2021年10月24日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (878) 「原子の沢川・パンケウブシ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

原子の沢川(はらこのさわ──)

para-kot-to???
広い・窪み・沼
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
旧・天塩大橋の 2 km ほど西側で天塩川に合流する北支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい名前の川は確認できません。

丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

此辺にて風順よろしく成、一さんに走り上るに、しばし行て
     ヲコツナイ
右の方小川、其近辺柳計也。しばし行てまた左りの方、
     ヘツヽエイ
小川なり。此辺相応に川巾ひろし。右の方少し計椴の木有て少し山に成、また其川の上には少しの沼有るよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.481-482 より引用)
前後関係を考えると、この「ヘツヽエイ」が現在の「原子の沢川」を指しているように思えます。「ヘツヽエイ」は pet-tuye で「川が・切る」と読めます。天塩川の旧河道が自然堤防で塞がれて三日月湖となるも、三日月湖に注いだ川の水が自然堤防を崩して流れてくる……と言ったところでしょうか。

では「原子の沢川」は和名なのではないかと疑いたくなるのですが、これも音からは para-kot で「広い・窪み」と考えることができるのですね。三日月湖のことを para-kot-to で「広い・窪み・沼」と呼んだとしても不思議は無さそうに思えます。

ただ、この川名は「本当にアイヌ語由来か」というところから疑ってかからないといけないので、その点は十分ご注意ください(汗)。

ややこしいことに、「ヘツヽエイ」の手前に「ヲコツナイ」という川が記録されています。これは o-kot-nay で「河口・窪み・川」あたりでしょうか。現在の「振老六線川」のことと考えられそうです。

パンケウブシ川

panke-hup-us-i?
川下側の・トド松・多くある・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
天塩川は道内第二の大河で、大河ゆえに酷く蛇行した川でした。現在はかなり直線的に改修されていますが、国道 40 号の「天塩大橋」の東にも巨大な nutap(川の湾曲内の土地)がありました。「幌延」は poro-nutap だとされますが、おそらくこの nutap のことをそう呼んだと思われます。

nutap を形成していた旧河道は三日月湖となっていますが、「パンケウブシ川」や「ペンケウベシ川」などの水が流入して最終的に天塩川に注いでいます。そのため、三日月湖は行政的には「パンケウブシ川」と「ペンケウベシ川」という扱いなのかもしれません。

「ハンケ」と「ヘンケ」泣き別れ疑惑

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケフフシ」と「ヘンケウフシ」という川が描かれています。興味深いことに、「ハンケフフシ」は現在の幌延町側(天塩川北岸)の川として、そして「ヘンケウフシ」は天塩町側(天塩川南岸)の川として描かれていて、天塩町側には現在も「ウブシ」や「産士」という地名が存在しています。

「パンケ──」と「ペンケ──」が川の左右に存在するというのは割と珍しいような気がするのですが、丁巳日誌「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

過て
     ウフシテ
左りの方小川、惣て此辺遅流。針位多く丑寅向に成る也。
     ベンケウフシテ
右の方小川有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.482-483 より引用)
松浦武四郎の「右・左り」は必ずしもアイヌの流儀(河口から水源に向かって右・左)を踏襲しているとは限らないのですが、「サコカイシ 右の方小川有」という記録もあった(天塩町作返のことと思われる)ので、今回はアイヌの流儀通り「左り」は「水源に向かって左」という理解で良いようです。

「ウブシ」はやはり「トド松」か

ということで、「ウフシテ」は幌延町側の川と見て間違いなさそうでしょうか。「ベンケウフシテ」は現在の「ウブシ」(天塩町)のことだと考えられそうなので、幌延駅の東側を「ペンケウベシ川」が流れているのは、何かの間違いかもしれません。

「何かの間違い」どころではない大きな間違いの可能性もあるのですが……。

幌延町の「パンケウブシ川」も、そして天塩町の「ウブシ」も、どちらも永田地名解には記録が見当たりません。この「パンケウブシ川」ですが、panke-hup-us-i で「川下側の・トド松・多くある・もの(川)」と考えるしか無いかな、と言った感じです。

なぜ「右」と「左」を間違えたか

ということで意味するところは概ね理解できたのですが、どうにもスッキリしない点が残ります。具体的には「ペンケウベシ川」が幌延町に所在するということで、これは「東西蝦夷山川地理取調図」において「ヘンケウフシ」が天塩町側に、「ハンケフフシ」が幌延町側に描かれていること自体が問題だとも言えます。

前述の通り、「ヘンケ」と「ハンケ」が本川の左右に所在するというのは珍しいと思われるのですね。ところが松浦武四郎は「ウフシテ」と「ベンケウフシテ」を左右に振り分けた上に、すぐ近くの「パンケオポッペ川」「ペンケオポッペ川」でも「ハンケヲチヨホツテ」と「ベンゲヲチヨホツテ」を左右に振り分けていました。

少なくとも「ハンケヲチヨホツテ」と「ベンゲヲチヨホツテ」については、どちらも「左りの方」に存在するのが確実と思われるので、「ウフシテ」と「ベンケウフシテ」についてもミスの疑いが濃厚と言えそうです。

何故このようなミスが発生したのか……という話になるのですが、前述の通り、当時の天塩川は酷く蛇行していて、幌延駅の南側はこのような状態になっていました。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
この場所からであれば、現在「パンケウブシ川」と呼ばれる川がほぼ真正面に見えて、「ペンケウベシ川」の河口は川の右側に見えます(!)。このことをうっかり「右の方」と書いてしまった……と考えられないでしょうか。いや、あまりにうっかりが過ぎるので、流石にどうかとも思うのですが……。

同じ構造が「ベンゲヲチヨホツテ」にも当てはまるのであれば「うっかり」の疑いが濃厚になるのですが、「ベンゲヲチヨホツテ」については……ちょっと厳しそうでしょうか(陸軍図)。

実は、当初は「ベンケウフシテ」と「ベンゲヲチヨホツテ」が同一の川で、誤って二度記録してしまったのではないかと疑ったのですね。ただ仔細に検討した結果、この考え方は流石に無理がある……との結論に達しました。

そのため、「ベンゲヲチヨホツテ」が何故「右の方」と記録されてしまったのかは皆目不明のままです(すいません)。「ベンケヲチヨホツテ」こと「ペンケオポッペ川」の河口が、鉄道が建設された際に陸軍図の位置に移されたのだとすれば「うっかり説」が有力になりそうですが……。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
陸軍図だと、この位置にも川らしきものが描かれているんですよね。

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