凄いですよね。
そしてこの高架はいつできたのだろう……という点が気になるわけですが、1970 年代には既に高架橋が存在していた、というところまでは確認できました。何故かそれよりも古い時期の航空写真が米軍撮影のものしか無く、1949 年には高架橋は存在しなかったことも確認できたのですが、その間の経緯が不明のままです。

Wikipedia で「稚内駅」の記事を見てみたところ……

  • 1975年(昭和50年):南稚内~稚内間の高架工事が完成。
(Wikipedia 日本語版「稚内駅」より引用)
あ。

現在は「サフィールホテル稚内」です

国道 40 号の起点(じゃなくて終点)まで走り切り、「中央公園」の手前の交叉点を右折すると……
この日のゴールである「ANA クラウンプラザホテル稚内」が見えてきました。以前の「稚内全日空ホテル」という名前でご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
17 時を少し過ぎたところで、無事 Day 5 のゴールに到着しました。

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