2021年10月12日火曜日

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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (197) 「一にして己?」

 

「中頓別鍾乳洞自然ふれあい公園」を後にして、国道 275 号に戻ります。「民有林林道 弥生線」の入口まで戻ってきましたので、左折します。
250 m ほどで T 字路にぶつかるので、右折して北に向かいます(中頓別の市街地に戻るのであればここを左折ですね)。
すぐさま「尻無川」を渡ります。2 車線で左にカーブした橋は比較的新しそうなものに見えますが……
古い地図と照らし合わせてみると、この橋ができるまでは「民有林林道 弥生線」入口に向かう道路(=鍾乳洞へのルート)が旧道だったみたいですね。そう言われてみれば先程の「T 字路」も元々は単なるカーブだったようにも見えます。

寿駅跡周辺

このあたりを国鉄天北線が横切っていたようで、右側(北側)に「寿駅」があったとのこと。この道路自体は線路跡では無さそうな感じで、2~30 m ほど手前だったみたいです。
走行中の道路(町道でしょうか)は、かつては川の北側(駅のあるほう)に渡って、駅の西側で再度川の南側に戻るルートを取っていました。このルートは現在も旧道として健在ですが、川の南側にバイパスルートが建設済みです。


ところが、地理院地図にはこのバイパスルートが描かれていないようですね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

一にして己?

国道 275 号と接続する T 字路が見えてきました。橋の向こう側に「止まれ」の標識が見えますね。
この橋は「一己内橋」という名前のようです。北隣を流れる川の名前が「一己内いっちゃんない川」なのでそれに由来するものだと思われますが……
「一己内橋」自体は「一己内川」を渡るのではなく、本流の「頓別川」を渡るものです。
深川に「北一已きたいちやん」という地名がありますが、「北一已」が「已」なのに対し、「一己内川」は「己」です。「一已」自体が「一にして已む」という意味の筈なので、「一己」というのは若干意味不明な感じもします。

中頓別町には「周磨しゅうまろ駅」という駅もありました。問題は「磨」の文字で、「麿」であれば「まろ」と読めるのですが、「磨」は「みがく」なので「まろ」と読ませるのはちょっと無理があるんですよね。要は誰かが字を間違えたまま駅名を決めてしまったんじゃないか、という疑惑の残る駅名です。

寿トンネル

ようやく国道 275 号に戻ってきました。まずは浜頓別を目指しましますが、いきなり「トンネル内幅員減少」「走行注意」の警告が……
前方に「寿トンネル」が見えてきました。ここは川沿いの難所をショートカットするために建設されたトンネルですが……言われてみれば若干幅が狭いでしょうか。
警告標識も黄色地ではなく蛍光色を下地にしたものです。
以前に通った時はあまり気にしていなかった(あるいは気づかなかった)のですが、寿トンネルの右側に旧道があったんですね。
やはりと言うべきか、通行止めのマークも見えます。実際にゲート等で遮断されているかどうかは未確認ですが、どう見ても落石が多そうな地形で、危険が多そうですからね。

竣工 50 周年!

トンネルポータルはそれほど古くないようにも見えますが……
中は「ギリギリ 2 車線」と言った感じで、やはり最近のトンネルと比べるとちょっと狭い感じです。
見た感じでは昭和 40 年代か 50 年代くらいか……と思ったのですが、1967 年(昭和 42 年)竣工とのこと。この時点で築 50 年ということになりますが、とてもそんな風には見えないですね。かなりしっかりと手入れされているということなんでしょうか……?

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